システム開発の仕事をしているといつも感じること。
それは、使っている人間(ユーザ)が開発すればよいのではないか? ということ。
これはきっと、世の中で仕事をしているエンジニアは皆一度は感じたことがあると思います。
ではなぜ、ユーザが開発しないのか?
・ユーザは、「使う」専門家であるから、開発のことは気にする必要はない、と考えている。
・ユーザは、開発に関しての知識はなくてもよい、と考えている。
・ユーザは、開発者が気付かない視点からの発言をするために、開発側へ染まってはならない、と考えている。
いろいろと考えはあることと思いますが、ひとつ言えるのは「片方に徹すると、全体を見渡すことは出来なくなる」ということです。
木を見て森を見ず、にも通じることですが……
私は、ユーザだからといって、自分が使用しているシステムの「仕組み」の部分を理解する必要はない、とは思いません。仕組みが分かっていれば、開発者へ自分の要望を伝える際に、「こことこことがつながっているはずだから、この部分を簡略化できるのではないか」というように、情報量多く提案できます。
同様に、開発者だからといって、システムの限界を把握しているが故にユーザの要望を「できない」の一言で切り捨てることも良しとはしません。むしろ、限界を知っているからこそ、その限界の範囲内で何か別の方法を模索したり、人の手によってしなくてはならないことはコレなのだ、と明確に説明したりして、ユーザに納得してもらうことができます。
このように、互いに利する点が大きい以上、システムについての共通理解は、するに越したことはありません。
私はそう思います。
それは、使っている人間(ユーザ)が開発すればよいのではないか? ということ。
これはきっと、世の中で仕事をしているエンジニアは皆一度は感じたことがあると思います。
ではなぜ、ユーザが開発しないのか?
・ユーザは、「使う」専門家であるから、開発のことは気にする必要はない、と考えている。
・ユーザは、開発に関しての知識はなくてもよい、と考えている。
・ユーザは、開発者が気付かない視点からの発言をするために、開発側へ染まってはならない、と考えている。
いろいろと考えはあることと思いますが、ひとつ言えるのは「片方に徹すると、全体を見渡すことは出来なくなる」ということです。
木を見て森を見ず、にも通じることですが……
私は、ユーザだからといって、自分が使用しているシステムの「仕組み」の部分を理解する必要はない、とは思いません。仕組みが分かっていれば、開発者へ自分の要望を伝える際に、「こことこことがつながっているはずだから、この部分を簡略化できるのではないか」というように、情報量多く提案できます。
同様に、開発者だからといって、システムの限界を把握しているが故にユーザの要望を「できない」の一言で切り捨てることも良しとはしません。むしろ、限界を知っているからこそ、その限界の範囲内で何か別の方法を模索したり、人の手によってしなくてはならないことはコレなのだ、と明確に説明したりして、ユーザに納得してもらうことができます。
このように、互いに利する点が大きい以上、システムについての共通理解は、するに越したことはありません。
私はそう思います。