【温暖化防止とディーゼル車】 二酸化炭素排出量が少ないディーゼル車は、欧米でも、アジア諸国でも人気が急速に高まり台数も増加している。しかし日本では、1996年の130万台が99年には100万台へと減少している。ディーゼル車が減少傾向にあるのは日本だけである。減少傾向というより、国産のディーゼル乗用車はかっての朱鷺のごとく絶滅危惧種と同じ運命をたどり始めた。こうした欧米と日本の違いがなぜ生まれてきたのか? 【環境問題児と言われて】東京都の「ディーゼル車NO作戦」は、一見ディーゼル車の駆逐とも受け取れる厳しい規制である。いまやディーゼル規制の波は大都市だけにとどまらず、日本全体に波及している。なぜ90年代の終わりから、急にディーゼルは環境問題児の筆頭になり、これ程まで叩かれるのだろうか? 環境問題に詳しい県担当部幹部は、ディーゼル排出ガスによる環境汚染が深刻化した要因について、「ディーゼル車に対する排出ガス規制が大幅に
遅れ、日本のディーゼル微粒子の排出規制値そのものが欧米に比べてかなり緩い数値のまま止まっていた」ことと、微粒子の発生源である軽油中の硫黄分への対策が遅れたという。 増え続けるディーゼル車への対策を、日本は長らく怠ってきた。まさにこの怠慢こそがディーゼルを悪者にしたのだ。 「SPM(浮遊粒子状物質)の環境基準は1973年、公害対策審議会の答申に基づいて設定告示した。しかしPM(粒子状物質)規制が実施されたのは基準の設定から22年後の1994年で、規制に着手したのがあまりにも遅すぎた」。環境基準が早い時期から設置されても、それを遵守させる規制が大幅に遅れたのでは実質的な公害対策なかったのだ!!まだ、残暑が厳しいですがお盆の頃よりは、だいぶ凌ぎ易くなりました。次回からは、タイトルを変えますので宜しく。
遅れ、日本のディーゼル微粒子の排出規制値そのものが欧米に比べてかなり緩い数値のまま止まっていた」ことと、微粒子の発生源である軽油中の硫黄分への対策が遅れたという。 増え続けるディーゼル車への対策を、日本は長らく怠ってきた。まさにこの怠慢こそがディーゼルを悪者にしたのだ。 「SPM(浮遊粒子状物質)の環境基準は1973年、公害対策審議会の答申に基づいて設定告示した。しかしPM(粒子状物質)規制が実施されたのは基準の設定から22年後の1994年で、規制に着手したのがあまりにも遅すぎた」。環境基準が早い時期から設置されても、それを遵守させる規制が大幅に遅れたのでは実質的な公害対策なかったのだ!!まだ、残暑が厳しいですがお盆の頃よりは、だいぶ凌ぎ易くなりました。次回からは、タイトルを変えますので宜しく。