切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

紅葉 京都府京田辺市 善法律寺・・・別名「もみじ寺」

2017-11-30 22:18:04 | 撮影

 京田辺市内でも紅葉の名所として知られる。別名「もみじ寺」とも言う。
 幹線道路から少し西側に入ったやや細い道沿いにある。以前から紅葉シーズンには訪れたいと思っていたところだ。この日は残念ながら空模様が全体的に雲が広がっており、部分的に青空があったのみで、写真撮りには今一つではあったものの、さすがにもみじ寺ということがよくわかる。
 既に門前に何人かの人が来ていて、途中からは八幡市内の紅葉を巡るツアーをしている人たちもやってきていた。見頃としては少し早かったものの、境内いっぱいに広がる 赤や黄色の彩りがなかなか見事と言える。
 お寺には貴重な仏像があるが、あくまでもこの日は紅葉撮影という目的だったので、内部には入らず。尤もお寺の中からは、小さな子供たちがキャーキャーと遊ぶ声が賑やかに聞こえてきて、仏像参拝という雰囲気ではなかった。この時はまだ知らなかったのだが、この約一週間後から、八幡市内の文化財一斉公開が始まった。その際、正法寺や神應寺などへは行ったが、善法律寺については行きそびれてしまった。来年また改めて文化財公開の日に行ってみたいと思う。紅葉の素晴らしさという意味ではぜひ一度、訪れておく値打ちが十分にあると言える。
              

『善法律寺

 奈良唐招提寺末で律宗に属す。鎌倉時代、正嘉年中(一二五七~ 五九)石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたことに始まる。
 室町時代には、善法寺通清の息女紀良子が足利三代将軍義満を生んだことから将軍家との関係は深い。良子が紅葉の樹を寄進し、今も紅葉が美しいことから紅葉寺とも称される。
 すぐです本堂は、内陣を高御座と呼ぶ神仏混淆の五間四方の堂で八幡宮の旧社殿を移築したとされ、建築年代は不詳であるが、桃山時代の特徴を示すといわれる。
 本堂本尊は、もと石清水八幡宮にまつられていた僧形八幡坐像といわれ、明治の神仏分離の際に当寺に移された。像高九二センチ、木造彫眼、平安時代末頃のものといわれる。両脇には、愛染明王・不動明王があり、寄木造り玉眼彩色の等身大で創建時の作である。
 奥殿には宿院頓宮にあったという宝冠阿弥陀(南北朝時代)や善法寺祐清が造立した観音堂の本尊千手観音菩薩立像(鎌倉時代)など寺宝は多い。放生池畔にはもと大乗院にあったという五輪塔(鎌倉時代)もある。
 また、境内には昭和九年の室戸台風で犠牲になった八幡尋常高等小学校の校長生徒等の慰霊碑がある。
 一九九四年三月
 八幡市教育委員会 (境内駒札より)
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