きらほし写真館2

この程、古巣のブログに戻ってきました。
引き続き、宜しくお願い致します。

04/03日撮影 平作川

2023-04-03 18:17:58 | 野鳥

いつかは撮影してみたいと思っていた、縁起担ぎの「鯉のぼり」の撮影に成功。

一瞬のチャンスを狙うため、撮影はそう簡単にはいきません。

近年はボラのジャンプばかりで、鯉のチャンスはありませんでした。

ヒドリガモとオオバンは、まだ北へ帰りません。

イソヒヨドリは、我が家にやってくる個体です。

 

スズメ

アオサギ(飾り羽の白い模様に注目)

イソヒヨドリ

オオバン

ヒドリガモ

 

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04/03日 ビルボードライブ横浜 「リチャード・カーペンター」ライブ

2023-04-03 17:48:18 | コンサート
この日の夜、リチャード・カーペンターのライブを見てきました。
ライブ会場は、ビルボードライブ横浜。みなとみらい線の馬車道駅から徒歩3分のライブハウス。
リチャード・カーペンターは、カーペンターズの兄で、妹のカレン・カーペンターとの兄妹デュオ。
カレンは、32歳の若さで亡くなり、カーペンターズは事実上終焉しましたが、兄のリチャード・カーペンターは、音楽から離れる事がなく、ソロでも何枚かアルバムを出してきました。
私が初めてカーペンターズを聴いたのは、1972年の「トップ・オブ・ザ・ワールド」から。
それから、今日までずっと大好きなアーティストのグループです。
そのリチャード・カーペンターが来日する事を娘から聞き、予約をお願いしました。
ビルボードライブ横浜は、飲食出来るライブハウスで、開始1時間前に軽く食事を取りました。
17時からライブがスタート。生前中のカレンの映像が、ステージスクリーンに現れました。
その直後に、会場内にリチャードがラフな普段着で登場。タキシードスーツで「ビシッ」と決めた姿を想像していましたが
大外れでした。普通のオジサン?  笑
リチャードがステージに上がり、ピアノの前に座ると、いきなり曲を弾き始めました。close to youと涙の乗車券のメドレーを。
普段着姿のリチャードでしたが、鍵盤を叩くと若い頃のリチャードそのもの。ピアノの腕は全く衰えていません。
カレンの声がないピアノの伴奏ですが、カレンの声が聞こえてくるような錯覚に陥りました。
カレンが最も好きだった楽曲「青春の輝き」をピアノ・ソロで披露。
その後、リチャードの愛娘トレイシー、ミンディ2人がステージに登場し、リチャード・カーペンターファミリーによる
名曲を披露。未発表の1曲も披露してくれました。
その後、ファン4人からの質問タイムに突入。流暢に話す方や、辿々しく話す方、日本語で話す方等、ファンサービスありのライブに。「好きな女性のタイプは?」の質問に、リチャードは「39年連れ添う妻と5人の愛娘」と回答。客席大爆笑。
「涙の乗車券のイントロがカットされた理由は?」の質問には「当時は4分以内に曲を作らないといけないプロモーターから
の圧力があったので」と回答。客席納得。
後半、ウーリーのピアノによる名曲「トップ・オブ・ザ・ワールド」を披露。
そして、末娘のテーラーさんが登場し、ファンと一緒に「ジャンバラ」を熱唱。
その後、一旦ステージを降りたリチャード。数秒後、リチャードが「大切な曲を歌うのを忘れていました」と言いながら、再び愛娘2人と登場し、最大のヒット曲「イエスタデイ・ワンス・モア」を披露してくれました。
あっという間の90分でしたが、リチャード・カーペンターファミリーによる夢心地のステージを堪能しました。
私が青春を過ごした日々に、カーペンターズの曲はいつも安らぎと元気をくれました。
1972年から1983年当時を思い出すなら、カーペンターズの曲を聴けば蘇ります。それだけ、生活の一部でしたから。
カーペーターズの大半曲を、歌詞無しでも歌えます。笑
実は、最近になって知った事ですが、家内とカレンの誕生日が3月2日で同じでした。
カレンが亡くなった年に今の会社に入社。
勤続40年して、退職後にリチャードに会えるなんて想定していなかったので、最高の退職祝いになりました。
チケットの手配から、費用まで捻出してくれた、うちの愛娘ちゃん。ありがとう。
 
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