コドモの王国

文部科学省解体による教育自由化で、
効率のいい学習方法が日本中に広がる、
と思っているブログ。

学校に行く意味

2008年06月29日 | weblog
一期一会 キミにききたい! 学校に行く意味の話 1/3


一期一会 キミにききたい! 学校に行く意味の話 2/3


一期一会 キミにききたい! 学校に行く意味の話 3/3


上に貼り付けている動画は、教育テレビで放送されていたものです。
学校が楽しくてしょうがない女性、学校が苦痛でしょうがない男性、
この対比が本当に面白かった。

2人とも、基本的には前向きな人物なので、どちらに対しても好感が持てた
まま最後まで観る事が出来ました。

私はこの2人を観ているうちに、村上春樹の小説の一文が思い出されました。
デビュー作『風の歌を聴け』の最後の方に、ニーチェの次のような言葉が
引用されます。
「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。」

学校が大好きな感受性のこの女性は、そのまま素直にそれを出せば、教師にも親にも、気に入られ、可愛がられます。それはまるで「東京ディズニーランド」に行って、「ディズニー最高!」と喜んでいるのと、同じ次元です。

かたや学校を苦痛と受け取る感受性の男性は、そのまま素直にそれを出せば、教師にも親にも、不審がられ、怒りを買います。ただ「ディズニーランド面白くない」
と思ってる程度の事なのに。ディズニーのキャラクターにも、乗り物にも興味がない。人が多いところも苦痛だ。

それを素直に言っても、誰も納得しない。なんであの学校大好き少女のように
なれないの?と教師などから批判されます。彼女はディズニー・キャラに囲まれ
大はしゃぎ、乗り物にも歓喜の声を上げています。人がたくさんいるのも、お祭りみたいで最高!そんな彼女を教師たちも気に入っています。まさに相思相愛のしあわせな関係。

校則や、授業の意味や、教師やクラスメートとの人間関係に悩んだり、疑問に思う
彼は、自分なりの正義や理想と、現実とのギャップに苦しみますが、その何層にも何層にも重ねられていく、傷だらけの深層心理が報われる事はありません。
何も考えないで、大人が差し出したものを喜んでるあの女の子の、なんと
キラキラした学生生活か。

と、そんな事を考えていました。
あの不登校になったフリースクールの少年少女たち。自分のように、不登校には
ならなくても、学校の存在そのものを疑問視してる者たち。

そんな人間の、夜の闇の深さは、
あの女の子のような、太陽の光には、理解なんか出来るものか。

それを随所に感じた番組でした。

【学校大好きの女性と、その恩師にあたる高校の先生のお二人に
関して言えば、本当に心から誠実な、いい方たちだと思いました。

現在の教育システムを、まったく疑問に思っていないところは、
分かり合う事は皆無でしょうが、個々で意見が分かれるのは当然なので。】
















感謝の手紙

2008年06月29日 | weblog
【『「ダメな教師」の見分け方』(戸田忠雄・著)より】

2ヵ月ほどたって、ある女子生徒から手紙をもらいました。

半年ほど前から、クラスで一部の者から陰湿ないじめに
あって悩んでいたが、全校集会の校長先生の話以来、
ぴたりとやんだ。

そして、しばらくは気まずい関係だったが、最近は、
いじめていた生徒たちとも冗談を言い合える仲になった。

そこでどうしていじめなくなったか聞いたら、
「校長にチクられたらヤバイじゃん」と言った。

「私はそんなことしないよ」と言ったが、
「あんたがしなくても、ほかの者がチクルかもしれん」
と言ったそうです。

どうして、もっと早くこうした処置を先生方はとって
くれなかったのか。
先生たちは知らないが、いじめられてケガをした男子生徒が、
不登校になったケースもある。
あらましこのような主旨のものでした。

話を聞いたPTAの役員や保護者からも賛意をよせられ、
保護者もいじめの情報を、学校に通報するよう協力して
くれるようになりました。

やはり、教師は生徒のためにと思っているが、
実際は、自分たち教師本位の狭い考えや、勝手な思い込みを
押し付けている場合が多いのではないか、と思います。






チクルことは正しい!

2008年06月29日 | weblog
【『「ダメな教師」の見分け方』(戸田忠雄・著)より】

「チクルことは正しい」と題して、あらまし次のような
話をしました。

「多数で少数者をいじめるのは卑怯な行為である。
だからこれを学校当局に通報するのは、
犯罪行為を警察に通報するのが、
市民の義務であるように正しいことである。

犯罪行為を目撃したら、市民はただちに警察に通報するだろう。
それが市民の義務だ。
それと同じように校内外で生徒間のいじめを目撃したら、
止めよとは言わないが通報してほしい。

それが生徒としての最低の義務だ。また、友達でいじめ
られているという情報があれば、それも通報してほしい。
ともかく、いじめの事実の手がかりになるものを
教えてほしい。

校長か教頭に直接電話をしてくれ。
通報者がだれか特定できないように、責任を持って処理する。
いじめでケガをさせ金品を強要したら、
すぐに警察に突き出す。

学校の名誉より、君たちの人権を守ることを最優先する。
あいまいなことはしない。
いじめのない学園にするために、校長の責任において
いじめられた者を徹底的に守る」
と呼びかけたのです。





反対する者たち

2008年06月29日 | weblog
【『「ダメな教師」の見分け方』(戸田忠雄・著)より】

いじめに遭遇したら、直接電話で生徒指導なり、教頭なり、
校長に通報するように、全校生徒に呼びかけるのはどうかと
提案したのです。

何よりも、学校あげて匿名の通報システムを取り入れた
ことを告知すれば、すぐ学校にバレるからまずいという、
いじめ抑止効果が期待できる。

ベストではないかもしれないが、何もやらないより
ましではないか。

ところが、職員会議では
「生徒たちに密告(チクリ】を奨励するのか
「生徒間の友情が壊れる
など、《おためごかし》の観念的な反対が多数をしめて、
結局、担任レベルでの対応はしないことになった。

そこでやむをえず、始業式の全校集会の校長講話の中で、
直接、生徒達に話すことにしました。



いじめ防止対策

2008年06月29日 | weblog
【『「ダメな教師」の見分け方』(戸田忠雄・著)より】

2年間の教頭任期を終えて、平成5年に、ある地方都市の
M校の校長として赴任しました。

M校にとって一番の課題は「いじめ防止」でした。
いじめも、中高生ともなれば暴力性をおびて危険
であるから、実効性のある防止策を考えることの
ほうが、生徒のためになります。

だいたい、いじめを止めに入った者が、今度は
十中八九いじめられる。生徒達はそのあたりの
事情を熟知しているから、目撃しても自分に
類が及ぶことは絶対しないのです。

ここがいじめ防止の困難点です。

それに、教師に目撃情報を通告することは
チクリ行為であり、仲間意識の強い思春期の
子どもには恥ずべき行為とされています。

そこで、私自身でいじめの防止と目撃者の保護が
眼目の通報システムの素案を作ってみた。




センセイ君主

2008年06月28日 | weblog
【『「ダメな教師」の見分け方』(戸田忠雄・著)より】

「子どもが好きで、先生になった」とか、
「子どもが好きだから、先生になりたい」という
言葉をよく聞きます。

教員採用試験の志望理由には、
「子どもが好きだから」と、たいてい書いてあります。

子どもが好きというのは、当人は気が付かないが、
「自分の言うことを素直に聞く」あるいは
「自分の思い通りになるから」好きと言っているのと同じです。

子どもが好きだから先生になった教師は、
好きな子どもだけを周囲に集めるようになる
心性が生じてきます。

頭がよくて主体性のある子どもは、必ずしも
思い通りにならないから、教師からみて
「可愛げがない」ので好かれないのです。



子どものケンカに親が出ましょう

2008年06月27日 | weblog
【『いま、「学校」から子どもを守るために親ができること』より】

お金を取るとこまできたいじめは、途中で止むことは
ありません。行きつくところまで行きます。

中学生ぐらいになれば、いじめられている本人の意思を
無視するわけにはいかないので、話し合います。

親の助けが必要だとなったら、担任に会いましょう。
その時、子どもから綿密に事情を聞いて、
いつ、どこで、誰に、どのように、を確認し、正確に
メモします。

次に、いじめでついた体の傷の写真、重いケガなら
医師の診断書、経費支払い書、汚された持ち物の写真、
新しい物を買った領収書などの客観証拠をそろえます。

最初から担任に客観証拠を示す必要はありませんが、
責任転嫁の名人みたいな先生も少なくないので、
その時には示しましょう。

「善処します」というだけで改善されない場合は、
具体的に何日以内にいじめをなくさせるか、
約束をとりつけます。

そのとき後日の証拠のために、密かにやりとりを
テープに録るのです。

それでも改善されないなら、校長なり教育委員会に申し出るか、
法的措置をとるという、最後通牒の文言を入れた文書に署名捺印
させるぐらいのことが必要になるかもしれません。

このくらいやれば、いい加減な先生もビビり、真剣になります。


いじめを見抜く方法

2008年06月27日 | weblog
【『いま、「学校」から子どもを守るために親ができること』より】

親として子どもをどのように守るか。
その前提として、いじめを見抜くポイントを、まとめました。

〔1〕子どもの持ち物がなくなる。
〔2〕体を親に見られるのをいやがるようになる。
〔3〕腹痛や頭痛などが多くなる。
〔4〕必要以上にお金をほしがるようになる。
〔5〕学校にいくのをいやがる。

いじめの初期は、からかいやシカトです。

中期は、上履きを隠したり、モノをぶつけたりして、
体にかすり傷やアザができます。
繊細な子どもは、お腹が痛くなったり、頭が痛くなったり
して、学校に行きたがりません。

最終段階はお金をせびられます。
この段階になると暴力をともないます。
いじめる方もここまでくれば引き返せません。
千円とるのも十万円とるのも同じことだと、
感覚がマヒしてきます。

こうなるとヤクザの恐喝や暴行となんら変わりません。


学力に応じて教えるのがプロです

2008年06月27日 | weblog
【『いま、「学校」から子どもを守るために親ができること』より】

学校には、妙な横並びの平等原則があるので、学力差によって
クラス編成をすることに躊躇しますが、そのことが、子どもを
塾へ通わせたり、家庭教師をつけなければならない最大の理由
なのです。

学校では、差別になるというので、習熟度別クラス編成は
タブーです。

しかし、学力の違いがあるのに、一緒に勉強させられる
子どもたちこそ迷惑です。

できる者は手を抜くし、できない者は分からないし、
双方にとって不幸なことです。
         

〔この本は、2001年5月に発行されたものですが、
7年前に書かれたことが、最近になってちらほらと、
実験的に習熟度別クラス編成がなされるようになりました。
遅っ!!!!
こんな事は、他業種のように市場原理にまかせていたら、
昭和30年代には、日本中で当たり前の事に
なってたはず。

そうしてたら、どれほどの「浮きこぼれ」「落ちこぼれ」が
出ずに済み、累積すれば天文学的になる「無駄な時間」がなくなって
いただろうか?

「教育」って、すぐに「国益」と結びつけるけど、
いまの教育システムが、国益にかなっているとは
私には思えません。〕










校則

2008年06月27日 | weblog
【『いま、「学校」から子どもを守るために親ができること』より】

国や自治体など公のルールは、ルールを作った議員たちにも
当然適用されます。

自分で自分をしばるルールを作るのですから、おのずから、
自分でも守れるような合理的な法を作るということです。

学校の校則は、一時期より改善されていますが、やはり
相当におかしい校則がいっぱいあります。

どうしてこうなるかといえば、校則の適用を受けない人が
作ったからです。

教師側の主観で決めるからです。



授業を見に行くことが、究極の情報公開

2008年06月27日 | weblog
【『いま、「学校」から子どもを守るために親ができること』より】

わたしは、ぜひ父母のみなさんが、子どもの通っている
学校へ授業公開を求めてほしいと思います。

PTAのあとに儀式のように行う授業参観ではなく、
ふだん着の授業を、いつでも自由に見ることができるのが
望ましいのです。

父母のみなさんが授業を見るメリットは、いろいろ
あります。

教室の雰囲気がわかりますし、先生の様子もつかめます。
そして大事なことは、見られる教師の態度が変わります。

お断りしておきますが、こうした提案は、かんたんには
通らないかもしれません。というのはかならず教師が
反対します。

先生たちにとって、教室は自分たちの王国であり聖域なのですから。

たいていは自分たちの都合で反対するのですが、
《教育的配慮》というあいまいな理由をつけます。

この場合いちばん多いのは、「生徒の気が散る」でしょうが、
じつは、大人たちに見られて、気が散っておちつかなくて
困るのは、先生のほうなのです。

先生は、いままで子どもを相手に教室の王様だったので、
ダメ教師でもやりたい放題でした。

こんどはそうはいきません。
大人が見ています。理屈に合わないことはできません。
       
〔上記の文章を読んでいて、私なりに思ったことは、
先生側が、大人たちから見ても「まともで、常識的」なのにも関わらず、
生徒側が、大人たちから見た時「我が儘で、理不尽」な場合、
その生徒たちに対して、父兄の方から、「教室からの排除」などを
求める場合もあるのでは?
というものでした。

「父兄たちの眼」を「社会常識」だとした時、
学校という社会から隔離された世界で、
教師側、生徒側ともに「非常識化」したものが、
その父兄の眼にさらされ、
学校外からの圧力をうけることで、正常化していく。

これは「常識的」な教師、生徒にとっては、
非常識なものが横行していた被害から、
解放される大きなメリットでは、と思ったのです。〕
















親をクレーマー扱いは、教師の思いあがりです

2008年06月25日 | weblog
【『いま、「学校」から子どもを守るために親ができること』より】

公立学校の校長から、予備校の校長になってみて、
いかに公立学校の校長が気楽であったかがわかりました。

クレーム(苦情)も、学校だと遠慮したり手加減してくれ、
学校側もそれに甘えています。

予備校ではそうした甘えは許されません。
かりに合理性に欠ける要求や不満であっても、
それを受け入れなければなりません。

合理性かどうかの判断は、こちらにはなくお客の尺度にあるからです。

学校では、大学を出たばかりの経験2,3年の青年が、
「先生」として扱われます。

まだ23、4の若造が「ほんとうに、あのA子の母親は
ワガママだ。親があんなだからA子もダメなんだ」などと、
職員室でイッパシの口をきいている光景はかなり異様です。

教師本位で、ものを考えるくせがついているからです。
子どもが太陽ではなく、センセイが太陽なのです。