明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

私の経歴は最悪らしい

2010年02月15日 19時08分18秒 | 職探しまでのディスタンス



先日派遣会社の案件で落とされ
またしても派遣会社を通したアルバイトの案件で落とされた。
今回のは時給がすごく低いアナログなアルバイトだったのに、だ。

面接に辿り着く前に落ちたわけで
自分の態度だの人柄で落とされたわけじゃない
んでまだマシなのかもしれないが
それでもへこむ。
(いや、もしかしたら案外派遣会社の面談で失敗していたりしてな・・・)

ついでにネットからエントリーした派遣会社からは
連絡もきやしねー。

「あなたには登録してもらう価値もありません」
というレッテルを貼られた気分最高潮だ。

私の経歴書って、たぶんだいぶ最悪なんだろうな・・・。
明日からまた新しいの探さなくちゃな。

春までに見つかるかな、いい職場・・・。
てゆーか
私が雇ってもらえる職場・・・。


諦めるな諦めるな諦めるな・・・

2010年02月12日 13時30分26秒 | 職探しまでのディスタンス



彼氏と離れて暮らすのであれば、私は金を稼がねばならない。
それも、ひとりで部屋を借りて生活していけるだけの金額を。

だがしかし
自分をコントロールできない不安定な私が
数年のブランクを経て突然飛躍的に成長し仕事の量をこなせる人間
にはなってないわけであって
ついでに言ったら
気分的には昔よりもだいぶ臆病になっていて
働き始めるということは
“地獄の一丁目”に足踏み入れるイメージ
のままである。

絶対無理とは言わないが
地獄に以前よりも長く滞在できるほどの根性や忍耐が身についたのか?
と問われれば
「たぶんそれはあり得ない・・・」

であろう。


私にとっては
地獄に行くなら準備しておきたいもの
っつーもんがあって
それがいわゆる就業条件なわけである。

通勤ラッシュを避けられるだとか
業務がそこまで過酷でないとか
人間関係がヤバいことになってない職場とか
まぁ言い出せばキリがないんだが
だがしかし
今の私がそんな条件を出して職にありつける時代ですか?
という壁がここで眼前に立ちはだかるわけだ。


そりゃ無理だろ、妥協しろよ
という話になる。
割のいい仕事だとか、私のやってみたい仕事というのは
私よりももっと若くてかわいらしい前途のある女子の仕事だ。

しかも今は空前の就職難。

採用する側は選び放題だ。
そんなときによりにもよって程度の劣る私のような人材を
好き好んで使う企業など
まずない
と思っていいだろう。

というわけで
私は著しく時給が低いだとか
時給の割に業務がすごく大変だとか
あり得ないような人間のいる環境最悪の職場だとか

そういうところでしか雇ってもらえないという状況に陥るわけだ。


もうそこは諦めろ、自分。

と割り切れるようになってきたのはここ数日。

しかしするってーとあれか?
これから働いて自分を一生食わして行くなんて
本当にできるんですかいな?

という素朴な疑問が浮かぶ。

かわいそうだけどあんたにはもうそんな道は残ってないんだよ
と、耳元で誰かが囁くのはなぜだ・・・。

たぶんそんなに絶望的な状況ではないんだと思うのに
どれが現実なのかわからない一般人の私は
あまりにも暗過ぎる社会の姿に
打ちのめされて挫けそうになってしまう。


でも
諦めるな諦めるな諦めるな。

たぶん、何とかやっていける。
道はたぶん、ある。
なかったら、軌道修正をすればいい。
たとえなくても
ないと認めなければ、あることと同じだ。

まあ、夢のような道はもうあり得ないと思うけれど
なんとか歩けるくらいの道ならば
これからでも歩いていけるんじゃないだろうか。

とりあえずは
焦って走って倒れてしまわないように
ゆっくり歩こう。
まずはそこからだ。

焦るな、私。
そして諦めるな、私。



やっぱりダメだった

2010年02月09日 17時30分56秒 | 職探しまでのディスタンス



派遣会社からあんまりにも連絡が来ないんで
こっちから再び連絡してみたら
「ついさっき結果が出て
残念なことに他の派遣会社で決まってしまいました」

だとさ。

なんじゃそら。


まぁいいんだけどさ。
選考に時間がかかったとかいうのは建前で
とっくに結果出てたんだけど担当者が連絡を忘れてたとか
そういうことも十分あり得るだろうし。
私の経歴じゃ落ちてもまったくおかしくないからな・・・。

と思うからって
今回はヘコんでいる場合ではないのだ。

ちょこっとハローワークに足を運んでみたんだが
ハローワークって何であんなに混んでるんだろうか?

仕事探してる人が多いからでしょ!
という声がいっぱい返って来そうだが
そうでなくて
求人数だってかなりの数あるしそれを求めてやって来る人もたくさんいて
でも手続きみたいなもんは
ほとんど派遣会社と同じようなものではないんだろうか?
カード作って、仕事を探して、窓口で紹介状をもらう。

いや実際ハローワークを通して仕事の面接受けたことないから
その辺の過程が私はいまいちよくわかんないんだけど
たぶんそれだけのことなんだと思うのだ。
一応希望の相談とかはしてんだとは思うんだが
窓口のあの待ち人数は尋常ではない
ような気がいつもする。
あれ、何とかしてもう少し緩和させることってできないのかな?

求職票なるものに記入をして、窓口の職員と一緒に仕事を探す
ということもできるらしいが
これに時間がかかるのだろうか?

というか、ではなぜに検索パソコンがあんなに置いてある?
自分で探している人も
結局は窓口で紹介状みたいなもんをもらわねばならんのだろう?
なぜにそれが同じ窓口で行われているのだ?
それとも別になってあれなのか?

どー考えてもおかしいと思うのだ。
職員の数が圧倒的に足りていないのか?
それならば、求職者を雇ってしまえばよいのではないのか?

ついでに言ったら、ハローワークって
すんげー不親切な気がするのは私だけか?
いくら行政だからって、あんなんでいいのか?
私はいつもわけがわからず
待ち人数が異常に多いフロアに圧倒され
パソコンであの見づらい求人条件をひととおり見ただけで辟易してしまい
もういい、自分で探す・・・
となってしまうのだが
どーやったらあの感じに違和感を持たずに紹介状を受け取る
ところまでいけるのだろうか・・・。

ウェブ上の求人サイトに慣れているせいか
仕事を探す際の求人一覧のあの見難さにもだいぶ腹が立ってしまい
あのまんまでいいんですかハローワークさん
と思ってしまうし・・・。
でも、あれだってずいぶん金かけて取り入れたシステムなんだろう。

ついでに私は今日池袋のハローワークに行ったんだが
池袋ってのは場所が2つに分かれていて
サンシャインのほうでしか求職者に対する業務は行われていない
のだ。
正直私はこれに驚愕した。
どっちも仕事紹介はやってるもんだとばっかり思ってたんだよね。

サンシャインじゃないほうって
建物が全部ハローワークに使われてるっぽい
んだけど(たぶんそうだと思う)
求人募集したい企業向けの業務といったらいいのだろうか
とにかくそこでやってることはどうも企業向けの業務中心らしいのだ。
(厚生労働省のページには
求人受理、雇用保険適用、各種助成金の支給
と書いてる・・・要するに何してんの?)
なぜにあそこで
求職者への仕事の紹介事業を
一緒にやることができないのであろうか?

あんな立派な建物があるのに
なんでサンシャインにわざわざ借りてんの?

てゆーかさ
ハローワークって
いったいどういう構造になってんの?

新宿、池袋、品川は場所が2つに分かれているようなんだが
これはどうしてなのだ?
ただ単に利用者数の問題なのだろうか?
じゃなんで渋谷は一個所だけなのさー?
マザーズハローワークがあるからか?

わけがわからん。

ハローワークって、ホント意味わかんない。
あんなに混んでるのをどうにもできないって
人気のラーメン屋じゃあるまいし
いったいどーなってんだろうか?
それとも私が一番混む時間にたまたま行ってるだけって話だろうか。

そうだ
親身になってきっと話を聞いてくれているんだろう。
だから待ち時間もあんなに長いのだ。


と思いたいけれど
本当のところはどうなんだろうか・・・。

私は仕事を探しに行ってんだか
疑問を膨らませに行ってんだか
これじゃハローワークに行く意味ねーだろう。
マジでしょーもない。



本格的なディスタンス

2010年01月30日 09時44分34秒 | 職探しまでのディスタンス



私が職探しを開始し、ブランク明けの仕事をするまでの
ちょっとの期間のことを描こうと考えて作ったこの
『職探しまでのディスタンス』
思えば去年の8月に仕事探しを開始して以降
気がつきゃ年またいで
あろうことか2月になってしまおうとしているではないか!
(ちなみにもちろんこれはあのリンクレイターの名作
『恋人までの距離(ディスタンス)』(今はビフォア・サンライズかな?))
からとったもんである←すみません・・・)

何やってんだ・・・。
半年近く経ってしまってるってことだろ。

この半年、できた仕事は短期の派遣が2つ。
しかもそのどちらもひと月という短い期間であった。


まぁ、何もできなかったよりまはマシだけど
こうしているあいだにも時計の針は休まず進んでいき
30歳の誕生日が迫ってきているわけである。

ぐずぐずしているとブランク期間が無駄に増えるだけだし
ついでに言ったらろくでもない経歴がまた増えるだけでもある。

過去記事働くことが恐い理由の発見
働くのが恐いって、実は親に対する恐怖心と同じものじゃないの?
みたいなことを書いた私なんだが
最近また大きな難問にぶつかっている。
そしてこれは今度こそ、本格的な壁だと思う。
本格的なディスタンス開始なわけだ。

(距離開始って変だけど・・・)

で、今回向き合っているその壁というか距離というのが
実は
仕事を続けられなかったらどうしようという不安
なのだ。

たぶんこれは働くことへの恐怖心と同じように
誰にでも多かれ少なかれ(ときどきない人もいると思うけど)
あるものだとは思う。
その辺は理解している。

しかし問題なのは、
この不安が仕事の面接に行けないほど巨大なものであり
そのくらい重大な障害になっている
ということだ。

普通だったら
働いてみないとぶっちゃけ仕事なんてわかんないし
どうしても合わなかったときはしかたない
と割り切って面接に行ったりできるのかもしれないが
それは「たぶんそれほど悪くなければ続くであろう」という
楽観的な考えがまだ頭のどっかにあるからであろうと思われ
しかし私のような者には、過去にいやというくらいの
「輝かしい逃げの実績」
があるわけで
それ考えたら「まず続かないだろう」という想像が勝ってしまい
だったらやるだけ無駄ではないのか
というマイナスの結論に至ってしまうのだ。

第一、世の中
どーしてもこれをやりたい! どんなことがあってもやってみたい!
という仕事には、滅多に巡りあわないもんである。
多くの人たちが生活していくためにやりたくもないことを
我慢してやっているのが実情だ。

例に漏れず私だってそうそう
この求人、絶対申し込まなくちゃ!
と思えるようなもんにはまずお目にかからない。
待遇面や勤務地で妥協できるかできないか
判断材料は結局そんなもんでしかない。

そうなると、条件面の問題がとても大きな事柄になってくる。
条件面だけで考えたら、似たような条件の求人は結構ある。
どっちの仕事が自分に合いそうか
無理せず続けられそうか
次はそこが問題になる。

でもここでさて困ったことになった。

私はどんなものなら自分が続けられるのか、そもそも知らないのだ。
ついでに言うと
どんな職場かどうかっていう
もう何を置いても一番重要な部分っていうは
実際に働いてみないとわからないんである。


ここまで来ると、もう全部フィーリングとかインスピレーションだよ。
でも私は自分の「それ」を信じることができないわけだ。
過去に何度も感覚だの直感だので決めた仕事が間違ってたから。

エンゼルバンクなんかを読んでみて
ひとつの仕事に長期間従事することの社会的意味や経済への効果や
企業だけでなく個人のメリットもなんとなく理解はできたんだけど
私はどうしても
転職歴が何回あったとしても
色眼鏡で見られない社会になればいいのに

というようなことを考えてしまう。

到底無理なのはわかっているけれど
人間みんなどうしたらいいのかわかっている人間ばかりではないと思うし
自分の抱えた問題に気づかないばかりに
やむを得ず転職を繰り返している人もいるんだと思う。

やりたいことだの自分に合うだの
「そういうことを言う前にちゃんと自分の今いる環境を見てみろ」
とか
「何かしら我慢をしなくては社会では働けない」
とかいうことを
何度も転職を繰り返したあとでしか気づいたり納得したりできない
そういう人間も世の中にはいるのだ。

それが「能力の低さ」だと切って捨てるだけが
社会の賢さとは言えないんじゃないだろうか。


って、アレおかしいな
企業だの社会を批判するつもりじゃなかったんだけど。
どっちかっていうと私のその不安の根底にある理由を
どういうふうに考えていけば払拭できるだろうかということを・・・。

でもこの不安も、結局わかってみたら
なぁんだ、そんなことだったの?
と思うようなことなのかもしれない。

働くことに対する恐怖は薄れたものの
その先にある壁を越えることが今の問題になってしまった。
本当は飛び込んでいってがむしゃらに仕事こなして
気づいたら克服できてました
っていうのが正しいありかただとは思うんだけど
そうやって動くことさえためらわれるタイプの私は
とりあえずしばらくまたいろいろ悩んで考えて苦しみまくるのだと思う。

見つからなかったら
そのときはもういくしかないだろうし。



気持ちがフラフラしている

2010年01月13日 17時50分14秒 | 職探しまでのディスタンス



私は
恋人と別れようと思います
なんてカテゴリーまで作って
時折同棲中の恋人の悪口を吐き出しまくってたりする
腹黒い性悪オンナ

自分の内面を分析しまくって
モラトリアムをわざわざ作り出してるくせに

そのことに異常な罪悪感と嫌悪感を感じている
考えてることと言ってることとやってることがそれぞれ相反している
分裂欠陥人間
である。


今も実は、働くことを躊躇う気持ちでいっぱいだ。
「働きたい」と「働きたくない」と「働くのが恐い」
の間で揺れ動いている。


時折「もうこんな生活には我慢ができない」と本気で思うけれど
ふとした瞬間に
ボロボロだったときの自分と比べると
今はなんて心が安定しているんだろう

と、安らかな気分でいられる時間がある今の生活を
愛している自分に気づく。

毎日満員電車に揺られて働いていた頃には
こんな気持ちでいられる時間なんてまるでなかった。
心の中でいつも誰かに対して
「死んでくれよ」
とつぶやいて、目に入るものすべてを呪っていた。



そんなとき手を差し伸べてくれて
今のこの生活を私に与えてくれたのが、今の恋人だった。

理解できない部分や冷め切ってしまった部分に絶望して
恋人の愚痴を言ったりもする。
もうこんな関係を続けているべきではないのだと
自覚もしている。

でもやはり、どう考えてみても今現在
私は彼のことがやっぱり好きなのだ。

彼とのこの変化のない先の見え切った未来のない生活も
不安でたまらないけれど、恐くてしかたないけれど
たぶん、私は好きなのだ。

誰かと一緒にいられるということが
人生にこんなに大きな安心感をもたらしてくれるものだったのかと
ふいに気づいて驚くこともある。

家に帰ってきて彼がいるということ
待っている家に彼が帰ってくるということ
そのことに、私は自分で考えているよりずっと救われているのだと思う。

「寂しい」という気持ちに一番鈍感なまま生きてきた私には
そういうちょっとした瞬間の発見が
少し嬉しくて、とても辛い。
自分はこんなにも「寂しさ」というものを感じていたのかと
気づいてしまうからだ。


単なる言い訳なのだけれど
「働かなくてはいけない」
という、逃げ場のない選択の元に追い込まれていれば
もう少し必死になれるのかもしれないと思ったりしてしまう。

お互いに自立した関係で付き合うために
私はこんなフラフラした生活を続けている場合ではない。

彼の
「このままでいいよ」
「働かなくったっていいよ」
「ずっと一緒にいればいいだけじゃない」

という甘い言葉に、甘えていてはいけないのだ。

そう、頭ではわかっているのだけれど
“自宅にいて家事をして自分を待っていてくれる私”
というものを望んでいる彼に対して
気持ちの整理をつけることができていない。

私が働き出すことで、自立を目指すことで
今のこのふたりの関係が変わってしまうことを
心のどこかで恐れている。
こんな関係を続けることのほうが不健康だってことは
嫌というくらいわかっているのに。


どのくらい真剣に働くことを考えたいのか
イマイチ、よくわからないままで困ってしまう。

「働かなくていいよ」
という言葉の魔法は結構強い。
私みたいなだらしないのには特に。
でも、こんな生活がずっと続くことを望んでいるわけでもない。


私は実行に移す前にいろいろと考え過ぎてしまうのだ。
こんなことも、別に考えなくていいのかもしない。
こんなことを考えてしまうから、躊躇してしまうのかもしれない。

「今のまま」や「今の気持ちのまま」
なんてことは
人間には不可能だ。


だから、恐がらないで前に進むことが今の自分には一番必要なことだと思う。
それがたとえ、今のこの生活を壊すことになってしまったとしても
勇気を出して、何かを始めなければいけないんだと思う。
そしてもう、そのときは来ているんだと思う。


ああ、許されるなら
「不安だーーーーーーー!!!」
って叫びたい。
この先どうなるのか、恐くてしかたないよーって
泣き叫んで誰かに「大丈夫だよ」と勇気付けてもらいたい。

でもそんなことできないんで私は
こうしてブログで少しづつ、勇気と決意の充電をしている。

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