教育改革するらしく、これまでの「ゆとり教育」を
改めるそうです。
「へぇ・・・・・・・・・」
これが私の感想でした。量の問題じゃないだろ?
という意味です。
教育を〈与えている〉側、文科省や教育担当補佐官の
【自己満足】にしか思えませんでした。
例えるなら、百科事典10冊分教えていたけど、
2冊増やして12冊分これから教えます。
だから2冊分賢くなります。エッヘン!みたいな。
でも現実は?
現実の学校は?
現実に教育を〈与えられてる〉〈押し付けられてる〉
生徒の大半は?
テストの時だけ頭に入れて、すぐに忘れるだだ漏れの
知識。それを減らそうが増やそうが何の意味もない。
それよりも個人個人の能力に応じて、学習スピードに
応じて学べるシステムを作るべきなのでは?
と考えます。
英語検定試験や、漢字検定試験のように、
「全国統一」の試験を受けて合格すれば、次のステップへ
進め、落ちてまだ今の段階を理解してないのなら、
分かるまで勉強し直す。そのほうがいいのでは?
算数なら、「たし算」を理解したなら「ひき算」という風に
理解したのなら、どんどん進ませ、小5や小6の年齢でも、
中学生や高校生の問題が解けるなら学ばせばいい。
逆に、小3、小4の問題が解けないなら小5、小6でも
分かるまで前に進めない。
それを義務教育の15歳までやる。
どんなに分からない生徒でも、小学生レベルは理解して
もらう。無理なら16才になっても分かるまで勉強の
面倒はみる。
これなら「落ちこぼれ」も「浮きこぼれ」も出ようがないし、
分からない授業を聞かされる膨大な時間の無駄もなくなる。
それをしないで「ゆとり教育」「反・ゆとり教育」と言っても
意味がないように思えます。
私にはどちらにしたって「落ちこぼれ」と「浮きこぼれ」を
産み出すシステムにしか見えないからです。
改めるそうです。
「へぇ・・・・・・・・・」
これが私の感想でした。量の問題じゃないだろ?
という意味です。
教育を〈与えている〉側、文科省や教育担当補佐官の
【自己満足】にしか思えませんでした。
例えるなら、百科事典10冊分教えていたけど、
2冊増やして12冊分これから教えます。
だから2冊分賢くなります。エッヘン!みたいな。
でも現実は?
現実の学校は?
現実に教育を〈与えられてる〉〈押し付けられてる〉
生徒の大半は?
テストの時だけ頭に入れて、すぐに忘れるだだ漏れの
知識。それを減らそうが増やそうが何の意味もない。
それよりも個人個人の能力に応じて、学習スピードに
応じて学べるシステムを作るべきなのでは?
と考えます。
英語検定試験や、漢字検定試験のように、
「全国統一」の試験を受けて合格すれば、次のステップへ
進め、落ちてまだ今の段階を理解してないのなら、
分かるまで勉強し直す。そのほうがいいのでは?
算数なら、「たし算」を理解したなら「ひき算」という風に
理解したのなら、どんどん進ませ、小5や小6の年齢でも、
中学生や高校生の問題が解けるなら学ばせばいい。
逆に、小3、小4の問題が解けないなら小5、小6でも
分かるまで前に進めない。
それを義務教育の15歳までやる。
どんなに分からない生徒でも、小学生レベルは理解して
もらう。無理なら16才になっても分かるまで勉強の
面倒はみる。
これなら「落ちこぼれ」も「浮きこぼれ」も出ようがないし、
分からない授業を聞かされる膨大な時間の無駄もなくなる。
それをしないで「ゆとり教育」「反・ゆとり教育」と言っても
意味がないように思えます。
私にはどちらにしたって「落ちこぼれ」と「浮きこぼれ」を
産み出すシステムにしか見えないからです。