自分の言葉にどんな意味があるのか
その時、自分がどんな意味を込めていたのか
忘れて人を傷つけることがよくあります
周りを考えないでそう言い捨てるだけなのはきっと
卑怯なことなんでしょう
自分で自分が許せなくて自分が間違っていたら
頭を下げます。メールとかそんなものじゃなく直接、会って
謝ります
昔、謝りたいことが合ったんです・・・・・・
でも、その時は謝れませんでした
正確に言うと謝りたくても謝る時間がなくて
その人の一番、大切な時間を自分の才能のなさで泣いてしまって
その人を困らせてしまったんです
その時、拙者はどうしてもどうしても謝りたかった
けど・・・・・その人とはそれっきり会うことができなかったです
そんなある日
その人から電話がかかってきました
どうして、電話番号を知っていたんだろうじゃなくて
その時は電話をしてきてくれたほどが嬉しかった
そして「俺は気にしてないから・・・それより大丈夫?」
その一言が嬉しかった
受話器の向こうでその人がどんな顔をしていたかはわかりません
ただその声は偽りのない明るさを持っていた
拙者は声も出さないで泣いてました・・・・・・いや、あの時
自分の言葉が震えていることは相手には分かっていたのかもしれません
ただ「嬉しかった」そして「その人に謝りたかった」
それができた時、自分の母親や兄弟の前で泣きました
恥ずかしいとかそんなことは思いもしなかった
わざわざ自分のために電話をしてくれた・・・・・それが嬉しかった
その人の大事な時間をぐちゃぐちゃにしたのに
心配してくれた。
自分で自分が許せなかった・・・・・なんで、あの時
そんなことをひっくるめて謝りたかった
謝れて泣いて
拙者はその時の気持ちをやっぱり、忘れてまた同じことをしてしまった
その時はもう心が凍っていました
何回も出会って別れて
感情がマヒして・・・・・・・また他人を傷つけた
その人とは・・・・かなり時間がたってしまいたけど
直接、自分の言葉をぶつけました
本当に本当に申し訳ないと・・・・・そんな彼も
許してくれたのか、こっちが逆に意識してしまって(苦笑)
吐き捨てるだけでいいのならこんなに心は痛まない
しかし、知らず知らずやってしまっている自分がいるわけで
考えすぎなんでしょうか
周りを気遣い過ぎてる?
どうなんだろう、もう考えるのも嫌になる
けど、この考えることをやめてしまったらきっと自分ではなくなる
何が自分を自分であるようにするのか
わからない
さっき挙げた記事にもそんなことを書いた気もする
忘れたわけじゃなくて
いい用に解釈してしまったのか・・・愚かであるのか
誰かの言葉を借りるということは自分の否定で
なら自分の言葉を使ったら相手の否定なのか
名言や格言はカッコいいと思う
それは生きている人の存在を感じるからだ
言葉というのは自分の心に響いてくる
視覚とか触覚ではなく
心に直接・・・・・「心」というのは何だろうか
脳というものが独自に個体を識別させるためのアルゴリズム的な
ものによって「心」は生まれるのだろうか
心は個性にも置き換えることができる脳というものが
それらを生むのだろうか
そんなのどうでもいい、過程がどうあれ行き着くところが
もっとも大切なところならそれで言い
そんなところに伝えられる手段が「言葉」「風景」「絵」「触れ合う」etc
どれもこれも間接的なんだ
吐き捨てた言葉に意味などないのかもしれない
心がのっていない言葉なんてただのノイズなのかもしれない
間接的な表現だ・・・・この表現が相手に伝わったとしてどうなる
変な誤解を生み、相手を傷つけ
それでどうなるというのだろう
人間がもちうる気持ちを伝える手段はあまりにも
あまりにもすくなくて足りないものではないだろうか
伝えたいことが伝わらなくてもどかしい
だから人は熱心になるのかもしれない・・・・拙いから
頑張って発展させたのかもしれな
その拙さはいつなくなるのだろう
伝えたくても伝えられない心・・・どうすればいい?
自分では届いてると思ってもそれが相手には届いてなかったら
どうすればいい?
何回も何回もやるしかないのだろうか
それも一つの手だ
その一つの手がもう使えなくなったとしてそこからどうする?
もう二度とない一瞬を逃したら
それで終わりで諦めてしまうのか
あぁ~考えてもわからねぇ~!!!!!!!
疲れないかって自分に言う時がある
そんな時には疲れてないって嘘を付く
自分にも吐き捨ててる
結局、それで救われていることもある(苦笑)
「吐き捨てる」ことで傷つけて
それに救われてきっとスゲー矛盾してる
そんなことも知っている
なんで忘れちまうのかなぁ~
ところで「その」とか「あの」とかかなり多いですが
文頭にいくつ「そ」があるんでしょうね
今、書いていて疑問に思いました
が
それも実にしょうもないことだったり
また増えたな「そ」
直接な表現よりもこんな間接的なクッションが大好きな
人間だったり
回りくどい・・・・・がぴったりな人間
しかし、そう思わせて実はストレートな人間だったりと
裏表が激しい
天の邪鬼体質です・・・・・あぁ、これが問題を巻き起こすのは
言うまでもなく更にこれに加えて口が悪いとなるとねぇ
救いようがないのかもしれないというか
う~ん、周りの影響を受けないぜ
なんていいながら一番、受けてたり
優柔不断な拙者なのか
自分から「ダメせん」なんて言ってるぐらいですから
ダメせんってそもそもどうして名乗るのか
どうしてだったけかな
あぁ、周りから取りあえずそれに近いことを言われていたから
なんとなくで決めたのか
そういうノリ?それで生きているわけではない
久し振りに長く書いたなぁ~
ところでこれを書き始めて文字数を見たら
2800文字・・・・なんてキリが悪いというか
それを見ていたらもうちょっと書きたくなってしまい
もう少しやらないと
何ということも思っていたりしますが
そして問題は最後の言葉なんていうのも考えつかなかったり
いや、考えついていると思うけれども
気の利いたことなんて考えつきもしない
最後に3000文字で占める言葉を考えてたらこれでオーバー
じゃぁ、どうするかって
「」の中で10文字できっちり締める言葉を考えたいと思います
今日の一言 おまけ
「どこにでもいる」
「」含めて10文字になってしまった
しかも、締まらねぇ
気にしたら負けなのかも
その時、自分がどんな意味を込めていたのか
忘れて人を傷つけることがよくあります
周りを考えないでそう言い捨てるだけなのはきっと
卑怯なことなんでしょう
自分で自分が許せなくて自分が間違っていたら
頭を下げます。メールとかそんなものじゃなく直接、会って
謝ります
昔、謝りたいことが合ったんです・・・・・・
でも、その時は謝れませんでした
正確に言うと謝りたくても謝る時間がなくて
その人の一番、大切な時間を自分の才能のなさで泣いてしまって
その人を困らせてしまったんです
その時、拙者はどうしてもどうしても謝りたかった
けど・・・・・その人とはそれっきり会うことができなかったです
そんなある日
その人から電話がかかってきました
どうして、電話番号を知っていたんだろうじゃなくて
その時は電話をしてきてくれたほどが嬉しかった
そして「俺は気にしてないから・・・それより大丈夫?」
その一言が嬉しかった
受話器の向こうでその人がどんな顔をしていたかはわかりません
ただその声は偽りのない明るさを持っていた
拙者は声も出さないで泣いてました・・・・・・いや、あの時
自分の言葉が震えていることは相手には分かっていたのかもしれません
ただ「嬉しかった」そして「その人に謝りたかった」
それができた時、自分の母親や兄弟の前で泣きました
恥ずかしいとかそんなことは思いもしなかった
わざわざ自分のために電話をしてくれた・・・・・それが嬉しかった
その人の大事な時間をぐちゃぐちゃにしたのに
心配してくれた。
自分で自分が許せなかった・・・・・なんで、あの時
そんなことをひっくるめて謝りたかった
謝れて泣いて
拙者はその時の気持ちをやっぱり、忘れてまた同じことをしてしまった
その時はもう心が凍っていました
何回も出会って別れて
感情がマヒして・・・・・・・また他人を傷つけた
その人とは・・・・かなり時間がたってしまいたけど
直接、自分の言葉をぶつけました
本当に本当に申し訳ないと・・・・・そんな彼も
許してくれたのか、こっちが逆に意識してしまって(苦笑)
吐き捨てるだけでいいのならこんなに心は痛まない
しかし、知らず知らずやってしまっている自分がいるわけで
考えすぎなんでしょうか
周りを気遣い過ぎてる?
どうなんだろう、もう考えるのも嫌になる
けど、この考えることをやめてしまったらきっと自分ではなくなる
何が自分を自分であるようにするのか
わからない
さっき挙げた記事にもそんなことを書いた気もする
忘れたわけじゃなくて
いい用に解釈してしまったのか・・・愚かであるのか
誰かの言葉を借りるということは自分の否定で
なら自分の言葉を使ったら相手の否定なのか
名言や格言はカッコいいと思う
それは生きている人の存在を感じるからだ
言葉というのは自分の心に響いてくる
視覚とか触覚ではなく
心に直接・・・・・「心」というのは何だろうか
脳というものが独自に個体を識別させるためのアルゴリズム的な
ものによって「心」は生まれるのだろうか
心は個性にも置き換えることができる脳というものが
それらを生むのだろうか
そんなのどうでもいい、過程がどうあれ行き着くところが
もっとも大切なところならそれで言い
そんなところに伝えられる手段が「言葉」「風景」「絵」「触れ合う」etc
どれもこれも間接的なんだ
吐き捨てた言葉に意味などないのかもしれない
心がのっていない言葉なんてただのノイズなのかもしれない
間接的な表現だ・・・・この表現が相手に伝わったとしてどうなる
変な誤解を生み、相手を傷つけ
それでどうなるというのだろう
人間がもちうる気持ちを伝える手段はあまりにも
あまりにもすくなくて足りないものではないだろうか
伝えたいことが伝わらなくてもどかしい
だから人は熱心になるのかもしれない・・・・拙いから
頑張って発展させたのかもしれな
その拙さはいつなくなるのだろう
伝えたくても伝えられない心・・・どうすればいい?
自分では届いてると思ってもそれが相手には届いてなかったら
どうすればいい?
何回も何回もやるしかないのだろうか
それも一つの手だ
その一つの手がもう使えなくなったとしてそこからどうする?
もう二度とない一瞬を逃したら
それで終わりで諦めてしまうのか
あぁ~考えてもわからねぇ~!!!!!!!
疲れないかって自分に言う時がある
そんな時には疲れてないって嘘を付く
自分にも吐き捨ててる
結局、それで救われていることもある(苦笑)
「吐き捨てる」ことで傷つけて
それに救われてきっとスゲー矛盾してる
そんなことも知っている
なんで忘れちまうのかなぁ~
ところで「その」とか「あの」とかかなり多いですが
文頭にいくつ「そ」があるんでしょうね
今、書いていて疑問に思いました
が
それも実にしょうもないことだったり
また増えたな「そ」
直接な表現よりもこんな間接的なクッションが大好きな
人間だったり
回りくどい・・・・・がぴったりな人間
しかし、そう思わせて実はストレートな人間だったりと
裏表が激しい
天の邪鬼体質です・・・・・あぁ、これが問題を巻き起こすのは
言うまでもなく更にこれに加えて口が悪いとなるとねぇ
救いようがないのかもしれないというか
う~ん、周りの影響を受けないぜ
なんていいながら一番、受けてたり
優柔不断な拙者なのか
自分から「ダメせん」なんて言ってるぐらいですから
ダメせんってそもそもどうして名乗るのか
どうしてだったけかな
あぁ、周りから取りあえずそれに近いことを言われていたから
なんとなくで決めたのか
そういうノリ?それで生きているわけではない
久し振りに長く書いたなぁ~
ところでこれを書き始めて文字数を見たら
2800文字・・・・なんてキリが悪いというか
それを見ていたらもうちょっと書きたくなってしまい
もう少しやらないと
何ということも思っていたりしますが
そして問題は最後の言葉なんていうのも考えつかなかったり
いや、考えついていると思うけれども
気の利いたことなんて考えつきもしない
最後に3000文字で占める言葉を考えてたらこれでオーバー
じゃぁ、どうするかって
「」の中で10文字できっちり締める言葉を考えたいと思います
今日の一言 おまけ
「どこにでもいる」
「」含めて10文字になってしまった
しかも、締まらねぇ
気にしたら負けなのかも