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鑁阿(ばんな)寺・足利学校~栃木県・足利市(2/2)~

2004年12月04日 01時25分47秒 | 
 2002年4月4日に足利に行ったとき、渡良瀬橋、八雲神社、織姫神社を見たあと、鑁阿(ばんな)寺と足利学校に行きました。これはそのときの写真です。(最初の写真は鑁阿寺の山門)


●足利の地図はここをクリックすると開きます。


鑁阿寺
 鑁阿寺は、栃木県足利市にある真言宗の寺院です。1196(建久7)年、足利義兼(法名鑁阿)が、伊豆走湯山の理真を招いて、開きました。供僧制度を整え、足利氏の氏寺として、尊氏以降は将軍家・鎌倉公方家の保護を得て栄えました。所蔵の鑁阿寺文書(重文)は鎌倉・室町期東国の政治・宗教史研究に価値が高いとされています。寺域内に国史跡の足利氏宅跡があります。


鑁阿寺の案内板


本堂

 
大銀杏

 
多宝塔

 
経堂

 
中御堂

 
御霊屋

 
大酉堂

 
校倉

 
蛭子堂


蛭子堂の隣


東門


逆さ藤天満宮
 
鑁阿寺の裏にあります。


足利学校
 足利学校は、栃木県足利市にあった中世の学塾です。足利氏の菩提寺である鑁阿寺に隣接して設置されました。永享年間(15世紀前半)、上杉憲実は円覚寺の住僧快元(?‐1469)を庠主(しょうしゅ=校長)として招き、学校の蔵書として宋版の経学書などを寄進しました。戦国期にはとくに兵占の易筮伝授によって知られ、後北条氏の保護を受けました。また、田代三喜・曲直瀬道三らの医家も輩出しました。江戸幕府もまた学校に保護を与え、禅僧が代々の庠主となりました。明治以降廃され、足利学校遺蹟図書館を設置、孔子廟を中心とする国史跡となりました。江戸時代の学校が復元されています。


入口


前から見ると


後ろ側