
米津玄師 2025 TOUR JUNK at 京セラドーム(大阪)
2025年2月15日(土)&16日(日)
セトリと演出については力を振り絞って書きましたが、あとはその他もろもろのこと。
念願の「HYPE」がコロナで中止。「変身」(大阪城ホール)「空想」(神戸ワールド記念ホール)に行ったけど、どちらもアリーナの一番後ろの隅っこで、総立ちの中では何にも見えず、スクリーンすらチラッとしか見えないという引きの悪さ。
なので今回はスタンドに絞って申し込んだところ、奇跡の2days!
本当に嬉しかった!
京セラでのライブはQueen+アダム・ランバートで行ったことあるけど、席が狭くて転げ落ちそうという印象。
米津さんのライブは当日入場する時まで席がわからないのがドキドキで。
グッズの整理券はどちらも取れたので(売り切れよりも長時間並ぶのがイヤで)土曜、10時過ぎに行ったところ、すんごい人!!
びっくりした!ライブ18時からやで?!
グッズの列もどこまで続いてるねん?と思うぐらいで、階段降りて広い駐車場にずらーっと物販テントが並んでる様は壮観。
同行の友達は夕方まで来れないというので、グッズとガチャガチャの目標をとりあえずクリア。
人気のベロアのシャツ(可愛い)は10時台で売り切れてたねー
11時の整理券で30分ほどで買えた。
私、この年までいろいろなグッズを買いあさったり、コレクションしたりしてきたけど、やっと、私にはセンスよく飾るスキルもかといって使う勇気もない
ということがわかり、いくら集めたってあの世には持って行かれへんねんで!ということで、実用的なものに絞ることにしている。
タオルやTシャツを買い(それでもショッパー欲しさに色々買った)
ガチャガチャも2回だけ。30分ぐらい並んだかな。
2日目の日曜は整理券キャンセルしてガチャガチャ一回のみ。
なんと、この日は結局、全商品全サイズ、ガチャやCDまで全て売り切れ!すごい!タオルやステッカーまで。
ライブは本当にいろんな人が来ていて、親子、小さいお子さん連れ、お婆ちゃんと孫、男の子のグループ、老若男女。
初ライブの人も多かったんだろうね。
次からはチケットますます取れなくなりそ!!
席は、土曜は一塁側寄りスタンド下段のかなり上の方。それでもアリーナ後ろより全然いいと思える。
音響の大きな柱が立っててスクリーンは一つしか見えなそうだけど充分!
日曜は、なんとスタンド三塁側ベンチの上のあたり。
これは、今までで一番良い席!嬉しかった!
(余談ながら、別の友達は前回花道かぶりつきで、私はそれが羨ましすぎて泣きそうだった)
ライブの内容は別のエントリーで細かく書いたので、こちらでは徒然なるままに。
土曜、友達からLINEがきて
「今日、息子そこでバイトしてるわ!何してるかわからんけど!」
と!誘導かな?列整理かな?でもええなーと思っていたら、後日聞いたらなんとなんと
アリーナの柵おさえ。アリーナの柵おさえ。
(大事なことなので2回言いました。)
でも、そのバイトに慣れているので、特に感慨はなかったようだ。羨ましいぞ。
米津さんと中ちゃんが住んでた今川は実は私の沿線。だから、大阪のライブでいつも天王寺の話が出ると嬉しい。
電車の中からスーパーサンエー見てた(笑)
(ちなみに、大阪阿部野橋からだと3つ目、進行方向の左側。今川駅のすぐそばだけど、高架なのでよく見えない)
各停しか止まらないし、特に何があるでもないので、日曜には過去最高の乗降客数を記録したのでは??
米津さんが通っていた美術専門学校のある河堀口(こぼれぐち またはJRの美章園)までは駅2つ。
電車の中から見えるよ。阿部野橋から、進行方向右側。ひとつ目の河堀口駅を過ぎてすぐぐらい。
友達のお姉さんが行ってて、卒展に行ったことある。(もちろん年代は全然違うけど)
学校から、話によく出る天王寺(あべの)までは駅ひとつなので歩いても15分ぐらいかな。
美章園には「孤独のグルメ」に出てきたお好み焼き屋さんもある。
せっかく2日観られるのだから、じっくりいろんなところをみよう!と思ったのに、終わってみると肉眼で立ち姿を見ては、オペラグラスでスクリーンに映る表情を見たり、ヒラヒラする美しい手を見たり、お話を必死で聞いて覚えて、と忙しすぎた。
過去2度のツアーしか観ていないのに、何を!と笑われるだろうが、今回の米津さんは本当に楽しそうで自信に満ち溢れていて堂々としていて余裕綽々で確信犯的に可愛くて最高だった!
自分でも何度も言ってたけど、ひとりパソコンの前で夜中に孤独に苛まれていた青年が、こんな大観衆を熱狂させているのだと思うと、母親のような気持ちで、よかったね!よくがんばったね!
と言いたくなる。
2日間終わったあと、未だかつてない幸せでふわふわしたような気持ちと終わってしまった寂しさと、米津さんが大好きな気持ちが押し寄せてきた。
米津玄師に出会えてよかった、歌っていてくれてありがとう。あなたがあなたでいてくれてありがとう!という気持ちでいっぱいだった。
それは日常に戻るべき翌日以降も続き、観たもの聴いたもの感じたもの全て忘れたくなくて、音も映像も文字もインプットしたくない、つまり何もしたくない(笑)と思っていた。
ここまでのロスは初めて。
今回一緒に行った友達とは、高校の頃から小田さん(オフコース)やアルフィー、サザン、スタレビなど色々行ってた。
彼らはまだ現役で活躍中で、あんなに気難しく頑なに笑わなかった小田さんさえ、街ブラロケなどし、後輩に慕われる存在になった。
30年後、米津さんはあんなふうに年をとってどんな変化を遂げるのか。衰えず歌っているんだろうな。そうだといいな。
でも、友達に「でも私らはもう、この世にいてへんやろな!」
といわれて悲しかった。そりゃそうなんだけどさ。
えーそうかなー私、30年後の米津玄師のライブに行くために成瀬並みに200歳めざすわ!
米津さんのファンはアツくて、チケットがなくても各地の会場に行ったり、さまざまなファンアートを披露したり、米津さんのことは何でも知ってたり。
「脊オパ」のチケットがぜんぜん取れなくて、Twitter上の盛り上がりに疎外感を抱いて、卑屈になったこともあるアホな私ですが、どんなかたちでも、米津玄師を好きでいる私たちひとりひとりに、彼は決して貴賤をつけない。
私が米津さんを知ったのは「ピースサイン」の頃。
顔を隠し、神経質で緻密な絵を描き、尖った歌を歌う彼のことが、どこか危なっかしく思えて、もしかして突然この業界から姿を消してしまうのではないかという脆さを感じていた。
JUNKを観て、もうそんな危惧は消え去り、堂々たる時代の牽引者の米津玄師がいた。
いや、まだ不安はある。
無理し過ぎないでほしい。高まる要求の全てに応えようとしなくていい。
MCで、長く太く続けていきたい
と話していたけど、細くていいんやで!
永く続けてほしいから。
米津玄師という人は、自分が苦しみ傷ついてきたから、人の痛みがわかる人だと思っている。
それをあなたが全て受け止める責任はないから。
どうかいつまでも心身ともに健やかに。
あなたが幸せでありますように。
素晴らしいライブをありがとうございました。
また会える日をもう楽しみにしています!
長々と深夜のテンションで「お気持ち表明」して失礼しました。
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