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今日のころころこころ

2021・11・15 巴錦という菊のインパクト。巴錦は長野市大豆島原産なのか小布施町原産なのか。

昨日は三渓園の三渓園菊花展プレミアムツアー「菊めぐり」に参加させてもらった。
ちょっと早めに集合場所へ到着して、ふと見たら、お!巴錦の切り花販売だ!
そしたら横浜菊花会の皆さまが、巴錦知ってるんかい!わお!みたいな感じになって盛り上がり、巴錦の来歴についてお話ししてくださった。
た、んだけど。
巴錦は小布施から始まった菊なんだよと言われて、思わず、それ違います!長野市の大豆島というところが原産です!と言ってしまって、互いに絶句。
でも横浜菊花会の皆さまは気分を害するどころか、巴錦小布施説と巴錦大豆島説だ!と面白がっておられ安心した。
私もこの間善光寺の菊花展で初めて実物を見た程度なのだからなんなのだけど・・・
巴の錦、あるいは巴錦は、内側が深紅で外側が黄金色のゴージャスな古典菊。
善光寺菊花展の巴の錦。

三渓園菊花展の巴錦。

さて。
巴錦小布施説。
その昔、加賀のお殿様が参勤交代の折に柏原宿(長野県上水内郡信濃町)に泊ったさいに、小布施の役人が注文された栗菓子(栗落雁)に菊花を添えて献上したところ、殿様が感動して名前の無かった菊に自ら巴ノ錦と名付けたとされる。
巴錦長野市大豆島説。
その昔、信濃の国の大豆島村に信仰厚き者ありて菊一鉢を善光寺に奉納せり。たまたま、寛永九年の秋、光高公相携えての参勤交代の砌、善光寺参詣の加賀百万石三代城主利常侯がしばし足を留め、大僧正重慶に名を聞いたところ、名の無きを惜しみ自ら筆執りて巴の錦と名付けたり。
どちらの説も加賀藩と参勤交代は同じ。
まず小布施説。
栗菓子(栗落雁)を献上とあるが、栗落雁は、1808年に桜井幾右衛門が作り始めたとされる。ということは、栗菓子が献上されたのは1808年以降になる。
加賀藩主は11代目の前田斉広の時代くらいだろうか。
長野市大豆島説はかなり具体的だ。
参勤交代が制度化されたのは、1635年。
加賀藩3代目藩主は前田利常。利常の在世は1594年~1658年とされる。
寛永年間とは、1624年~1645年。
善光寺大僧正重慶の在職期間は1632年~1640年とされる。
となれば、寛永9年(1932年)に前田利常が参勤交代の折に善光寺参詣に寄って初めてみるゴージャスな菊にグッときたのもうなずけるし、就任したばかりの重慶が言葉に詰まったのもうなずける。
よって私は長野市大豆島説を支持する。
でもね。
自分の母より幾らか年かさのおじいさま、しかも横浜を代表するような菊作りの名人にそんな大人気ないこと言ってしまったなんて。
反省。
でもね。
この妙に入れ込んでしまうのが、菊なのかもしれない。。

昨日お土産にもらったアレンジメントの水をわすれてはいけない。
今日も暑いくらいの快晴だ。






コメント一覧

kinntilyann
わ!
やっぱり!
そう。
どちらにしても、たいそうにゴージャスに綺麗な菊(^^)v
押し花にしようかな(^^)v
彩女さまにとって今日も良い午後でありますように(^^)/
otikomi
大豆島説に一票!!^^
どっちにしても、きれいですね~~~~♪
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