今日も大阪へ講演会を聴きに出張しました。それまで時間があったので安倍清明神社と阿倍王子神社を参拝しました。
安倍清明神社と阿倍王子神社がある天下茶屋へは天王寺から阪堺電気軌道に乗ります。阪堺電気軌道は路面電車部分と専用軌道の部分が入り組んだ路線で、伊予鉄にも少し似ているかもしれません。
雑踏のような天王寺駅前を出ると阪神高速の高架下を通過し、松虫駅を過ぎたあたりで専用軌道に入ります。そして次が東天下茶屋です。

東天下茶屋
東天下茶屋には小さいながら商店街があります。神社へ行くにはそちらへ歩いてゆきます。神社は見えませんが、看板があるので迷うことはないと思います。

安倍清明神社
しばらく行くと安倍清明神社です。ここが陰陽師で有名な安倍清明の生誕地と言われています。安倍晴明は、安倍氏の伝える系図によると、大膳大夫の官にある下級貴族安倍益材(あべのますき)の子として摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれました(奈良県桜井市安倍を生誕の地とする伝承もある)。阿倍仲麻呂の子孫を称するが、系図では竹取物語にもその名が登場する右大臣阿倍御主人の直系の子孫であるという説が有力です。生年は定かではありませんが、寛弘2年9月(1005年)に85歳で亡くなったと記録されていることから逆算して延喜21年(921年)生まれと推定されます。
『葛乃葉(くずのは)伝説』によると、晴明の父は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされ、
「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)という男が住んでいました。あるとき、和泉(いずみ)の信田明神(しのだみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました。」
とあります。狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになります。安倍晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘四年(1007年)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されています。

本殿
境内には生誕の地を示す石碑や産湯井の跡などもありますが、やはり占いの受付をしているところが、清明関係の神社らしいところでしょうか。ただし、小さな神社で、次にゆく阿倍王子神社の末社であり、いつも神職がいるとは限りません。僕の時もいませんでしたので、ご朱印はそちらでもらうことになりました。

熊野街道
安倍清明神社の目の前を通る道は「熊野街道」といい、熊野への参拝の道でした。それを南へ50Mほどゆくと阿倍王子神社があります。王子とは参詣途上で儀礼を行う場所で、主たる儀礼は奉幣と経供養(般若心経などを読経する)ということで、神仏混淆的であったといいます。最盛期には100ほどありましたが、その数を減らし、現在残っているものでは、この阿倍王子神社が一番最初となるそうです。ちなみに先日行った堀越神社の境内にも王子がありました。

阿倍王子神社

拝殿
こちらはさすがに大きな神社でした。楠木の保存木がいくつかあり、結構鬱蒼としていました。平日でしたが、ひっきりなしに参拝者があり、そのほとんどが安倍清明神社を目的としていたようで、いまだに清明の人気の高さを感じさせられました。