今日のころころこころ

2018・3・19 東京の素敵な建造物 新宿区・佐伯祐三アトリエ記念館と中村彝アトリエ記念館

哲学堂を散策し野方配水塔を見物して、さてと。
そうだ。この機会に佐伯祐三アトリエ記念館に行ってみよう。
都営バスなら哲学堂バス停で関東バスなら哲学堂東バス停か。たまたま来た都営バスに乗る。

聖母病院入口バス停下車。

スマホのナビは目白通りのクリーニング屋さんの脇を行けという(^^;





お!風呂屋さんがあるのか。



スマホのナビで徒歩徒歩と。





あそこだな。





その時代の夭折の天才画家のひとり佐伯祐三は、大正10年(資料によっては9年)にこの地にアトリエを構えた。



むせ返るような沈丁花の香り。





木造下見板張りの小さなアトリエ。











大正12年に渡仏するまでと、大正15年に帰国し昭和2年に再び渡仏すまでの都合4年ほどのここでの暮らし。
昭和3年に遺骨となって帰国し大阪に葬られた。

ボランティアガイドさんが、ついでに中村彝のアトリエに寄っていくといいですよ!と教えてくださった。
佐伯祐三のアトリエは復元だけど、中村彝のアトリエは当時そのままという。

目白通りに引き返して、丁寧に教えてもらったけど細かい道はスマホ頼り。







ほお!木版アダチ!でもここはまた後日。



お!あそこだな。



中村彝アトリエ記念館。









佐伯祐三と同時代のやはり夭折の天才画家のひとり。
複製だけどよくできていると思ったら、DNPの技術!



アトリエへ。







老母の像のモデルとされる岡崎きいの部屋と台所。裏には当時のままに井戸が残る。







佐伯は渡仏できたが、中村は肺結核で日本を離れることなく大正5年に建てられたこのアトリエで終世を過ごした。





長生きできたらもっともっと描けたのかとも思うしい駆け抜けたから描けたとも思える。。

コメント一覧

うさぎ
帰る場所
なぜか、涙が出そうになります。。
ポジティブシンキングなボランティアガイドさんたちがおられなければ、たぶん、ぽろっとくる。
ピースオレンジ
帰る場所
http://blog.goo.ne.jp/peaceorange

アトリエは思考し、制作し、
楽しみながら、苦しみながら魂を削った場所。
そして何よりも
主にとって、帰る場所だったと思う。

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