月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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零式艦上戦闘機(13) 牛馬の悲哀

2013-11-02 12:00:00 | 航空機・船舶(軍艦・機)
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零式艦上戦闘機(13) 牛馬の悲哀 

三菱重工の名古屋航空機製作所で完成した航空機のほとんどが、名古屋の港湾地帯の工場から48kmほど離れた各務原飛行場まで、牛車で24時間もかけて運搬されていた。

牛車は、各務原飛行場に到着すると解体され、牛ごとトラックに乗せられて帰っていた。

各務原までは、トラックを使えば2時間、馬を使えば12時間で到着するのだが、道路事情が悪くデコボコ道のために、どうしても機体が傷ついた。

鉄道を使ってはみたものの、機体の大型化によって貨車に乗せることができず、仮に乗せることができても、トンネル通過も困難になっていった。

戦争が長引くと、航空機は増産されているにも関わらず、荷役用の牛馬は不足し、なおかつ飼料の調達もままならず、日米開戦のころには50頭もいた牛も、過酷な労働に耐えきれず数を減らしていった。

ようやく大型の航空機は海を隔てた国際空港に運ぶことになったが、零戦をはじめとする小型機は、各務原へ運搬しなければならなかった。

そこで運搬の切り札として、ペルシュロン系の馬に白羽の矢が立った。
フランス・ノルマンディ地方原産のペルシュロン系の馬は、短い足に長い毛が密集し胴が太い。
体高(肩までの高さ)は170cmほどで、体重は1トンもあるが、性格はおとなしく力が強いので挽馬としては最適だった。

当初100頭を集めるつもりで、損得抜きに確保を試みたところが、馬の取引額に問題ありと訴えられ、89頭集めたところで取引が打ち切られた。

それでも、ペルシュロン馬への期待は高く、車の警笛にも驚くこともなく、牛のような慎重さで、各務原まで12時間で航空機を運搬することができた。

しかし終戦時には、飼料の欠乏に過酷な労働に耐えかねて牛は全て死に絶え、痩せこけたペルシュロン馬が僅かに15頭残っているだけだった。

最新の技術を満載した零戦を駆使した戦争継続の陰に、酷使された牛馬の悲しい物語があったのです。

零式艦上戦闘機(14) 枕頭鋲 2013-11-09 につづく~
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