トルシエの世界|驚くべき小沢戦略 2010-06-04 00:39:40
http://ameblo.jp/troussier100/entry-10553287661.html
(MBSニュースより引用)
民主党の代表選挙をめぐり、党内最大勢力の小沢幹事長を支持するグループは、一致して支持する候補を決めず、自主投票とすることを決定しました。
小沢氏を支持するグループは3日夜、都内で会合を開き対応を協議していましたが、その席に代表選への出馬を決めた樽床衆議院議員が支援要請のため訪れました。
(Q.支持はとりつけた?)
「・・・」(樽床伸二 衆議院議員)
しかし、グループ内ではグループ独自の候補者を決められなかったことについて不満が出ていたため意見集約はできず、自主投票とすることを決めました。
党内最大勢力の小沢グループが自主投票を決めたことで鳩山グループの支持などを取り付けた菅副総理兼財務大臣の優位は動かない情勢になりました。
(引用終わり)
(僕の独り言)
小沢の戦略が見えてきた。
それは凡人である僕の予想をはるかに超えており、驚くべきものである。
小沢の狙いはただ一つ。それは参院選に勝つことだ。菅を総理にし、知名度の高い者やマスゴミが喜びそうな者を内閣に据え、民主党に吹いていた逆風を追い風に変える。そして、2人区で2人当選させ、現職以外に小沢が公認した候補(比例含む)を必ず当選させるのだ(小沢派のさらなる拡大)。
つまり、新内閣はあくまで参院選で勝利し、小沢派を拡大するための選挙管理内閣であり、それ以上でもそれ以下でもないわけだ。樽床にしたって、菅の無投票当選を阻止し、代表選を少しでも盛り上げて電波ジャックするための小沢が演出した、かませ犬でしかないのである。票も適当に割り振りするはずだ。
僕が思うに、小沢の本当の勝負は小沢派がさらに拡大する参院選後の代表選(9月)にあると見ている。小沢はここで主導権を握り、菅にいろいろ要求して人事を独占する腹積もりだ(裏小沢政治主導本格政権誕生)。もし、菅がその要求を飲まなければ、顔を田中真紀子に代えるだけである。マスゴミは騒ぐかもしれないが、あと3年は選挙をするつもりはないし、3年あれば政治主導で小沢のやりたい放題だ。
新内閣は残念ながら、反小沢の面々も数多く登用されるだろう。しかし、それはあくまでマスゴミを喜ばさせ、選挙に勝つため(民主党の支持率を上げるため)の策略でしかない。つまり、彼ら(反小沢)をうまいこと利用するのだ。
マスゴミの報道を見るがよい。代表選の争点がどういうわけか親小沢か反小沢であり、どのテレビ局も初めから小沢を悪と決め付け排除の論理で気味が悪いくらい一致してるではないか。あれではもし小沢グループが積極的に菅を推していたなら、決して参院選にプラスに働かなかったろう。だから、樽床を担ぎ上げて「自主投票」とするのである。
反小沢は勘違いして喜ぶかもしれないが、彼らが喜んでいられるのも9月までである。その後は小沢に徹底的に干され、粛清される運命にあるだろう。
小沢一郎恐るべし。
===
世川行介放浪日記|名探偵二見伸明の「推理結果」 2010年06月05日 10時41分17秒
http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke/e/38932bacbb2e5b210e1f4655d8b459a2
・・・今回、小沢一郎が敗北を喫した、
としょげているかもしれない人たちは、
この文章を読んで、
少し、元気をつけてくれ。
そう言っているのは、僕ではない。
二見伸明という名探偵の言葉だ。
この数日、彼は、
寝る間も惜しんで、
世間を騒がせている「鳩山政変」について、「推理」した。
彼は、本来、<50人>にしか、自分の「推理結果」を披露しないのだが、
今回は、公式見解と異なる結果となったため、
大勢の人に、自分の「推理結果」を語ろうと考えた。
その談話掲載の場所に、この日記を指定してくれた。
以下の談話が、
名探偵二見伸明の「推理結果」だ。
読んでみてくれ。
「今回の政変劇の奇妙さは、何かというとだネ、
これは、
だれもが、主犯を勘違いした、
ということに尽きる。
なぜ勘違いしたかというと、
鳩山首相が、
今にも泣き出しそうな顔で、
「今回の事件は、自分が主犯である。
それをここで宣言する真意は、
小沢幹事長を放置しておくのは、
民主党に危険だからだ」
と涙ながらに訴えたからだ。
この一言に、だれもが騙された。
鳩山首相が主犯である、という前提のもとに、
すべての推理が進められていった。
新聞もテレビも、ありとあらゆる報道機関は、
それに従った報道に徹した。
しかし、君たち。
それこそが、大きな勘違いだったのだよ。
結論から先に言うと、
この事件の主犯は、
小沢一郎という、
あの、無口で、もっさりとした人物だったのだ。
彼こそが、今回の事件のシナリオを書き、
全員をそのシナリオどおりに動かしたのだった。
彼は、
仏頂面を見せるだけで、何も語らず、
「主犯の私も悪かったが、
従犯の小沢幹事長はもっと悪い人物であった」
と、
キョロキョロ顔の鳩山由紀夫に語らせることによって、
このシナリオを、より完璧なものにした。
ああ、完璧すぎるほど完璧だった。
だって、そうだろう?
君たちだって、鳩山の言葉を信じたからこそ、
いま、そうやって、しょげ返っているではないか。
だが、諸君。
君たちは、本当は、こういう光景こそを描くべきなのだ。
小沢「鳩山首相。もう、ここまでだ。
これ以上は無理だ。参院選の惨敗につながる」
鳩山「嫌だ。ここは強行突破で切り抜けたい。
あなたはずっと、私を助けてくれたじゃないか」
小沢「普天間であれだけの失態をやったんだ。
もう、無理だ」
輿石「参院が、もう、もたない。
かりに首相の問責動議が出たら、否決できる自信がない」
鳩山「いやだ。まだ、ここでは引きたくない」
小沢「あきらめろ。
俺も一緒に辞めてやるから、あんたも、もう、身を引け」
鳩山「……、
わかった」
君たちは、この光景が、想像できるだろうか?
もし、その光景が想像できるなら、
その人たちは、安心だ。
何のために、小沢幹事長は、そんな奇妙なシナリオを描いたのか?
それこそが、
今回の政変の一番の謎だ。
自分が一番の極悪人と見られるのを、百も承知で、
なぜ、小沢一郎は、こんなシナリオを描いたのだろう。
小沢一郎という男は、
私利私欲のない男だ。
彼が考えているのは、たった一つ、
この国の改革を一歩でも前に推し進めること、
ただそれだけだ。
君たちはおそらくわからないだろうが、
かれは、
「改革をやるのなら、
自民党でも、公明党でも、どんな政党でも応援する」
という基本姿勢で生きてきた。
これは、他の政治家にはない、
彼独自の政治姿勢だった。
私は、そんな彼に魅力を感じ続けてきた。
今回の政権の迷走ぶりを見て、
彼が思ったのは、
こんな下らないことで、改革を止められてたまるか、
ということだった。
改革を進めるためなら、
自分が悪役になって済むなら、
どんな悪役でも演じてみせる。
それが、
今回の政変劇の根底にあったものだ。
自分が悪役になるのだから、
次の政権は、当然自分抜きになる、
それでやればいい。
それで次の参院選が勝てるなら、
なんの文句もない。
自分は当分人前に姿を見せるのはやめよう。
それが、盟友小沢一郎の真情だ。
彼は、「幹事長」なんて役職になんの未練も持ってない。
多くの政治家が夢見る総理大臣にも、なりたいとは思っていない。
役職や権限で人がついてくるのは、
二流の政治家だ。
一流の政治家は、無役でも人が慕ってくる。
小沢一郎は、それを知っているよ。
冷静に考えてごらん。
政権経験者がほとんどいない民主党政権で、
彼を抜きで、政治が機能するわけがないじゃないか。
そんなことをしたら、
政権は片肺飛行を余儀なくされ、
あっという間に墜落だ。
諸君。
これが、不肖二見伸明の「推理結果」なのだが、
私の推理は、君たちを納得させることができただろうか?
うん?
そこの読者。質問、どうぞ。
ああ、なぜ、鳩山首相はあんなことを言ったのか?
ふ~む。
それはネ、
きっと、口惜しかったからだろう。
鳩山首相は、本当は、辞めたくなかったんだよ。
小沢幹事長が最後まで自分を守ってくれる、と思っていたんだ。
それが裏切られた口惜しさだったのではないかな。
まあ、質問はそれくらいでいいだろう。
君たちは、
わたしの「推理結果」を頭に叩き込んで、
もう一度、
この政変劇を、振り返ってみてくれないか。
納得できるものがあるはずだ。
嵐が吹くと、
森の木々は揺れる。
みな同様に揺れているかのように見えるが、
しかし、
よく見ると、
幹まで揺れるのはか細い木ばかりであって、
大樹は、
その葉や枝は風に揺れても、
太い幹は、微動だにしていない。
幹こそを見て欲しい」
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E8%A6%8B%E4%BC%B8%E6%98%8E
二見 伸明(ふたみ のぶあき、1935年2月10日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、運輸大臣(第68代)、公明党副委員長を歴任。
概要 [編集]
公明党、新進党、自由党を経て2004年10月現在、民主党に所属。早稲田大学大学院修了。政治団体霞見會代表。日本戦略研究フォーラム政策提言委員。
公明新聞政治部長・第1成局長を経て、1969年12月の衆院選に茨城3区から出馬し当選。以後衆院議員を8期務め、1970年から1993年まで中央執行委員。この間、政策審議副会長(1971年~1977年)・国会対策副委員長(1977年~1980年)・文化局長(1984年~1998年)・政策審議会長(1990年~1993年)を歴任。1993年に委員長の石田幸四郎の下で党副委員長に就任。
1994年4月 細川護煕首相が辞任し羽田内閣の発足で運輸大臣に就任。しかし2ヶ月で羽田内閣は総辞職。12月に公明新党を経て新進党結成に参加し、1997年11月の新進党党首選では小沢一郎党首を支持し再選させた。12月に新進党が解党すると、旧公明党出身ながら権藤恒夫らと共に小沢支持を鮮明にして、小沢と距離を置いていた神崎武法らのグル-プを牽制。二見らは翌1998年1月に小沢が中心となって結成した自由党に参加し、二見は総務委員長に就任した。同年11月には公明党が再結成されるも、権藤・東祥三らと共に自由党に残留した。
1999年1月に自自連立政権の発足で自由党は与党になるも、このことから出身母体の創価学会は二見と距離を置く様になる。10月には公明党も与党入りして自自公連立政権が発足、2000年1月には党常任幹事に就任するが、同年4月に自由党が連立離脱を表明し二見もそれに従うと創価学会から破門・絶縁状態になる。同年6月の衆院選では落選し、2003年11月の衆院選でも民主党公認で立候補したが落選。政界を引退した。
発言 [編集]
官房機密費が問題になった時、「加藤紘一官房長官(当時)から背広をもらった」と公言し、実際に日本共産党が公表したリストの中に名前があった。
http://ameblo.jp/troussier100/entry-10553287661.html
(MBSニュースより引用)
民主党の代表選挙をめぐり、党内最大勢力の小沢幹事長を支持するグループは、一致して支持する候補を決めず、自主投票とすることを決定しました。
小沢氏を支持するグループは3日夜、都内で会合を開き対応を協議していましたが、その席に代表選への出馬を決めた樽床衆議院議員が支援要請のため訪れました。
(Q.支持はとりつけた?)
「・・・」(樽床伸二 衆議院議員)
しかし、グループ内ではグループ独自の候補者を決められなかったことについて不満が出ていたため意見集約はできず、自主投票とすることを決めました。
党内最大勢力の小沢グループが自主投票を決めたことで鳩山グループの支持などを取り付けた菅副総理兼財務大臣の優位は動かない情勢になりました。
(引用終わり)
(僕の独り言)
小沢の戦略が見えてきた。
それは凡人である僕の予想をはるかに超えており、驚くべきものである。
小沢の狙いはただ一つ。それは参院選に勝つことだ。菅を総理にし、知名度の高い者やマスゴミが喜びそうな者を内閣に据え、民主党に吹いていた逆風を追い風に変える。そして、2人区で2人当選させ、現職以外に小沢が公認した候補(比例含む)を必ず当選させるのだ(小沢派のさらなる拡大)。
つまり、新内閣はあくまで参院選で勝利し、小沢派を拡大するための選挙管理内閣であり、それ以上でもそれ以下でもないわけだ。樽床にしたって、菅の無投票当選を阻止し、代表選を少しでも盛り上げて電波ジャックするための小沢が演出した、かませ犬でしかないのである。票も適当に割り振りするはずだ。
僕が思うに、小沢の本当の勝負は小沢派がさらに拡大する参院選後の代表選(9月)にあると見ている。小沢はここで主導権を握り、菅にいろいろ要求して人事を独占する腹積もりだ(裏小沢政治主導本格政権誕生)。もし、菅がその要求を飲まなければ、顔を田中真紀子に代えるだけである。マスゴミは騒ぐかもしれないが、あと3年は選挙をするつもりはないし、3年あれば政治主導で小沢のやりたい放題だ。
新内閣は残念ながら、反小沢の面々も数多く登用されるだろう。しかし、それはあくまでマスゴミを喜ばさせ、選挙に勝つため(民主党の支持率を上げるため)の策略でしかない。つまり、彼ら(反小沢)をうまいこと利用するのだ。
マスゴミの報道を見るがよい。代表選の争点がどういうわけか親小沢か反小沢であり、どのテレビ局も初めから小沢を悪と決め付け排除の論理で気味が悪いくらい一致してるではないか。あれではもし小沢グループが積極的に菅を推していたなら、決して参院選にプラスに働かなかったろう。だから、樽床を担ぎ上げて「自主投票」とするのである。
反小沢は勘違いして喜ぶかもしれないが、彼らが喜んでいられるのも9月までである。その後は小沢に徹底的に干され、粛清される運命にあるだろう。
小沢一郎恐るべし。
===
世川行介放浪日記|名探偵二見伸明の「推理結果」 2010年06月05日 10時41分17秒
http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke/e/38932bacbb2e5b210e1f4655d8b459a2
・・・今回、小沢一郎が敗北を喫した、
としょげているかもしれない人たちは、
この文章を読んで、
少し、元気をつけてくれ。
そう言っているのは、僕ではない。
二見伸明という名探偵の言葉だ。
この数日、彼は、
寝る間も惜しんで、
世間を騒がせている「鳩山政変」について、「推理」した。
彼は、本来、<50人>にしか、自分の「推理結果」を披露しないのだが、
今回は、公式見解と異なる結果となったため、
大勢の人に、自分の「推理結果」を語ろうと考えた。
その談話掲載の場所に、この日記を指定してくれた。
以下の談話が、
名探偵二見伸明の「推理結果」だ。
読んでみてくれ。
「今回の政変劇の奇妙さは、何かというとだネ、
これは、
だれもが、主犯を勘違いした、
ということに尽きる。
なぜ勘違いしたかというと、
鳩山首相が、
今にも泣き出しそうな顔で、
「今回の事件は、自分が主犯である。
それをここで宣言する真意は、
小沢幹事長を放置しておくのは、
民主党に危険だからだ」
と涙ながらに訴えたからだ。
この一言に、だれもが騙された。
鳩山首相が主犯である、という前提のもとに、
すべての推理が進められていった。
新聞もテレビも、ありとあらゆる報道機関は、
それに従った報道に徹した。
しかし、君たち。
それこそが、大きな勘違いだったのだよ。
結論から先に言うと、
この事件の主犯は、
小沢一郎という、
あの、無口で、もっさりとした人物だったのだ。
彼こそが、今回の事件のシナリオを書き、
全員をそのシナリオどおりに動かしたのだった。
彼は、
仏頂面を見せるだけで、何も語らず、
「主犯の私も悪かったが、
従犯の小沢幹事長はもっと悪い人物であった」
と、
キョロキョロ顔の鳩山由紀夫に語らせることによって、
このシナリオを、より完璧なものにした。
ああ、完璧すぎるほど完璧だった。
だって、そうだろう?
君たちだって、鳩山の言葉を信じたからこそ、
いま、そうやって、しょげ返っているではないか。
だが、諸君。
君たちは、本当は、こういう光景こそを描くべきなのだ。
小沢「鳩山首相。もう、ここまでだ。
これ以上は無理だ。参院選の惨敗につながる」
鳩山「嫌だ。ここは強行突破で切り抜けたい。
あなたはずっと、私を助けてくれたじゃないか」
小沢「普天間であれだけの失態をやったんだ。
もう、無理だ」
輿石「参院が、もう、もたない。
かりに首相の問責動議が出たら、否決できる自信がない」
鳩山「いやだ。まだ、ここでは引きたくない」
小沢「あきらめろ。
俺も一緒に辞めてやるから、あんたも、もう、身を引け」
鳩山「……、
わかった」
君たちは、この光景が、想像できるだろうか?
もし、その光景が想像できるなら、
その人たちは、安心だ。
何のために、小沢幹事長は、そんな奇妙なシナリオを描いたのか?
それこそが、
今回の政変の一番の謎だ。
自分が一番の極悪人と見られるのを、百も承知で、
なぜ、小沢一郎は、こんなシナリオを描いたのだろう。
小沢一郎という男は、
私利私欲のない男だ。
彼が考えているのは、たった一つ、
この国の改革を一歩でも前に推し進めること、
ただそれだけだ。
君たちはおそらくわからないだろうが、
かれは、
「改革をやるのなら、
自民党でも、公明党でも、どんな政党でも応援する」
という基本姿勢で生きてきた。
これは、他の政治家にはない、
彼独自の政治姿勢だった。
私は、そんな彼に魅力を感じ続けてきた。
今回の政権の迷走ぶりを見て、
彼が思ったのは、
こんな下らないことで、改革を止められてたまるか、
ということだった。
改革を進めるためなら、
自分が悪役になって済むなら、
どんな悪役でも演じてみせる。
それが、
今回の政変劇の根底にあったものだ。
自分が悪役になるのだから、
次の政権は、当然自分抜きになる、
それでやればいい。
それで次の参院選が勝てるなら、
なんの文句もない。
自分は当分人前に姿を見せるのはやめよう。
それが、盟友小沢一郎の真情だ。
彼は、「幹事長」なんて役職になんの未練も持ってない。
多くの政治家が夢見る総理大臣にも、なりたいとは思っていない。
役職や権限で人がついてくるのは、
二流の政治家だ。
一流の政治家は、無役でも人が慕ってくる。
小沢一郎は、それを知っているよ。
冷静に考えてごらん。
政権経験者がほとんどいない民主党政権で、
彼を抜きで、政治が機能するわけがないじゃないか。
そんなことをしたら、
政権は片肺飛行を余儀なくされ、
あっという間に墜落だ。
諸君。
これが、不肖二見伸明の「推理結果」なのだが、
私の推理は、君たちを納得させることができただろうか?
うん?
そこの読者。質問、どうぞ。
ああ、なぜ、鳩山首相はあんなことを言ったのか?
ふ~む。
それはネ、
きっと、口惜しかったからだろう。
鳩山首相は、本当は、辞めたくなかったんだよ。
小沢幹事長が最後まで自分を守ってくれる、と思っていたんだ。
それが裏切られた口惜しさだったのではないかな。
まあ、質問はそれくらいでいいだろう。
君たちは、
わたしの「推理結果」を頭に叩き込んで、
もう一度、
この政変劇を、振り返ってみてくれないか。
納得できるものがあるはずだ。
嵐が吹くと、
森の木々は揺れる。
みな同様に揺れているかのように見えるが、
しかし、
よく見ると、
幹まで揺れるのはか細い木ばかりであって、
大樹は、
その葉や枝は風に揺れても、
太い幹は、微動だにしていない。
幹こそを見て欲しい」
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E8%A6%8B%E4%BC%B8%E6%98%8E
二見 伸明(ふたみ のぶあき、1935年2月10日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、運輸大臣(第68代)、公明党副委員長を歴任。
概要 [編集]
公明党、新進党、自由党を経て2004年10月現在、民主党に所属。早稲田大学大学院修了。政治団体霞見會代表。日本戦略研究フォーラム政策提言委員。
公明新聞政治部長・第1成局長を経て、1969年12月の衆院選に茨城3区から出馬し当選。以後衆院議員を8期務め、1970年から1993年まで中央執行委員。この間、政策審議副会長(1971年~1977年)・国会対策副委員長(1977年~1980年)・文化局長(1984年~1998年)・政策審議会長(1990年~1993年)を歴任。1993年に委員長の石田幸四郎の下で党副委員長に就任。
1994年4月 細川護煕首相が辞任し羽田内閣の発足で運輸大臣に就任。しかし2ヶ月で羽田内閣は総辞職。12月に公明新党を経て新進党結成に参加し、1997年11月の新進党党首選では小沢一郎党首を支持し再選させた。12月に新進党が解党すると、旧公明党出身ながら権藤恒夫らと共に小沢支持を鮮明にして、小沢と距離を置いていた神崎武法らのグル-プを牽制。二見らは翌1998年1月に小沢が中心となって結成した自由党に参加し、二見は総務委員長に就任した。同年11月には公明党が再結成されるも、権藤・東祥三らと共に自由党に残留した。
1999年1月に自自連立政権の発足で自由党は与党になるも、このことから出身母体の創価学会は二見と距離を置く様になる。10月には公明党も与党入りして自自公連立政権が発足、2000年1月には党常任幹事に就任するが、同年4月に自由党が連立離脱を表明し二見もそれに従うと創価学会から破門・絶縁状態になる。同年6月の衆院選では落選し、2003年11月の衆院選でも民主党公認で立候補したが落選。政界を引退した。
発言 [編集]
官房機密費が問題になった時、「加藤紘一官房長官(当時)から背広をもらった」と公言し、実際に日本共産党が公表したリストの中に名前があった。