ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

郷土食堂3

2009-10-12 12:50:56 | 食べもの
   駐車場のクルマは県外ナンバーばかり。平日のことですから郷土食堂の蕎麦を食べようと、気合を入れて走ってきた人ばかりということですね。
  ガレージの下でおじいさんとおばあさんが紫蘇の実を取っていました。20年前のおばあさんです。20年ぶりに蕎麦を食べにきたよというと喜んでくれました。
  この二人が次のような話をしてくれました。
  • 関西からの客がずいぶん盛り立ててくれたこと。関西から北陸自動車道を上越ICで降りて野沢や志賀高原にスキーに行く客が富倉地区を通る国道292号線をかよったこと。
  • 人気が出るにつれ客が地区内のあちらこちらにクルマを停めたが、「これは郷土さんの客のクルマだ」と地区の人たちも大目にみてくれたこと。地区の人たちもまた盛り上げてくれた人たちであったこと。
  • 国道292号線の拡幅工事で立ち退きに遭い、中野市にお店を構えるに至ったのが20年前であること。
  • かんずりについては、製造会社(現上越市)が販路を拡大しようとしていた時期でもあり、おばあさんが使ってみたとのこと。だとすれば郷土さんが始まりということになる。
  調べてみると北陸自動車道が関西方面から上越ICまでつながったのが1987年7月のこと。関西から(長野)県北部のスキー時に通うのに北陸自動車道経由のほうがラクになったのです。上越ICを降りたら新井市(当時。現上越市)から国道292号で峠を越えて飯山市へ出ることになります。その途上に富倉があったわけです。
  その後、1995年11月には信州中野ICまで開通、1999年10月には上信越自動車道が上越JCTまで全通します。つまり、関西方面から県北へ行くのに富倉を通るのが有利だった時期は1987年からせいぜい10年ほどの間なのです。富倉にあった郷土さんが中野市に移転したのが1990年だといいますから、いいタイミングでいい場所(中野市は志賀高原への上り口に当たる)に移転したことになります。
  それにしても、道路事情で客が増え道路事情で立ち退くという道路に運命を預けているようなものですね。尤も、富倉そば人気で、富倉地区にもそば目当ての客は多くはなりました。
  そして、webの時代。元来遠くからは聞こえないはずの日本国中のヒソヒソ話が距離の遠近を問わず聞こえる(閲覧できる)時代に入ります。郷土食堂自身はwebサイトを持っていませんが、みんなが「うまい」と評価してくれ、それを読んだ人がまた蕎麦を求めてやってきます。私のように「富倉」という単語の記憶だけで店にたどり着ける時代になったのです。
 
  郷土食堂を後にした私は、富倉地区の姿を見るために飯山市から国道292号線を走ってみました。拡幅されて走りやすくなっています。一旦サミットを超えて新潟県側へ下る途中に富倉地区はありました。記憶通りの長閑なところでした。ちょうど蕎麦の花の時期できれいでしたよ。郷土さんがどこにあったのはさっぱり思い出せません。しかし、富倉そばののぼりが立ったりして、山間の集落にしては活気が感じられました。
  あとで知ったことですが、この国道を下って新潟県に入ったところに長沢という地区があるのですが、そこでも雄山火口をつなぎに使った蕎麦を食べさせる店があるそうです。長沢そばと呼ぶらしい。県境はこえても隣同士、同じような文化があるのですね。

 おさらい
郷土食堂1
郷土食堂2
かんずりの記事

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