ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

毛馬水門

2013-01-04 07:04:05 | PiTaPaで歩く

 赤川鉄橋のあとは、淀川左岸、土手の上を下流に歩きます。河川敷でスポーツをする人たち。このあたりは淀川河川公園というらしい。この土手も徒歩やジョギングの人が結構います。水道橋の下をくぐって歩きます。前方には梅田あたりのビル群。残念ながら今日は雨上がりで、まだ空はどんより。ディパックを背に私の前方を歩いているおじさん。この方はさきほど右岸を赤川鉄橋に向かって歩いているとき、私の前後にいた人です。私と同じように散策の人なんですね、きっと。

 「淀川距離標10.6km」と書かれた標が土手に埋められていました。河口から10.6Kmということでしょう。1kmほど歩けば淀川と大川の分岐点。そのほとりに石碑が。蕪村生誕地の碑です。与謝蕪村はこのあたり、毛馬村で生まれたそうです。でもこのあたりの川はよく暴れるので、正確にどのあたりで生まれたかというのはよくわからないとか。蕪村のこともよく知らない私ですが、ひとつ覚えの句に、


若竹や夕日の嵯峨と成にけり


があります。中学生のころに日本庭園の写真のカレンダーに書かれていたこの句。不思議ですね、よっぽど気に入ったようで今でも忘れないでいます。昨夜の晩御飯もよく思い出せないのに。

 小学生の社会の勉強みたいですが、大堰や水門の働きを初めて知りました。一つは、淀川大堰。ふだんは、堰を閉じるようにして、海水が上流に流れ込まないようにしているのだそうです。上流からの真水は堰を越えて下流に流れる。水量が多くなると堰を開いて、水を流してやる。ふたつめ。毛馬水門と毛馬排水機場。淀川大堰でせき止めた水を大川にうまく流す。大水のとき、過剰に大川に流れ込まないように調整するのが毛馬水門。大川の水があふれそうになるときは、毛馬排水機場から逆に淀川に水を流すという仕組み。みっつめ。毛馬閘門。水位の違う、淀川と大川とを行き来する船のために、ゲートを作り、うまく行き来できるようにしたものです。水運の大阪ならではですね。


 もともとの淀川は、京都方面から流れてきて、今の大川(淀屋橋あたりを流れている川)に流れていたそうです。明治になって、今の淀川(新淀川ともいう。阪急でいえば中津と十三の間の広い川)を開いたということです。
 少しお利口になりました。

(つづく  歩いたのは昨年12月のことです)


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