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チリの亡霊は救われてはいない

2010-10-19 | clipping
マスコミに載らない海外記事|チリの亡霊は救われてはいない 2010年10月18日 (月)
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-05b5.html


John Pilger

truthout

2010-10-13

チリにおける33人の鉱夫救援は、情念と勇気に満ちた驚くべきドラマだ。チリ政府にとっては、政府のあらゆる善行が、林立するカメラで報道されるマスコミ広報の棚ぼたの好機だ。人は感動せずにはいられまい。あらゆるマスコミの大イベント同様、見せかけなのだ。

鉱夫達を閉じ込めた事故は、チリでは決してめずらしいことではなく、アウグスト・ピノチェト将軍の独裁政治以来、ほとんど変わらない非情な経済制度の不可避の結果だ。銅は、チリの金であり、鉱山事故の頻度は価格と利潤とともに増えている。チリの民営化された鉱山では、毎年平均して、39件の事故が起きている。今回閉じ込められた鉱夫達が働いているサン・ホセ鉱山は、2007年には余りに危険となり、閉鎖せざるを得なかった。その閉鎖も長くは続かなかったが。7月30日、労働省の報告書が再度"深刻な安全上の欠陥"を警告したが、労働大臣は何の対策もしなかった。六日後、鉱夫たちは閉じ込められた。

救助現場における大報道合戦にもかかわらず、現代チリは語られざる人々の国なのだ。首都サンチャゴの郊外、ビジャ・グリマルディには、"忘れ去られた過去は、記憶に満ちている"という表示がある。そこはピノチェト将軍と彼の協力者達がチリにもたらしたファシズムに反対したがゆえに、何百人もの人々が虐殺され、行方不明にされた拷問センターだった。亡霊のようなたたずまいは、美しいアンデス山脈に見守られており、門の鍵を開けてくれた人物は、かつて近くに住んでおり、叫び声を覚えている。

2006年のある冬の朝、学生活動家として投獄され、今はロンドンで暮らすサラ・デ・ウィットが、私をそこにつれていってくれた。彼女は感電させられ、殴打されたが、生き延びた。それから、1973年9月11日にピノチェトが権力を掌握した、中南米版9/11の際に、亡くなった、偉大な民主主義者、改革者サルバドール・アジェンデの家まで、車で行った。彼の家は、ひっそりした白い建物で、何の標識も記念銘板も無い。

至る所でアジェンデの名は抹殺されたままのようだ。墓地の孤立した記念碑にのみ、"エヘクタドス・ポリティコス"つまり"政治的理由で処刑された" 人々の追悼の一環として、"プレシデンテ・デ・ラ・レプブリカ(共和国大統領)"という言葉が刻まれている。アジェンデは、アメリカ大使が見守る中、ピノチェトが大統領官邸をイギリスの戦闘機で爆撃している間に自死した。

特に、ごみから食料あさり、電気を盗むことを強いられている、スラムに暮らす人々等、異議を唱える人々も多いとは言え、現在チリは民主主義だ。 1990年、ピノチェトは、自らの引退と、政治前面からの軍が撤退する条件として、憲法上欠陥がある制度を移譲した。これにより、コンセルタシオンという名で知られる、概して改革主義の諸政党が、恒久的に分裂するか、あるいは独裁者の後継者達による経済設計の正当化に引きずり込まれることが保証されることとなった。最近の選挙で、ピノチェト後継のイデオローグ、ハイメ・グスマンが生み出した右派のコアリシオン・ポル・エル・カンビオ(変革の為の連合)が、セバスティアン・ピニェラ大統領の下で権力を握った。アジェンデの死とともに始まった本当の民主主義の、残忍な絶滅が、人目を忍んで完了したのだ。

ピニェラ大統領は、鉱業、エネルギーと小売業界の一部を支配している億万長者だ。ピノチェトのクーデターの後、更にシカゴ・ボーイズとして知られているシカゴ大学卒業の狂信者達による自由市場"実験"の間に、彼は財をなした。彼の兄で元共同経営者のホセ・ピニェラは、ピノチェトの下で労働大臣を務め、鉱業と年金を民営化し、労働組合を完璧に破壊した。大陸中にまん延し、北からの支配を保証する、新自由主義という新たなカルトのモデル"経済的奇跡" だとして、ワシントンはこれに喝采した。

エクアドル、ボリビアやベネズエラの自立した民主主義に対するバラク・オバマ大統領の巻き返しの上で、現在、チリは決定的に重要だ。ピニェラの最も親密な盟友は、7つの米軍基地を擁し、ピノチェトのテロの下で苦しんだチリ人にはおなじみの悪名高い人権弾圧の歴史を有するコロンビアの新大統領、ワシントンの親友フアン・マヌエル・サントスだ。

ピノチェト後のチリは、こっそりと永続的虐待を継続してきた。最愛の人々の拷問や行方不明から、回復しようといまだに努力している家族の人々は、国や雇用主の偏見に耐えている。決して沈黙しようとしないのがスペイン人征服者も打倒することができなかった唯一の先住民、マプーチェ族の人々だ。19世紀末、独立チリのヨーロッパ人入植者達は、マプーチェ族に対し、人種差別的な絶滅戦争をしかけ、マプーチェ族は、貧窮化した部外者としてとり残された。アジェンデの1000日間の政権時、これが変化し始めた。マプーチェ族の土地の一部は返還され、公正が行われなかった非が認められたのだ。

以来、悪質で、ほとんど報道されない戦争が、マプーチェ族に対して行われてきた。林業会社は土地を奪うことを許され、マプーチェ族が抵抗すると、殺害や行方不明や、独裁政権によって制定された "反テロリズム" 法の下での恣意的起訴という仕打ちを受ける。市民的不服従キャンペーンを行う中、マプーチェ族の誰一人として、人を傷つけてはいない。マプーチェ族が彼等の先祖伝来の土地に不法侵入を"しかねない"という地主や実業家による単なる告発が、犯罪で警察が告訴し、匿名の証人により、最大20年に至る禁固刑が下されるカフカ的裁判へと至らしめるのに十分な場合が多々ある。彼等は事実上政治囚だ。

世界中が鉱夫救援の見世物に歓喜する間、38人のマプーチェ族のハンガー・ストライキは、ニュースにならない。彼等に対して適用されている"テロ放火"等のピノチェト時代の法規を終わりにするよう、そして本当の民主主義の公正を彼等は求めている。10月9日、一人を除いたハンガー・ストライキ参加者の全員が90日の絶食抗議を終えた。一人のマプーチェ族の若者ルイス・マリレオは続けるつもりだと語っている。10月18日、ピニェラ大統領はロンドン・スクール・オヴ・エコノミックスで、"時事問題"について講演をすることになっている。彼は、マプーチェ族の難儀とその理由に気づくべきだ。

記事原文のurl:www.truth-out.org/chiles-ghosts-are-not-being-rescued64160

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イラクで探鉱掘削をしていたアメリカ人技師が、救助用の穴を掘削するため、急遽チリにかけつけたというようなニュースを見た記憶がある。

沖縄の基地・地位協定・安保は詳しく報道せず、尖閣、中国の反日デモについては、しきりに報道するこの国のマスコミと、ぴったり一致する地球の裏側のマスコミ。

マスコミは、手抜きから生じたであろうチリの鉱山事故は報道しても、人為的に画策されたホンジュラスの大統領国外拉致は報道しない。

1973年9月11日のアジェンデ最後の演説翻訳は下記。

9/11 サルバドール・アジェンデの遺言(1973)
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/911-1973-71cb.html