ザ・ドリフターズの仲本工事(なかもと・こうじ、本名興喜=こうき)さんが19日午後10時22分、急性硬膜下血腫のため死去した。81歳。東京都出身。仲本さんは18日午前、横浜市西区の交差点を横断しようとして乗用車にはねられ、頭部を強打。同市内の病院に搬送され、開頭手術を受けて入院していた。所属事務所の関係者によれば、妻で歌手の三代純歌(54)、娘、チーフマネジャーが最期に立ち会ったという。(デイリー)
先日、交通事故にあって、重傷というニュースは見ましたが、お亡くなりになってしまいました。長さん、ケンさんに続いて三人目。ザ・ドリフターズもカトちゃんとブーさんだけになってしまいました。8時だよ全員集合!を見て育った世代としては、本当に寂しいなと思います。ザ・ドリフターズの中ではあまり目立つ存在ではなかったように思うけど、いないとなんかコントも調子でないという、なくてはならない存在でした。もともとはザ・ドリフターズはコミックバンドですし、音楽の方でもいろいろやられていたそうです。
仲本さん、天国の長さんとケンさんに会ったら、「なにやってんだよ、交通事故なんて」なんて言われるのかな。
河野デジタル大臣は現行の健康保険証や運転免許証を2024年にも原則廃止し、マイナンバーカードに統一する方針を示した。健康保険証は2024年秋にも原則廃止、運転免許証については、2024年度末の切り替え目標を前倒しできないか警察庁と検討中だという。
噂?では聞いていましたが、具体的に時期が示されました。これで、マイナンバーカードの取得率が上がるか。個人的には、住民票をコンビニで発行できるサービスも使うことないし、健康保険証も病院行かないなら意味ないし、なんというか、いつもの生活で役に立つような機能ないんですかね。まあ、お薬手帳を病院に行くときにいつも忘れてしまうので、これを組み込んでくれるとありがたいんですが。私たち一家はマイナンバーカード、すでに持っていますけど、実家はまだです。少し後押ししてあげないといけないかもしれません。
またしても訃報。アントニオ猪木さんが10月1日の朝7時40分に心不全のため亡くなりました。享年79歳。プロレスラー、国会議員としての活躍は今ここで書く必要はないぐらい有名ですが、2020年に自身のSNSで、難病の「心アミロイドーシス」と診断されて闘病を続けていることを公表していました。闘病生活は時々TVでも紹介されて、病魔に侵されてもなお「闘魂はついえず」という様子を見させてもらっていました。ご病気で決して、力強さはないのに、すごい生命力を感じて、こっちが力をもらっているなあ、と思っていました。晩年には、地球環境のことに興味があると、これまでのお返しをしたいといわれていましたが、ついにそれが実現することはありませんでした。でも、猪木の闘魂はこれからも私たちの心の中に生きていくと思います。
新日プロレスの興業が北九州市にきていて、猪木さんが地元のデパート(井筒屋だったか)に来ていたんだそうです。そのときたまたま家族で来店していた私たちは、エスカレータで一緒になり、そこで私は猪木さんにだっこしてもらったらしいです。うーん、言われてみればそんな記憶も。。。幼稚園ぐらいの時だからもう50年近く前の話なんで。。。
三遊亭円楽師匠が肺がんのため9月30日に亡くなった。享年72歳。8月には高座に復帰していたが、その後、肺炎を起こし、再入院。そのまま帰らぬ人となってしまった。笑点では、先代の円楽師匠や桂歌丸師匠と面白いやり取りしてたけど、今は天国で3人でなにやってんだよ、とか言い合ってんのかな。これまで落語界を引っ張ってきて、お疲れさまでした。安らかにお休みください。
元新党さきがけの党首、武村正義氏が9月28日に死去。88歳だった。1993年に自民党を離党し、新党さきがけを結党、細川政権のキーマンとして官房長官を務めました。政治改革関連法の成立に尽力し、自社さ三党連立政権では大蔵大臣を務めました。ムーミンパパとかバルカン政治家(語源の元であるバルカン諸国の小国イメージになぞられ、「小派閥・小規模政党を率いる領袖」という意味合い)といわれました。私の中では、お金に汚い政治家の多い中、清廉なイメージで親しみの深い政治家でした。お悔やみを申し上げます。
英国のエリザベス二世女王が8日死去した。享年96歳。即位は1952 年、25歳だった。即位期間は72年に及んだ。第二次世界大戦直後、植民地が次々と独立し、大英帝国の終焉を迎えたときから、EUからの脱退まで激動の時代だった。王位は皇太子のチャールズが引き継ぎ、チャールズ3世となった。
つい三日前にはトラス首相の親任を行い、その時の写真も公開されたが、かくしゃくとした感じだったけど、あれから急に体調が衰えていったのだろうか。チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚問題、そして離婚、1997年のダイアナ元妃の事故死を経て、イギリス王室は国民から不要とまで言われましたが、開かれた王室を目指し、なんとかここまで盛り返したのは、エリザベス女王自身の努力もあったものと思います。最近はほんとうにチャーミングなおばあちゃんといった雰囲気で、国母という言葉がぴったりだというイメージでした。実際は、そんな単純なものではないんでしょうが、今はお疲れさまでしたと言いたいです。
追記:9月29日に(NRS)より死亡診断書が公表された。死因は老衰で、死亡時刻は午後3時10分(日本時間同11時10分)であった。
気象庁は、1日、今年の梅雨期間の確定値を発表した。速報値で四国地方の梅雨は6月13~28日としていたが、6月11日~7月22日と大幅に修正した。当初、梅雨明け1951年の統計開始以来最も早かったが、7月22日だと平年より5日遅い。期間も当初、観測史上最短とみられていたが、大幅に延びることになった。四国のほか、九州南部と北部、中国、近畿、東海、関東甲信の6地方で、梅雨明けの時期を24~28日間ずらし、7月下旬に見直した。北陸、東北南部と北部は特定できないとした。 気象庁によると、一度に多くの地方が大幅に修正されるのは異例。現在の発表形式になった1997年以降、20日以上の修正はほとんどない。同庁は梅雨明けの速報の根拠とした6月下旬から7月初めの記録的な猛暑は「梅雨の中休みと言っていい」と説明。7月中旬から偏西風の南下に伴う上空の寒気の影響で大気の状態が不安定になり、梅雨が続いたと判断した。見直しの原因は「偏西風の蛇行が予想と違い、天気のぐずつきがこれほど長く続くとは思わなかった」としている。(徳島新聞)
今年の梅雨は本当に中休みが長くて、それにすごく暑くて、なんだったんでしょう。今から振り返れば、わかるけど、その当時は、本当に梅雨明け?と思いながらも本気で梅雨の中休みだとは思えなかったですよね。
WNN HPより
京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫(いなもり・かずお)氏が8月24日午前8時25分、老衰のため京都市内の自宅で死去した。90歳だった。
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稲森さんといえば、盛和会、そして京セラフィロソフィー。私たちも直接ではないけど、お世話になりました。数年前には、愛媛に来られて直接、講話を聴くことができました。車いすでの講話ではありましたが、まだまだお元気そうだったのを覚えています。
「人として正しいことを追求する」
つまり、最も基本的な倫理観に基づき、判断していくということ。
稲森さんが、会社を経営していくうえで、「何を基準に判断すべきか」悩み続け続けた果てに、行きついた経営の基本です。
私たちもそれを肝に銘じて仕事をしていきます。
今年の土曜夜市で買った金魚たちですが、2週間たつまでに次々と体調を崩し、死んでいきました。まだ体力がついてないところに、夏の昼間の水温が高すぎて、死んでしまったようです。申し訳ない。。。