インパクトあるオブジェでもある荒川水系隅田川国土交通省霊岸島水位観測所を見に行った。

今はその役目は三浦半島の油壷験潮所だけど、油壷に行く前はこのあたりに験潮所があった。

日本の標高の基準は東京湾平均海面。
東京湾平均海面と国会前庭にある日本水準原点をつなぐために水準点はある。
明治初期の東京湾平均海面は、明治6年に設置された霊岸島の量水標での明治6年~12年にかけての潮位観測から決定された。
その観測結果は、量水標そばに設置された霊岸島旧点に取りつけられ、明治初期の高さの基準となった。

その時もちいられたイギリス式水準点が几号水準点。
不の字のような水準点。
堅固と思われる神社の鳥居や城の石垣などに設置されたという。
明治24年に几号水準点だった霊岸島旧点に替わり、霊岸島新点・交無号が設置された。
これが日本国の標高の始まり。
旧点は大正時代に失われたが、新点・交無号は平成18年に現在地に落ち着いた。



明治24年に廃止された几号水準点であるが、都内の何か所かに残っていると、全然違う調べものをしていて目にとまった。
その資料の著者はご丁寧にその何か所をあげておられた。
霊岸島に行ったついでに見てみようと思い、更に検索したら・・・
驚いた!!!
すごい!!!
世の中にはこんなお方がいるのか!!!
上西勝也氏なるお方の「史跡と標石で辿る日本の測量史」というHPにあたった。
都内何か所だけでなくあちこちに几号水準点が残っているらしい!
東京メトロ日比谷線で動いていたついでに、南千住の円通寺さまに几号水準点をたずねることにした。
東京メトロ日比谷線・三ノ輪駅下車。

日光街道を行く。


途中には大好きな都電荒川線と商店街がある。


ちらりと電車を見ただけで寄り道せずに円通寺さま。

南千住の円通寺ってなんか聞いたことあるんだよなぁと思ってたどり着いたら、ああそうだ!上野寛永寺の黒門だ。



今は文化施設になっているけど、かつては上野の森一帯は全て寛永寺の寺領だった。
上野寛永寺にたてこもった彰義隊と大村益次郎率いる官軍が戦った上野戦争。
黒門付近は上野戦争の激戦地だったという。
その黒門がここに移築されていた。

鉄砲玉の痕が残る。

彰義隊士の墓。


ん。。。
と感心していて几号水準点忘れるところだった。


几号水準点はどこかな?
あそこか?

おお!あった!


なるほどねぇ。。。