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怒りのエネルギーというものは、抑え込むと身体的にも精神的にも具合はよろしくない。
それは言い換えれば、それだけ影響力のあるエネルギーが、自身の内部からわき起こってくるということだ。
私は(他の人に成り代わったことが無いので、私は、としか表現出来ないのであるが)、怒りで興奮状態になると、
聴覚と視覚が冴え、普段より過敏になり、物の非常に細部まで見えるようになったり、スピードが遅くなったり、音の細部(普段よりも高い周波数帯域の音)まで聞こえてしまう。
これはより正確に表現するならば、「見える『ように』」、「聞こえる『ように』」、感じられるのである。
そのように感じられているのであるから、私にとってそれは、「見えた」「聞こえた」と表現しても間違いではないことであろう。
このときに感じられるようになる情報というのは、普段なら生活する上で、認識しなくとも何ら問題が無い範囲のものである。
では、なぜ私は興奮状態になると、このような情報を認識するようになるのか。
普段は気にならないというのに。
答えはまだ私自身わかっていないため、こちらに書くことは出来ない。
これは、今後もっと自分への考察を深めてゆき、答えを見つけ出したいことの一つである。