高校1年。古典の授業で、「仁和寺にある法師」という徒然草の中の文章を勉強したことを覚えています。何十年も前のことになのに、その時の先生の顔も、教室の雰囲気も不思議なことによく覚えています。
京都のお寺のお坊さんが、石清水八幡宮に詣でに行ったのに、ふもとの社で満足して、石清水八幡宮を御参りした気になって帰ってきたという話。よく覚えているのは、石清水八幡宮という神社の名前に思い入れがあったからだと思います。小学生のころ読んだ、エジソンの伝記。京都にあるという石清水八幡宮の竹が電球のフィラメントに使われたという話。
Googleマップで、仁和寺と石清水八幡宮の徒歩での距離を測ってみると、18kmほどと出ました。これまで考えてみたことはなかったけれど、歩いてみたくてみたくて…。季節的には、もう少し歩きやすい時期のほうがいいのでしょうが、秋まで待てない。
というわけで、ある日曜日、まずは仁和寺を目指します。
仁和寺へは10年ほど前に来たことがあります。桜にはまだ遠い、冬のことでした。それに、仁和寺の二王門は、よくサスペンスドラマで出てくるところ。「京都殺人案内」の音川音二郎(藤田まこと)も、この門の下で何度か関係者(たいがいは美人ですね)から事情を聞いたはず。門の前から見上げると、二王門はテレビで見るより、ずっと小さいです。
その二王門の下に立って南を見ると、正面のつきあたりが嵐電の御室仁和寺駅。その背後にそびえるのは、双ケ丘です。
9時20分。出発します。持ってきたのは、ルートを表示させたgoogleマップを何枚かに分けてプリントしてきたもののみ。「先達」、つまり道案内人はgoogle師というわけです。徒歩でのルートを師匠に案内してもらいました。これがiphoneやipadの使い手なら、じかに画面を見ながら歩くことになるのでしょうが、そんな今風の人間でもない当方、クリアファイルに挟んだプリントだけが頼りです。google師の仰せのとおりに、和風の御室仁和寺駅まで歩き、住宅の中を東に折れる。御室小学校の前を南に折れ、あとは道なりにずっと下っていく塩梅です。
すると、住宅街は町内の清掃日なのか、住民たちがみんなで作業をしているのが見えます。「和(なごみ)のまち御室」とネーミングされているこの町は、かつて、(あのオムロンの)立石電機があったところだそうです。道路沿いの公園には、「オムロン発祥の地」の碑が据えられています。2000年に会社が移転したあと、この住宅地に生まれ変わったということは、帰宅してからわかりました。さらに、宅地に変わるときに、発掘調査をした結果、仁和寺の子院(大きなお寺に付属する寺院)があったということがわかったとか。
9時30分。その公園のすぐ南に長泉寺という寺があって、そこには、「兼好法師舊跡」という碑がありました。寺には兼好の墓もあるらしい(非公開だって)。晩年の兼好が双ケ丘で住まいしたのはこの寺かと思うのは早とちりで、別のところにあった墓を、後にこの寺に移したという話。あとで、googleストリートビューで確認したら御室小学校の入り口にもほぼ同じ碑が置かれています。気付かずに通ってしまったわけですね。
長泉寺を過ぎて、双ケ丘中学校の脇を抜けて丸太町通へ出ます。丸太町通の向こうはJR嵯峨野線(正式には山陰本線)。花園駅のすぐ近くです。google先生の仰せに従い、線路の下をくぐって、御室川に沿って歩きます。徒歩ならではのルートです。川に並行して走るのは国道162号。広い道路で歩道もあります。八幡市にある石清水までどれくらいかかるのだろう。
(つづく)
高校の同級生なのかな。
私の古典の先生は当時学年主任だった、あの先生でした。古い校舎の2階の教室。同じ教室でしょうか?