てんかん娘と働くママさん

てんかんを持つ長女と元気な長男次男にかこまれてヘロヘロになりながら働く母の日記というか独り言・・・・

娘の事・・・・・発達・学校について

2008年09月24日 | Weblog
娘は今は某大学附属特別支援学校に通学しています。

満3才までは手元で本当に家族だけで過ごさせていました。
公園に出かける事も少なく、家の中でひっそりと私と二人きりで毎日

てんかんの薬を飲み始めてから、みるみる生気がなくなり表情も乏しくなった娘。
副作用の眠気で一日12時間以上眠ってすごしました。

これではいけない!と奮起してやっと療育センターなるものに出かけたのがちょうど満3才です。
それまでも何度も保健センターやドクターに相談していたんですけど、様子を見ましょうとか、あんまり親身になってはくれませんでした。
保健センターなんて療育センターがあることさえ教えてくれなかったし、娘に知的な遅れがあるようには見えないって。
で、メンタルが弱い私はそういった対応の度に凹んでしばらくは引きこもっていたので。

やっと療育センターの門をたたいた娘と私。

療育センターのドクターの勧めもあって保育園とか幼稚園とかの健常児との集団生活をさせることにしました。
これまた門徒は狭く、幼稚園は無理でした。
保育園も療育センターの働きで何とか入れましたけど、土曜日は×、保育園の行事でスタッフが少ない日は×、8:30~16:30以外は×・・・・・と厳しい条件が付けられました。
しかも期限以内に仕事を見つけなければ退園してもらう、娘が慣れるまでは母子通園しろ・・・なんて条件もつけられましたよ。

仕事はすでに決めていたのでOKかと思っていたら色々な条件でしょう?
泣きました~

泣く泣く仕事は条件に合う違うものを探してなんとか無事3年保育を終了しました。

入園して1年経った頃には「Kちゃんが入園してきて良かった。他の児童にとってもスタッフにとってもとても良い経験が出来ています」なんてこそばゆい話をされました。

でも本当にこの保育園での3年間は私にとっても素晴らしく、ママ友も出来たし、今でも仲良くしていただいているスタッフにも出会えました。
娘の学校の行事などはわざわざ見にいらしてくださったり、結婚式にお邪魔させていたっだいたり

とても気に入ってしまった保育園、もちろん下の子達も通っています。

さて、一番普通の生活がおくれていた保育園の年長さんの時は、やはり就学という壁にぶつかり、やっぱり健常児とは違うんだなあ、親の気持ちの持ちようで健常児と同じに過ごせるって思っていたのは間違いだったなあ、と感じた1年でした。

なにげに保育園の園長先生が某大学附属特別支援学校を勧めてくださり、体験入学みたいなものに参加しました。学校のスタッフがとても良くって、なんとなく受験したら4/10の確率で合格したのが、今の学校です。

受験日が早くて結果も公立校より早かったので、受かったからには入学させようという軽い気持ちで決めてしまいました。

今考えると、準備に準備を重ねて受験された方々には申し訳ない思いです。

おかげ様で、クラスメイトに恵まれ(親同士)スタッフに恵まれ、ここまできました。

娘は一語文は話せますが、相手の話を全て理解しているわけではないので、会話はかみ合いません。本人が自分の話したい事を口にしているといった感じですかね。

てんかんの発作は毎日頻繁で・・・・・・・学校からもよく連絡きますし、よく怪我もします。
先日は前歯がグラグラになるくらい顔面を打って、唇はかなり深く切ってしまいました。

毎日がハプニングだらけで落ち着く日々はいつくるのでしょう?