今までの経緯を整理して書いてます。
果たして?整理されているかは謎ですが。
3回目です。多分、これで現在まで書き終えると思います。
〈静岡てんかんセンター〉 H19,2
一年生になってから、痩せてしまった事や、私が急にフルタイムで働く事になってしまったりで、娘は体調が不安定だった。
そりゃあそうだよね。
それまでは、私は娘の体調に合わせたパートとか内職しかしてなくて、娘が少しでも疲れているようだったら、保育園は休ませたり、時間を短くしたりした。
だから、無理をさせる事はなくて、いわゆる温室育ちってやつ。
それが急に毎日、学校に登校させられるのだから。
休みたい時があったかもしれない。
もっとゆったり生活したかったに違いない・・・
と、いうことで娘はかなり不安定な体調だった。
私は慣れないフルタイムの仕事に疲れていて、家事もロクにこなせなかった。
休みの土日も子供達がずっと家にいるので家事も捗らず、体も休まらなかった。
あまりにも辛くて、ショートステイを利用しようと考えた。
その施設に相談に行った時、静岡てんかんセンターの受診を強く勧められた。
「こんなに発作の回数が多いなんて、施設としては難しいし、試しに一度は。」
と。
当時のドクターに全く不満が無かったと言えば嘘になるが、何が何でも静岡てんかんセンターでなければ、って事も無かった。
でも、あらゆる施設関係者や福祉関係者に
『静岡てんかんセンターは行かれましたか?』
と、嫌みなのか?アドバイスなのか?大きなお世話だ!の言葉をもらっていた。
なので、やっと重い腰を上げて静岡てんかんセンターって所に行くことにした。
電話で予約を取って、発作のビデオを撮って、早起きして。
脳波やMRIをやった。
検査の結果をみて、持って行ったビデオを見て、診察をして~、ドクターの所見はこうだった。
「今までの治療は間違っていないですよ。この症例にしてはよく発達してますね。今の医学では、今までと同じようにやっていくしかないでしょう。あと何年かしたら新薬が出るから、それは試す価値はあると思います。それは、今、診ていただいているドクターも考えていると思いますよ。」
拍子抜けしたのは言うまでもなく、でも、これで
『もう、親としてやってあげられる医療は受けさせた。誰にも何も言わせない』
という開き直りに近い気持ちになった。
〈近くの病院に〉H19、5~
静岡てんかんセンターに行ったものの、特に変わる診断もなく、今までと同じ生活を送る事にした。
しかし、発作が増えた事で娘は怪我が絶えなくなった。
長く発作が続く事もあって、遠くの東京の病院では不安が大きかった。
なんとか地元の病院と連携出来ないか?と思ったが、なかなかそう上手くはいかない。
前に救急車を呼んで、救急指定病院に行った時も、
「主治医の指示を仰いで欲しい」
と頼んでも、病院からは「それは出来ません!」と、何もしてくれなかったし。
そうこうしている内に、東京の大学病院の分院が近くに出来た。
もちろん、すぐに転院した。
この頃、娘は昼間にバタバタと転倒しては怪我をしてた。
そのかわり、夜は眠るとほとんど夜中と朝の発作がなくなり、良くなったのか?悪くなったのか?私には判断出来なかった。
〈笑えない怪我〉 H20、5~
倒れる発作が増えてからもう4年位経っていた。
今までに大きな怪我が無かったのはやっぱり奇跡だったらしい。
体がまだ小さいと転倒した時の高低差が少ない、とか、体重が軽いから衝撃が少ない、とか・・・・・
小3になって、身長が伸びた娘にはもう奇跡はおきない。
歯を何回も折ったり、頭をぶつけたり、体にはアザが全く無い!ってゆう日はない。
どこかしらに打ち身を発見する。
前歯は入れ歯になる予定だ。
これから全ての永久歯が生え揃って、顎が形成されるまで、暫定的かつ保存的な治療が行われる。
でも、これからの長い治療の間も発作で打撲していくと思う。
せっかく治してもすぐにぶつけて駄目になるかも・・・・・
顔の右半分は発作の時の事故で火傷した。
親の責任だと思う。
熱い食事を目の前に置いてしまった。
もう、だいぶ良くはなったが、まだ小さく赤いのが残っている。
こんな感じです。
これからも色々なハプニングに対応して行くんだろうなあ~と思います。
最近は転倒する発作は少し減りました。
その代わりなのか?睡眠時のシリーズ発作が復活してきました。
どんな因果関係があるのでしょうかね~。
私としては日中は機嫌良く活動的に過ごせているのなら、夜の発作はいいと思います。
そう言えば、ずっと前に、娘が夜とかしか発作しないので、てんかんの事は私の作り話かも?と思われてた時がありました。
はっきりとは言われないけど、空気がね・・・
入院したり、知的に遅れてきたりして払拭されたけど、今となっては、そう思われる程に元気で快活に見えた娘が懐かしいです。
果たして?整理されているかは謎ですが。
3回目です。多分、これで現在まで書き終えると思います。
〈静岡てんかんセンター〉 H19,2
一年生になってから、痩せてしまった事や、私が急にフルタイムで働く事になってしまったりで、娘は体調が不安定だった。
そりゃあそうだよね。
それまでは、私は娘の体調に合わせたパートとか内職しかしてなくて、娘が少しでも疲れているようだったら、保育園は休ませたり、時間を短くしたりした。
だから、無理をさせる事はなくて、いわゆる温室育ちってやつ。
それが急に毎日、学校に登校させられるのだから。
休みたい時があったかもしれない。
もっとゆったり生活したかったに違いない・・・
と、いうことで娘はかなり不安定な体調だった。
私は慣れないフルタイムの仕事に疲れていて、家事もロクにこなせなかった。
休みの土日も子供達がずっと家にいるので家事も捗らず、体も休まらなかった。
あまりにも辛くて、ショートステイを利用しようと考えた。
その施設に相談に行った時、静岡てんかんセンターの受診を強く勧められた。
「こんなに発作の回数が多いなんて、施設としては難しいし、試しに一度は。」
と。
当時のドクターに全く不満が無かったと言えば嘘になるが、何が何でも静岡てんかんセンターでなければ、って事も無かった。
でも、あらゆる施設関係者や福祉関係者に
『静岡てんかんセンターは行かれましたか?』
と、嫌みなのか?アドバイスなのか?大きなお世話だ!の言葉をもらっていた。
なので、やっと重い腰を上げて静岡てんかんセンターって所に行くことにした。
電話で予約を取って、発作のビデオを撮って、早起きして。
脳波やMRIをやった。
検査の結果をみて、持って行ったビデオを見て、診察をして~、ドクターの所見はこうだった。
「今までの治療は間違っていないですよ。この症例にしてはよく発達してますね。今の医学では、今までと同じようにやっていくしかないでしょう。あと何年かしたら新薬が出るから、それは試す価値はあると思います。それは、今、診ていただいているドクターも考えていると思いますよ。」
拍子抜けしたのは言うまでもなく、でも、これで
『もう、親としてやってあげられる医療は受けさせた。誰にも何も言わせない』
という開き直りに近い気持ちになった。
〈近くの病院に〉H19、5~
静岡てんかんセンターに行ったものの、特に変わる診断もなく、今までと同じ生活を送る事にした。
しかし、発作が増えた事で娘は怪我が絶えなくなった。
長く発作が続く事もあって、遠くの東京の病院では不安が大きかった。
なんとか地元の病院と連携出来ないか?と思ったが、なかなかそう上手くはいかない。
前に救急車を呼んで、救急指定病院に行った時も、
「主治医の指示を仰いで欲しい」
と頼んでも、病院からは「それは出来ません!」と、何もしてくれなかったし。
そうこうしている内に、東京の大学病院の分院が近くに出来た。
もちろん、すぐに転院した。
この頃、娘は昼間にバタバタと転倒しては怪我をしてた。
そのかわり、夜は眠るとほとんど夜中と朝の発作がなくなり、良くなったのか?悪くなったのか?私には判断出来なかった。
〈笑えない怪我〉 H20、5~
倒れる発作が増えてからもう4年位経っていた。
今までに大きな怪我が無かったのはやっぱり奇跡だったらしい。
体がまだ小さいと転倒した時の高低差が少ない、とか、体重が軽いから衝撃が少ない、とか・・・・・
小3になって、身長が伸びた娘にはもう奇跡はおきない。
歯を何回も折ったり、頭をぶつけたり、体にはアザが全く無い!ってゆう日はない。
どこかしらに打ち身を発見する。
前歯は入れ歯になる予定だ。
これから全ての永久歯が生え揃って、顎が形成されるまで、暫定的かつ保存的な治療が行われる。
でも、これからの長い治療の間も発作で打撲していくと思う。
せっかく治してもすぐにぶつけて駄目になるかも・・・・・
顔の右半分は発作の時の事故で火傷した。
親の責任だと思う。
熱い食事を目の前に置いてしまった。
もう、だいぶ良くはなったが、まだ小さく赤いのが残っている。
こんな感じです。
これからも色々なハプニングに対応して行くんだろうなあ~と思います。
最近は転倒する発作は少し減りました。
その代わりなのか?睡眠時のシリーズ発作が復活してきました。
どんな因果関係があるのでしょうかね~。
私としては日中は機嫌良く活動的に過ごせているのなら、夜の発作はいいと思います。
そう言えば、ずっと前に、娘が夜とかしか発作しないので、てんかんの事は私の作り話かも?と思われてた時がありました。
はっきりとは言われないけど、空気がね・・・
入院したり、知的に遅れてきたりして払拭されたけど、今となっては、そう思われる程に元気で快活に見えた娘が懐かしいです。
静岡とかかりつけとは診断は違ったのですが、薬については特に変わりませんでした。
治療方針はずいぶん変わりましたけど。
静岡で入院して安定したので、静岡の主治医の考えで元のかかりつけに戻りました。
静岡でもかかりつけでも、入院して投薬治療と言えば一括りですが、薬の使い方も検査も違うので私も夫も「かかりつけにずるずるとすがらないで、さっさと静岡で薬の調整を頼めば、もっと早く良くなっただろうに。」と思いました。
そしたら本人も早く楽になれたし、周囲の人間も発作を心配しなくて済んだのにと後悔しています。
仕事に関しても、私は代わりに見てくれる両親がもういないので辞めざるを得ませんでした。
それを考えても「早く行動したら、子どもも親ももっと早く楽になっていたのに。」と思わざるを得ません。
今は安心して学校にも行かせているし、遊んでいても以前のようにずっとついている必要がなくなりました。