切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

京都府相楽郡笠置町 國津神社・・・由緒等さっぱり分かりません

2018-01-19 22:31:08 | 撮影

 笠置町は京都府の南端にあり、木津川を中心に国道163号線と単線非電化の関西本線が通じている。かつては木津川の各所に河港があり、水運交易で栄えた。木津川の木津とは、おそらく木材を木津川上流から運び、河港に降ろしていたところから来ているんだろうと思われる。
 実際に平城京の造営や東大寺の建立にあたっては、大量の木材が運ばれたと言う。今の笠置町は人口も少なく、本来は村、と言うべきほどの人々しか住んでいない。笠置寺に通じる橋梁の周辺がカヌー愛好家たちの聖地として知られており、休日には河川敷に多くの車が駐車しており、カヌーで思い思いの楽しみ方がなされている。実際勤務していた時にも、同僚の人が日曜日に車にカヌーを積んでこちらへ来ていたと言っていた。
 
 国津神社はそんな笠置町の、国道163号線を走って有市と言う地区の木津川沿いに境内を有している。駐車場もあって、そこから鳥居をくぐり参道を経て境内に入る。地区の集落は小規模ながら、境内はよく整備されていて、様々な催し物も結構行われていると言う。拝殿を経て本殿があるが、周囲を格子状の柵に囲まれていて、全体像は見えにくい。この本殿が、京都府の登録文化財に指定されている。
 しかし境内及びその周辺には何の説明書きもなく、本来文化財に指定されていれば、そのことが書かれた杭が立てられているものだが、何もない。祭神も全くわからない。これだけ何も説明や由緒書きがない神社というのもなかなか珍しい。
 本殿そのものも比較的小さく、彩色も少し痩せた感じで、優美さを感じさせないしっとり落ち着いた、ごく普通の本殿にしか見えない。本殿の説明については文化財指定された時の記録が、京都府より出されているので下に掲載しておいた。
        
  帰宅してから国津神社についていろいろ調べてみたものの、ほとんど何もわからず。名前の国津からすると、国津神というのが連想され、これは古代より地元の人々により祀られた神と位置づけられている。この場合の津というのは、助詞の「~の」という意味で、言い換えれば、「国の神」すなわちその地元の人々のための神、ということになるのではないかと考えられる。この国津神というのは記紀にも掲載されている名前であって、いずれにしろかなり古い歴史を持つ神社だと考えられる。
 何分にもこれ以上のことがわからないので、簡単な推測で書いているが、地元の笠置町史などにひょっとして記載があるのかもしれないが、なかなかこういったことを調べるというのも材料不足で、ほんまに難しいものだと思う。
  ところで、境内の石灯篭の一つに「天満宮」と彫られていたが、これは一体どういうことなんだろう。


『有市国津神社本殿
一棟
(登録)
相楽郡笠置町大字有市小字平ノ畑五六
有市国津神社
一間社春日造、銅板葺
江戸・元禄三・正徳一移(棟札)
 当社は西流する木津川の北岸、有市の集落の東端に位置する。
 本殿は石垣により周囲とは一段高く位置し、南面する。現本殿は奈良春日大社の旧本殿(第一殿)を移したもので、移転の時期は、社蔵の棟札より正徳一年(一七一一)で、大社では元禄三年(一六九〇)の造営時のものであろう。当本殿は移建例のうち年代の確かなものの
古い例の1つである。
 (京都府教育庁指導部文化財保護課 京都の文化財 第1集より)

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