西園寺は上京区の鴨川沿いにある。
出町柳から鴨川を少し上がると、広大な境内を持つ相国寺を始め、多くの寺院が密集している。その一角に西園寺がある。境内もそこそこ広く、山門を入るとすぐに地蔵堂がある。正面には本堂が控え、典型的な寺院の伽藍配置となっている。石造十三重塔がよく目立つが、これはかなり新しいもののようだ。
この日は境内に人の姿が全くなく、拝観しているのかどうかも分からない。本堂には重要文化財の阿弥陀如来像があるが、見ることのないまま諦めざるを得なかった。
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しかし一方、地蔵堂には鎌倉時代の作と言われる「槌止め地蔵」が安置されており、自由に見ることができた。この地蔵の名前は恵心僧都源信の、極楽地獄の教えに関わるものだと言われており、背後には後世の江戸時代に描かれた、地獄と極楽の絵図が描かれている。これが見られただけでも良しとしよう。
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名前にある西園寺は、家系として今もずっと存続しており、幕末から明治にかけて活躍した西園寺公望を輩出している。当時、伊藤博文を補佐し、後には総理大臣にもなった。
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また彼は、明治はじめに京都御苑の中に、私塾である「立命館」を創設し、青年達の教育にあたるものの、当時の太政官によって、自由闊達な青年たちが危険であるとみなし、閉校に追い込まれる。しかし後年、西園寺公望の秘書をしたこともある中川小十郎と言う人物によって、夜学である「京都法政学校」が創設され、西園寺公望の精神を受け継いだ学校として発展していく。後にこれが「立命館大学」になっていく。
お寺の山門横にある駒札の説明だけでは知り得ない、様々な歴史的な背景が見えてくると、この様な一寺院にも様々な重みがあることが分かって、非常に興味深い。重要文化財の阿弥陀如来像も、源信の作と言われており、次回は是非見てみたいと思う。
『西園寺
宝樹山竹林院と号する浄土宗の寺である。鎌倉幕府の太政大臣となった藤原公経が、元仁元年(一二二四) に衣笠山の麓に苑池を造り、池畔に本堂、寝殿など壮麗な堂宇を建てて、西寺と称したのが当寺の始まりである。
以来、この寺名が子孫の家名となり、当寺も西園寺家の北山山荘として子孫に受け継がれた。
しかし、足利義満が北山殿(金閣寺)を造営するに当たってその地を所望したため、上京区
の宝町に移リ、更に天正十八年(一五九〇)にこの地に移転した。
現在の本堂は、天明の大火(一七八八)後に再建されたもので、正面には、明治、大正、昭和
の三時代にわ たって政界で活躍した西園寺公望の筆による寺号の額を掲げている。
また、堂内には恵心僧都の作と伝えられる本尊、阿弥陀如来像(重要文化財)を祀り、地蔵堂には、北山の衣笠山麓にあった西園寺の功徳蔵院の遺仏と伝えられる槌止め地蔵を安置している。
京都市 (門前駒札)』