切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

西院野々宮神社~猿田彦神社 京都市右京区・・・上辺だけで見てはいけません

2019-04-05 23:56:29 | 撮影

西院野々宮神社



『西四条斎宮
西院野々宮神社由緒書

 御祭神 倭姬命 布勢内親王
 御祭日 四月一日 十月第二日曜日
 御利益 心願成就 女人守護
 鎮座地 京都市右京区西院日照町五十五番地

二柱の御祭神は共に伊勢神宮に斎王としてお仕された方で、倭姬命は垂仁天皇布勢内親王は桓武天皇の皇女にあたられます
この地は平安時代に伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が伊勢へ赴かれるまでの間、心身を清められるための潔斎所である
野々宮が築かれた聖地で、各地に残る野々宮の名称はここが発祥とされています
延暦十六年(七九七)八月二十一日に布施内親王が、承平二年(九三二)九月十日には雅子内親王(醍醐天皇皇女)がそれぞれ野々宮にお入りになり、伊勢御下向までの月日を世俗からはなれてこの地で過ごされました
 
 匂い薄く咲ける花とも君がため
  折りと折りとをればいろまさりけり
 折りざらし時より匂ふ花なれば
  わがため深き色とやにみる  雅子内親王

この二首は、王葉和歌集に記された藤原敦忠と、西四条斎宮と称された雅子内親王の歌でまた、小倉百人一首には雅子内親王を想い敦忠が詠んだ

 あいみての後の心にくらぶれば
  昔はものを思わざりけり

の一首がおさめられ、王朝人の恋の舞台となったところでもあります
平安時代以後、天照大御神の御神鏡を伊勢の地に奉祀された倭姫命の御聖徳と、慈悲淑徳の誉れ高き布勢内親玉を偲び、西院野々宮神社が創建されて以来、皇室をはじめ公家庶民にいたるまで広く崇敬を集めてまいりました
江戸時代以降西院春日神社の御旅所とされ、十月の祭典には天皇の御使いをはじめ多くの公家が参列し、現在でも十月第二日曜には春日神社の神興二基が千人におよぶ供奉を従えて渡脚され春日神社宮司斎主のもとに祭典が営まれます
社殿は、安永四年(一七七四)十月二十八日に後桃園天皇より宮中、賢所を拝領して造営されたものです
古くは機織の守護种とされ織女の信仰厚く後には御祭神の徳を偲び広く女人の守リ神として
女性の崇敬をあつめております
  平成十四年八月吉日』
 (境内説明板より)

 

 西院野々宮神社へ行く。
 事前に下調べもなしに興味本位であちこち回っているので、ここはまだ行ったこともなく、どのような神社か興味を持ちながら訪れた。
 鳥居前の道路に車を置いて境内に入ると、やや広めの敷地が広がり、周囲はどこの神社でも同じだが高い木々に覆われている。ぱっと見たところ特にこれといった特別な感じもなく、ごく普通の神社のように見えた。拝殿そして本殿の敷地は横長に塀で囲まれ、さほど古さを感じさせない。本殿の建物がよく拝見できる。花も何もないのでそっけない感じではあるが、全体的に非常に静かで落ち着いた雰囲気。境内全体もよく整備されて地域で大事にされていると感じさせられた。
 撮影中に一人の男性がお参りに訪れ、少しして別のご婦人がやはりお参りに訪れた。このように普段から時々人が訪れてお参りして行くと言う神社なんだろう。しかし境内に掲げられた横長の掲示板には、筆書きで由緒が書かれていた。それを読むと単なるごく普通の神社ではなく、相当な歴史を有する重要な位置づけの神社であることが記載されている。その全文を上に載せたが、これだけでもこの神社が持つ重要な特徴がかなりよくわかる。
    
 創建についてはよく分かっていない。かつては機織りの守護神として信仰を集めたと言う。後にそこから女性そのものへの守護神の役割が加わったようだ。その後の変遷については明らかではないが、御祭神が上記のように「倭姬命、布勢内親王」の2柱となっている。
 倭姬命(やまとひめのみこと)というのは垂仁天皇の姫であり、最初の「斎王」だと言う。ただこれらの人々は日本書紀等によると、古墳時代以前にまで遡るような時代の人物であり、もはや神話の世界の話となる。
 このあたりは実際の歴史と、どのくらい関わりがあって信憑性があるのかは分からないが、一般的には日本誕生後のしばらくの間の歴史については、天皇による国家支配の都合に合わせた作り話、つまり「神話」のものであると考える方が妥当だろう。一方でこれらの名前があちこちの神社で祭神として祀られているという事実もあって、そういう名の人物の存在が何らかの形であった可能性がないわけではないかもしれない。
 一説には倭姬命は、大和朝廷の女帝「卑弥呼」ではないかと言う話もあるようだ。この辺りは日本書紀にしろ古事記にしろ、古墳時代以前から古墳時代にかけての日本の様子について、当時中国からの使者の記録、例えば「魏志倭人伝」などのような文献との比較検討も必要だと言うことになるだろう。
 もちろんど素人の私がこんなことを言ったって、昔から専門家が様々な文献にあたりながら研究活動はずっと続けられているし、現時点での研究の到達点からはやはり、古事記・日本書紀の前半部における記述は、基本的には神話の域を出ないのものだというのが定説となっている。
 たとえそうであったとしても、そこに記述されている人物の名前や当時どんなことが行われていたかということについて、歴史的な事実を追求する上での一つの参考にはなるかもしれない。
  倭姬命は、最初の斎王と言うが、これは伊勢神宮にお仕えする前に身を清めるために、1年間なりの「斎所」での生活をしなければならず、そこを「野々宮」と言った。今では全国各地に野々宮の地名がある。ここの野々宮が発祥の地と言われている。この野々宮神社はかつて斎所が設けられた場所であると考えられているようだ。
 このように見てくると、単なる神社のように見えたものがとんでもない背景を持った神社であることを思い知らされる。写真に撮ってみてもごくごく普通にしか見えないが、いつも思うように、悠久の歴史の流れをそこに感じることができるようだ。もちろん神話的な要素の部分についてはそのことを明確に意識した上での話だが。
 



猿田彦神社



『 山ノ内 庚申
猿田彦神社

由緒略記

御祭神 猿田彦大神
境内社
 大国主社 御祭神 大国主命
 秋葉社 御祭神 火伏の神
 秋葉社 御祭神 火伏の神 秋葉明神
 稲荷社 御祭神 稲荷大神

御神徳由緒
当社は山ノ内康申と言い、京洛三庚申の一社に数えられ、洛西の旧社として著名なお社である。
古図によれば三条通り側に鳥居があり参拝したと言われる。
猿田彦大神は道ひらきの神、人生の道案内の神と崇められ、開運除災,除病招福の御神德を以
って世に知られている。
 見ざる、言わざる、聞かざるの三神猿は、世の諸悪を排除して開運招福をもたらす崇高な御神教を示すものである。
 庚申祭りは、平安時代より十巻干十二支の庚申の日に祀り、江戸時代二至り庚申待、庚申講と言い村人が集まり猿田彦大神、清面金剛のお軸を掛け、七種の供物を捧げ夜を明かして萬福招来を祈願したのである。
 現在も六十日に一回の庚申日にお祭りをしている。新年初めの庚申日には、近郷近在より除
災招福を祈り参詣する信者はあとをたたない。
 御社殿はもと安井村松本領にあって境内には山伏修験者の行者があり愛宕詣りをする人々は
滝に打たれ身を浄めて参詣したものである。
明治十八年現在の地に移築されたが、行場の名残りをとどめる大小無数の石が境内北側に存在し、火伏の神、秋葉明神、南側には不動明王、観世音菩薩地蔵尊を祀る。
昭和五十五年は六十年毎に迎える庚申の年に当り、御神殿修覆中礎石に使用されていた道標に
刻まれた「あたごへニ里半」の文字に往時を偲ぶことが出来る。
庚申灯籠(日、月)は明治、大正、昭和に数多く奉献されている。
 (境内説明板より)

 
 猿田彦神社は三条通りと天神川通りの交差点の近くにある。
 すぐ横を京福電鉄嵐山本線が走っており、神社の横に駅がある。頻繁に来る電車の音と三条通りの車の騒音で結構賑やかな場所だ。狭い土地に設けられている神社で車で行ったが、2~3台しか駐められない。運よく端っこに駐めることができた。
 一旦鳥居の外へ出て撮影。境内に入るともう本殿がすぐ近くにあり、周りに抹社などがある。もちろん最大の特徴は名前の通りで、猿の木彫があちこちに点在し、少し大きめのエ絵も展示されている。撮影する対象は境内も狭いのであまりなくてすぐに終わってしまった。木彫の猿の一体一体を見ていると、それぞれ表情が違ったり、仕草も違ったりなかなか凝ったものだ。
 「猿田彦」というのは、これも神話の時代の話になるが、天照大神の孫であるニニギノミコトが天孫降臨の時に道案内をしたと言われており、そこからご利益として、開運や幸運の神として崇められている。
     
 ただ猿田彦大神については全国各地の神社の祭神であったり、あるいは道祖神としても祀られていたりして、あれこれの由緒というのが今ひとつはっきりしていないようだ。元々が神話の話であり、幸運の神として後にどのように各地に広まっていったのか。その辺りのところもよく分かっていない。
 逸話もいくつか残っており、それらも怪しいと言えば怪しい話だ。しかし元々が神話に登場する神であり、それが歴史的に実在した人物と結びつけられた話であっても、その話そのものは人々の信仰を集めるために、あえて作られた話として伝えられたのであろうと考えられる。

   
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