神戸新聞にこんな記事があった。
「山、海へ行く」のキャッチフレーズのもと、神戸市の開発行政を支え、昨年稼働を停止した「須磨ベルトコンベヤー」で、須磨海岸(神戸市須磨区)に張り出した桟橋の本格的な撤去作業が二十八日、始まった。
同コンベヤーはトラックの排ガスや騒音公害を防ぐために開発され、一九六四年に始動した。
同市西区の神戸複合産業団地から同海岸まで総延長一四・五キロで、これまでに計五億七千八百万トンの土砂を搬出した。削られた山では宅地が開発され、土砂はポートアイランドや神戸空港島の礎となった。
この日午前、土砂を船に移しかえる長さ約四十五メートルの「トリッパー」を二つに切断、クレーンでつり上げ、船に積み込んだ。トリッパーの撤去は三月一日まで続けられる。桟橋は年内をめどに撤去を終える予定。
**************************************************************************
須磨ベルトコンベアは西区など神戸の山を削って出た土砂を神戸港へ運ぶのにトラックで運ぶ代わりの手段として考え出されたもので、昭和38(1963)年に建設が開始され、昭和39(1964)年に稼動を始めたものである。以来42年。運ばれた土砂はポートアイランド、神戸空港島の基礎となった。この「株式会社神戸市」の象徴とも言える須磨ベルトコンベアが運用を止めたのは昨年の9月。須磨の桟橋はJRや山陽電車、国道2号線からもみえ、いわば須磨海岸の風景の一部になってしまっていた。それがなくなってしまうのは、一抹の寂しさを感じる。
「山、海へ行く」は、山と海に挟まれ東西に細長い神戸市が発展していくために北部の山を切り開くしかなく、その際に出る大量の土砂を「捨てる」先として神戸港があり、それを基礎として港内に海上都市を出現させ、土地不足に悩んでいた旧市街の問題を一気に解決させようという会心のアイディアであった。これは一応の成果を上げたといえるだろう。西区には(空き地も目立つが)住宅地や工業団地が広がり、神戸市民の多くがそこに住んでいる。神戸港にはマンションが林立し、多くの企業が立地した。もし、これをトラックでやったらその排気ガスで神戸市は大変なことになっていただろう。そういう意味でもこの須磨ベルトコンベアは神戸の成長を支えた立役者であった。
僕は小学生だった頃にポートピア博覧会がポーアイで行われ、北九州から見に行ったが、そのときに初めて、「この島が人工の島で土はベルトコンベアで山から運んで船に積んだものだ」と聞いたときの驚きは今でも覚えている。しかし、同時に「いつまでもそんなことしたら、山がなくなってしまうのではないか?」とも思ったっけ。
須磨ベルトコンベアはその使命を終え、その姿を消そうとしている。そして大規模開発の時代は終わった。もう、海に山が行くことはないのだ。これからは大規模開発に頼らない都市の発展を目指さねばいけない。それは、これまでとは違う「住民の視点に立った開発」とつながっていると思うのだが。
「山、海へ行く」のキャッチフレーズのもと、神戸市の開発行政を支え、昨年稼働を停止した「須磨ベルトコンベヤー」で、須磨海岸(神戸市須磨区)に張り出した桟橋の本格的な撤去作業が二十八日、始まった。
同コンベヤーはトラックの排ガスや騒音公害を防ぐために開発され、一九六四年に始動した。
同市西区の神戸複合産業団地から同海岸まで総延長一四・五キロで、これまでに計五億七千八百万トンの土砂を搬出した。削られた山では宅地が開発され、土砂はポートアイランドや神戸空港島の礎となった。
この日午前、土砂を船に移しかえる長さ約四十五メートルの「トリッパー」を二つに切断、クレーンでつり上げ、船に積み込んだ。トリッパーの撤去は三月一日まで続けられる。桟橋は年内をめどに撤去を終える予定。
**************************************************************************
須磨ベルトコンベアは西区など神戸の山を削って出た土砂を神戸港へ運ぶのにトラックで運ぶ代わりの手段として考え出されたもので、昭和38(1963)年に建設が開始され、昭和39(1964)年に稼動を始めたものである。以来42年。運ばれた土砂はポートアイランド、神戸空港島の基礎となった。この「株式会社神戸市」の象徴とも言える須磨ベルトコンベアが運用を止めたのは昨年の9月。須磨の桟橋はJRや山陽電車、国道2号線からもみえ、いわば須磨海岸の風景の一部になってしまっていた。それがなくなってしまうのは、一抹の寂しさを感じる。
「山、海へ行く」は、山と海に挟まれ東西に細長い神戸市が発展していくために北部の山を切り開くしかなく、その際に出る大量の土砂を「捨てる」先として神戸港があり、それを基礎として港内に海上都市を出現させ、土地不足に悩んでいた旧市街の問題を一気に解決させようという会心のアイディアであった。これは一応の成果を上げたといえるだろう。西区には(空き地も目立つが)住宅地や工業団地が広がり、神戸市民の多くがそこに住んでいる。神戸港にはマンションが林立し、多くの企業が立地した。もし、これをトラックでやったらその排気ガスで神戸市は大変なことになっていただろう。そういう意味でもこの須磨ベルトコンベアは神戸の成長を支えた立役者であった。
僕は小学生だった頃にポートピア博覧会がポーアイで行われ、北九州から見に行ったが、そのときに初めて、「この島が人工の島で土はベルトコンベアで山から運んで船に積んだものだ」と聞いたときの驚きは今でも覚えている。しかし、同時に「いつまでもそんなことしたら、山がなくなってしまうのではないか?」とも思ったっけ。
須磨ベルトコンベアはその使命を終え、その姿を消そうとしている。そして大規模開発の時代は終わった。もう、海に山が行くことはないのだ。これからは大規模開発に頼らない都市の発展を目指さねばいけない。それは、これまでとは違う「住民の視点に立った開発」とつながっていると思うのだが。