kinuko画廊

子供の頃のように無邪気に、心に浮かぶ絵を描いていきたい
溢れ出すコトダマたちとともに・・・

戦いがこの世からなくなることはない

2008-09-30 12:12:27 | ちょっとお堅い話
というと、絶望的な気持ちになりますが、これが現実です。そして、この現実の
世界に生きる私達日本人の多くは、このことから目を背け続け、戦ったり、争ったり
することを嫌がる一方で、その抑圧を解放するかのように、日常では対象を見つけて
は戦い、映画やアニメやゲームでバーチャルな戦いに興じているのです。

私に「現実を見渡せ」というメッセージがきたのは、それまでの私がとても薄っぺらな
博愛精神で、人類みな兄弟、愛と祈りで・・・というような甘ちょろいことを、ボヤ
けた視力と偏った思考の中で漠然と信仰していたからだと思います。(といっても、
宗教に属していたわけではありませんが) 

このような博愛主義的な考えが間違っているとは言いません。間違ってないの
ですが、これが現実の世に通用するならば、神様も仏様も苦労はしないという
ことです。それぞれ、素晴らしい教えを伝えながら、また、それを熱心に信仰する
人たちが大勢いるにもかかわらず、真反対のことが行われているのがこの世なのです。

自分の中にも戦う気持ちはあるはずです。日頃、神の視点で見ようとか、愛が
すべてと説いていながら、それに異を唱える者に対しては、人が変わったように
猛然と戦うスピリチュアル好きな人はたくさんおられます。みんな自分を、自分が
信じたものを守ろうとするのです。それがいいとか悪いというのではなく、自分の
中にもそうした意識があると認めなければ、前進しないということです。

スピリチュアル世界を旅し、いざ現実を見渡した時に、私自身、理想社会という
空想の世界を追い求め過ぎていたことを痛感しました。
「こうであってほしい」もしくは、「こうでなければならない」という理想を頭の中で
創り上げ、それを現実の社会に無理やりはめこもうとしていた所があります。
戦いのない世を待つのは、その顕著な例であって、願望としては正しいでしょうが、
現実的ではありません。

戦いの無い世―これは人間が本来持つ本能までを否定することです。
例えば、我が子が暴漢に襲われそうになっているのに、「戦ってはいけない」とその
まま見ている親がいるでしょうか。自分の国が武力による攻撃を受けているのに、
平然としていられるのでしょうか。無防備な国には攻撃してこない?いえいえ実際、
日本の近隣2~3国の核ミサイルの弾頭は日本に向けて固定されています。

7月の洞爺湖サミットで、各国首脳が七夕に願いを書きました。ほとんどの首脳が
世界の平和を願ったのです。それは嘘ではなく、本心だったと思います。
だからといって実際、自ら武器を捨てようとする国はありません。「人は戦うもの」だと
解かっているからではないでしょうか。

中国に侵攻されたチベットは、これまで表立って戦うことはしませんでした。
しかしながら、民族浄化や文化的虐待などが進む中、彼らは民族としての伝統、
文化を守るために、このままではいけないと国際社会に訴えるために蜂起したのです。
こうした戦いまで否定することなど、誰ができましょうか。

まさに私達は、強いものが弱いものを取り込んでいる様をまざまざと見せられて
いるのです。


戦後日本人は、幼い頃から「戦うことはいけないこと」と教えられてきています。
学校教育では、今戦うことどころか、競うことさえさせていません。そうした自然に沸く
気持ちを封じることが、本当にいいことなのか大人が真剣に考えなければなりません。
そうした抑圧は陰で、陰湿な方法で解放されているからです。

今は、戦い=悪いという考え方は、なんでもかんでもに採用され、間違いを正そうと
批判したり、ここがおかしいと指摘することも、「悪口」とか「いじめ」というレベルに
置き換えられたりします。
そんなことを言う前に、正々堂々、真正面から議論を戦わせればいいだけの話です。

ただし、議論を戦わせるにしても、マナーやルールは必要だと思います。
暴力に発展しないよう、人間が持てるだけの知恵と胆力を発揮しなければならないで
しょう。

私自身の反省ですが、
スピリチュアルに傾倒していると、現実世界に起きていることを直視しない博愛主義に、
神様視点ならぬ「上から目線」がプラスされ、余計現実とかけ離れた思考になって
いきます。しかし、これではスピリチュアル性を磨く意味がありません。精神世界とは、
自分がどこか違う次元へ飛んでいくのではなく、現実社会をキチンと生きるために
あるのだと思います。現実への対処を考えるという汚れ仕事を他人に任せておきな
がら、神様視点もないものです。
自戒を込めて―

理想は理想で持つべきでしょう。それを自らの生きる指針にすればいいのです。
けれど、現実で起こっていることから目をそらしてはいけないと思います。私は、
日本を守るために何ができるか考え、伝え、行動することにしました。もしそれで
アセンションできなかったとしても、神に裁かれたとしても、それはそれでいいと思って
います(笑)


もし、

この世がガラス張りで、誰が何を考え、何をしているか、何をしようとしてるか、
みんなみんな、他人に透けて見えるとしたら、

世の中の悪事も無くなるでしょう。
戦いの多くは無くなるでしょう。
細かな法律も必要としなくなるでしょう。

人の心がそれくらい澄まなければ、理想に掲げる世界は難しいということです。

しかしながら、最終的に人類はこれを目指すべきでしょう。
ひとりひとりが、神の御前に出ても恥ずかしくないような澄んだ心で現実を生きること
です。