![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/71/c3908dd0008213e092fc88eab9e781f1.jpg)
音楽を世に出す、即ち自分以外の他者にも公開するという行為は、自己顕示欲の表れだとしばしば言われます。
「自分はこのようなことを感じている」ということは、実際のところはひどくデリケートな領域の物事であり、それをわざわざ人へ見せたいというのはある種の「性分」であると言えます。
音楽を人へ聴かせたいのは、音楽家であり、
文章を人へ読ませたいのは、物書きであり、
話しを人へ聞かせたいのは、噺家であり、
考え方を人へ伝えたいのは、指導者であります。
「ただ、自分がそこに居るだけで価値がある」
そんな存在になりたいと思った事もありましたが、冷静な目で考えてみれば、それでは単なる「象徴」であり、「仕事」ではないと思います。
居続けることが仕事なら、その目的を達成するために食事を摂り、寝て、起きて、時々遊んで……と、これではまるで自由人です。
社会へ働きかけをすることなく、むしろ搾取する側にだけ居る。
それは逆に言えばその搾取する側が居なくなった場合、その分他の人に富が分配される量が多くなるということになりませんか。
「居るだけ」なら「もらうだけ」です。
居るのならば、「自分がそこに居るのだ!」ということを「主張」することこそ大切なのだと私は思います。