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日本の中国大使館で「天安門事件」のウーアルカイシ逮捕

2010-06-05 | clipping
TBS News|ウーアルカイシ容疑者、2日に日本入国 2010年6月5日(土) 12時43分http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4445159.html


 4日、天安門事件の学生リーダーの一人だったウーアルカイシ容疑者が警視庁に逮捕されましたが、ウーアルカイシ容疑者は、抗議活動の直前の今月2日に日本に入国していたことが分かりました。

 この事件は4日、天安門事件の学生リーダーの一人だったウーアルカイシ容疑者(42)が東京・港区の中国大使館で抗議活動を行っている際、警察官の制止を振り切り、柵を乗り越え敷地内に侵入したとして、警視庁に逮捕されたものです。

 その後の取材で、ウーアルカイシ容疑者は抗議活動の直前である今月2日に日本に入国していたことが分かりました。

 ウーアルカイシ容疑者は中国当局に指名手配されていますが、昨年の同じ日には台湾から中国に出頭するためマカオへの入国を試みて、マカオ当局から入国を拒否されました。

 警視庁は、今回も中国へ帰国するために日本で犯行に及んだとみて調べています。(05日12:37)

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フミエイツ|「六・四」天安門事件二十一周年記念集会とウーアルカイシさん逮捕 2010年06月05日
http://blog.livedoor.jp/alco0711/archives/51023043.html


 今日は、「六・四」天安門事件二十一周年記念集会に参加してきました。
天安門事件といえば、1989年6月4日に、民主化と政治の腐敗を訴えた
若者や市民達が大量虐殺された事件です。

パネリストには、中国民主化活動家だけでなく
チベット、ウイグル、南モンゴル、ビルマの専門家、代表者や
人権派弁護士、アクネスティ、ヒューマンライツウォッチなど
様々な顔ぶれでした。

何よりおどろいたのは、今日パネリストとして登壇予定だった
ウーアルカイシ(オルケシ)さんの逮捕の報。
ウーアルカイシは、中国読みで、本来はオルケシ、又はウルケシさんですが、
わかりやすく、ウーアルカイシさんと書きます。

大使館侵入容疑で逮捕、ウーアルカイシ氏か
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4444630.html

集会で伝えられた、詳細を。
午後14時頃に大使館前で今回の集会の主催者らで抗議活動、
その後抗議文を投函。
(中国大使館抗議はとても厳戒態勢で、5名づつしか近づけず、大使館の向かいの道路から抗議、コールなどをして、その後抗議文投函というのが、一般的!?な中国大使館への抗議活動です)


団体ではなく個人として中に入りたい(自分は指名手配されているから、自首してくる)との事で警察と大使館側に伝え、返答を待つ。2、30分待っても返答がない中、足を敷地内に踏み入れたとたん拘束されたとの事。

逮捕後、ウーアルカイシさんと話した弁護士の話。
~弁護士さんの話を聞きながらの走り書きなので原文ままではありませんし、
聞き落としや、多少の間違いはあるかもしれませんが、ご容赦を~


ウーアルカイシさんからみなさんへ。


「集会に参加できず申し訳ない。残念です。現在の健康状態は良好です。
現在の中国情勢に対し非常に悲しく思っている。中国は現実と向き合っていない。
中国市民もその状態にマヒしてしまってるかのようだ。しかし、そんなにはマヒしてるわけではない。
劉暁波さんはじめ、ネットでも数千、数万の活動している人がいる。
今日、飛び込んだのも彼ら劉暁波さん(懲役11年確定)にわかってもらいたいからだ。覚悟もあった。


現時点で釈放の目処はたっていません。

良ければ、一日二日で起訴前に釈放。

悪ければ、そのまま長く拘留。

おおかたの話の予想では、早く出てきそうではありますが、
なんとも言えません。

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共同通信|天安門追悼に今年も15万人 香港、昨年に並び過去最多 2010/06/04 23:47
http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060401000889.html


 【香港共同】天安門事件から21年となる4日、学生らを武力弾圧した中国政府を批判し、犠牲者の冥福を祈る毎年恒例の追悼集会が香港のビクトリア公園で開かれ、過去最多だった昨年に並ぶ約15万人(主催者発表)が参加した。

 集会は市民団体「香港市民愛国民主運動支援連合会」の主催。2008年以前は毎年4万~6万人の参加にとどまっていた。事件から20年だった昨年に続く盛り上がりの背景には、中国で最近、民主活動家や人権派弁護士への締め付けが強まっていることへの反発があるとみられる。

 香港大学の最近の世論調査では、当時の民主化運動を「政治風波(騒ぎ)」と位置付ける中国政府に事件の再評価を求める香港市民が60・7%に達し、過去最高だった昨年とほぼ同水準だった。

 集会で参加者はろうそくを手に犠牲者を追悼。スクリーンには事件当時の現場の様子などが流れた。今回初めて参加した会社員譚蛍瑜さん(24)は「政府に反対するだけで市民を殺すような国は許せない」と話した。

2010/06/04 23:47 【共同通信】

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時事ドットコム|活動家らへの監視強化=天安門事件21年で中国当局 2010/06/04-20:29
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010060400923


 【北京時事】中国で民主化運動が武力鎮圧された1989年の天安門事件から21年を迎えた4日、中国当局は天安門広場周辺で警戒態勢を敷くとともに、民主活動家らへの監視を強化して抗議活動を封じ込めた。
 同事件で家族を失った人たちの一部は3日夜から4日にかけ、警察の厳重な監視の下で、現場での追悼や墓参が認められたが、メディアの取材は排除された。
 中国人権民主化運動情報センター(本部香港)によると、元学生リーダーとして同事件で投獄された広東省深セン市の馬少方氏や河南省安陽市の郭海峰氏は3日夜、メディアの電話取材を受けていた最中に通信が遮断され、連絡が取れない状態になった。当局は元リーダーらが香港での追悼行事に参加するのを警戒して監視を強化しているという。(2010/06/04-20:29)

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サーチナ|明日、天安門事件21周年…中国の検索サイトではヒット「0」件 2010/06/03(木) 11:34
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0603&f=politics_0603_004.shtml


  1989年に発生した「天安門事件」は、明日6月4日で21周年を迎える。中国のインターネットでは、「天安門事件」の検索が不可能な状態が続いている。

  天安門事件は中国で、発生日付を取って「六四」などと呼ばれる。中国の大手検索サイト「百度」を利用して、「六四」の文字でウェブ検索すると、ヒット数は26万9000件。しかし同事件に関係するサイトは見当たらず、「自室内で“六四”式拳銃を模造した6人に判決」など、「天安門事件」と関係のないサイトが並ぶ。なんらかの規制が実行されていることは、明らかだ(写真)。

  一方、中国大陸から撤退し、香港を拠点に中国人向けサービスを続けるグーグル(Google)の簡体字(中国大陸で使用の略字)版で検索すると、ヒット数は307万件。天安門事件を扱った「六四図片、資料」、「六四:天安門大的図片」など、89年の天安門事件関連のサイトが、ずらりと並ぶ。同ページ下にある「関連キーワード」部分でも、挙げられた10語はすべて、天安門事件関連だ。

  中国では、「天安門事件」を語ること自体が政治的タブーである状態が続いている。関連した「胡耀邦」、「趙紫陽」などの政治家に対する論評も「政治的に極めてデリケート」とされているが、現任の胡錦濤国家主席、温家宝首相らは、胡耀邦元総書記の「子飼い」ともいえる系譜に属し、温首相は胡耀邦総書記を高く評価する文章を2010年4月15日付の人民日報で発表した。
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◆解説◆
  熱心な改革派として知られ、87年に辞任に追い込まれた中国共産党の胡耀邦元総書記が89年4月15日に死去。追悼デモが民主化を要求する大衆運動に発展して、学生らが北京市中心部の天安門前広場を占拠。李鵬首相(当時)への辞職要求の声も強まった。中国共産党・政府は6月4日に軍を投入して武力鎮圧。死傷者については、いまだに諸説がある。

  天安門前広場では1974年4月5日にも、同年1月に死去した周恩来首相を追悼する人々と当局が衝突。周首相追悼を、現政権批判と判断した当局側の弾圧だった。74年の事件を「第1次天安門事件」、89年の事件を「第2次天安門事件」と呼ぶことがある。(編集担当:如月隼人)

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YOMIURI ONLINE|天安門事件21年、米が民主活動家の釈放要求 2010年6月5日10時51分
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100605-OYT1T00308.htm


 【ワシントン=黒瀬悦成】クローリー米国務次官補(広報担当)は4日、中国で民主化運動が武力鎮圧された天安門事件から21年となるのに合わせて声明を発表し、中国共産党政府に対して、運動に参加したことを理由に現在も投獄されている民主活動家を全員釈放するよう要求した。

 声明はまた、事件で殺害や拘束されたり、行方不明となった活動家に関する情報を公開することや、活動家や事件犠牲者の家族に対する嫌がらせをやめるよう要請。中国政府に対し、すべての市民の普遍的人権を守るよう促している。

(2010年6月5日10時51分 読売新聞)

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教育の原点を考える|天安門事件とテレサテン 2009年4月 3日 (金)
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2009/04/post-8ca2.html


・・・また、有田芳生氏も天安門事件について同書の中で以下のように書いています。

 天安門事件は、意外な波紋を世界に及ぼしていた。東欧諸国の社会主義体制が崩壊する象徴となったベルリンの壁の撤去である。そこに至る発端となったのは、東ドイツの中国大使館に対する抗議デモだった。テレサはベルリン市民が壁を破壊するシーンをニュースで見ていた。11月11日のことである。 『私の家は山の向こう』p.186

 残念ながら、有田氏もテレサ・テンも天安門事件の背景について誤解しています。確かに、表層的には1989年6月4日の天安門事件を起こしたのは、小平ら党内の長老グループを中心とした保守派とされています。しかし、実質的な犯人はアメリカ(CIA)でした。また、有田氏はベルリンの壁の撤去の発端は、東ドイツの中国大使館に対する抗議であったと述べていますが、これも違います。

このあたりを明白に書いているのが故坂口三郎氏です。少し長くなりますが、以下に同氏の『世界騒乱の本質 天安門の黒い主役』(明窓出版、以降『世界騒乱の本質』)から引用しておきます。

 昨年(1989年)5月、北京の天安門広場の騒ぎは、元CIA長官、中国通、ブッシュの悪知恵から出たものである。

 このため、30年間断絶していた中ソ国交回復のために北京を公式訪問したゴルバチョフは北京に入ることもできず、空港で形だけの式典を済ませてモスクワに帰らねばならぬことになった。

 ブッシュの知謀はみごとに成功した。
 それから半年後、ベルリンの壁が撤去された。これが北京におけるブッシュの仕打ちに対するゴルバチョフの応答であった。

 これは、春の天安門事件よりも深刻な衝撃を欧米、特にフランスとイギリスに与えた。
 あわてたのはブッシュ、恐怖したのはミッテラン、困惑したのはサッチャー、歓喜したのは全ドイツ国民、戸惑ったのは日本の政治家、気をよくしたのは北京の首脳達であった。

 天安門広場におけるスローガン“自由と民主化”には実体はない。しかしベルリンの壁の撤去は40年間にわたってドイツ民族を苦しめてきた民族の血を喜びに沸かし、東欧諸民族を解放し、米、英、仏、の占領体制を崩壊させるものであった。

 第一次大戦におけるカイゼルの敗北はドイツにベルサイユ体制という苛酷な重圧を押しつけ、ヒットラーが出てこれを破壊したが、その破壊と共に、ヒットラー自身もその業績も消滅して、ソ、英、米、仏の戦勝国四ヶ国による占領体制がつづいたのであったが、その四ヶ国の中の最もドイツに対して強力な実力を持つゴルバチョフがこれを解放したのである。英も、仏も、米も、これに対して有効な打つ手はない。それで、全ヨーロッパの国家とその権力者達は動乱した。

 超大国の迫害と弾圧に苦しんできた全世界の弱小諸民族は解放と自由に奮起した。
 世界の現状を見て、共産主義の終焉失敗、資本主義の成功勝利、と考えるものが多い。しかしそのようなことはあり得ない。

 すでに明らかにしたとおり、四次元時空の宇宙の大法則により現在が過去化することはない。第二次大戦後の世界の現実は、共産主義よりも先に資本主義が滅びているのである。資本主義は、全体主義の王国、大英帝国の衰退から始まり、第二次大戦後のアメリカの金本位帝国によってその余暇を維持してきたが、ジョンソンとニクソンのベトナム制服の失敗によって昭和45年(1970)金ドルの交換は停止され、8月15日から資本主義は機能を喪失、脳死したのである。 『世界騒乱の本質』p.33

 基本的に私も坂口氏の上記の主張に同意します。ゴルバチョフのソ連と小平の中国は、中ソ国交回復に水を注されただけでなく、中国は深刻なイメージダウンにつながりました。そして、それに対する報復が半年後に起こったベルリンの壁の撤去という形になって現れたことになります。爾来、20年の歳月が流れ、すでに1970年に壊死していた資本主義は、誰の目からも明らかな形でを2008年9月16日(リーマンブラザーズの倒産)に臨終を迎えるに至りました。

 現在の世界的な経済危機は百年に一度どころではなく、数百年に一度の割りで起こる、欧米主導型の資本主義の「リセット」であるという点に注意が必要です。これは今年の1月に久しぶりに会った脱藩道場の道友が主張していた点であり、私も正にその通りであると思います。巷では欧米型資本主義の終焉とか、中国の時代になるとか、日本が世界の牽引車になるとか色々と言われていますが、数百年のタイムスパンから見れば、やはり今度台頭するのも形を変えた欧米主導型の“新資本主義”のはずです。

 それに加えて、産業革命が人類の思考・行動様式を根底から変えてしまったように、現在進行中の情報革命が間もなく完成し、誰の目にも明らかな形で登場した時点で、またもや人類は新たな大転換期を体験し、今までになかった全く新しい思考・行動様式を身につけていくことになると思います。リセットされた“新資本主義”と情報革命とが組み合わさって、どのような時代を迎えるのかと思うと、つくづく凄い時代に生まれ合わせた幸運に天に感謝したい気持ちで一杯です。