たつのこ半畳記 350

坐禅会情報・四季折々の様子を伝えるときどき日記。
令和3年に開創360年を迎えている起雲山大龍寺のブログです。

★仏縁、ほっとけん。

2018年01月05日 | 四季折々 寺事折々
今年のお正月も赤坂の豊川稲荷で新年を迎えました。

多くの人が初詣に来られ一年の祈りを新たにされますが、
皆さんをお迎えする側の人もたくさんいるわけで、
そちら側のお手伝いさせいただくようになって十数年が経ちます。
私は例年通り立願所(受付)でご祈祷のお申し込みを受け付け、
それをご祈祷の準備・法要のお坊さんたちに取り次ぐ係です。

多くの人と顔を合わせる部署だけに、様々な出会いもあります。








今年は特に、豊川稲荷の引き合わせかなと思うことも2つほど。



1つは自分のこと。
永平寺で修行していた頃の仲間と十数年ぶりに出会い、
隣の席で共に初詣のお手伝いをすることになりました。
聞けばこれまでずっと非常に近いご縁でつながりはあって、
彼は彼なりに、そして私は私なりに道を歩んでいたようなのです。

彼にとってははじめてのお手伝いとのことで、
たくさんの人がこのように様々な願いをもってお参りをしているとは!
と感慨深げに話されていたのが印象的でした。



2つ目は私と同じようにお手伝いに来ていたお坊さんのこと。
ご祈祷のお申し込みにそのお坊さんと同じ苗字の方が来ました。
苗字が同じであったことから“お札の氏名の記入”をその坊さんに頼むと、
数秒の間、固まってしまい、そして「これ、私の兄です!」と。
間合いを見てご祈祷待ちのお兄さんのもとへ駆け寄って行きました。

後で話を聞くと、これまでの十数年間、どこに住んでいるかもわからず
縁も切れ、離れ離れになっていたお兄さんであったとのこと。

まさか自分がお手伝いに来ているお寺にお兄さんが初詣に来ていたなんて!
お兄さんが申し込まれたお札の氏名を自分が書くという偶然が重なってようやく、
これまでとても近い所ですれ違っていたことがわかり驚いたと。
笑いながら「いきなり甥っ子ができた」と喜んでもいました。









仏教の説く四苦の1つに「愛別離苦」というのがあります。
離れがたい人とも離れざるを得ない苦しみが説かれていますが、
この世に“自分とは関係のない人”は一人もいなくて
誰もが何かしらの関係性が結ばれているのかもしれません。
ならば離れている人とも実はどこかでつながっているのかもしれません。

私たち人間の認識できる一番遠いところ=「縁(ふち)」よりも
もっと遙かに広い人との繋がりも「縁(えん)」なのでしょう。
縁(えん)は人間の認識の縁(ふち)で感じるもの。

私たちは、まだ気付いていないたくさんのご縁に囲まれているようです。
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