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年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

横手 増田町

2014年07月12日 | 旅 行事
秋田:大仙市大曲で仕事の前日、早めに出て
伝統的な明治の蔵が残る 増田町に行ってきた。
江戸時代から商業の中心地として栄えた名残りだという。
大曲から奥羽本線に乗り、横手を通り十文字(街道の交差点が由来とか)駅で下車、
バスで15分くらいか、降りたメイン通りは思ったより小さい感じだ。
電車からの田園風景は、みどりの稲田と板金屋根の農家が調和し、洋風の感じさえする。
 
数年位前に、国の重要伝統的歴史的建造物群保存地区」に指定され、
それぞれの指定文化財の案内が整備されている。
観光センターで、ガイドさんのことを聞くと、団体さんの予約制だけとの説明。
国有形文化財5、横手市指定3、その他7の計15軒が主な見どころのようだ。
  

メイン通り「中町・七日町通り」は一見、今の田舎の商店街の感じで、それぞれの建造物入口の看板で
それと分かる程度だ。
道に面した家の間口は、どの家も3,4間と狭い。
税金の基準になったとかで、奥に細長く、京都の町屋のような造りになっている。
「佐藤三十郎家」:神奈川県で定年を迎えた息子さんに、家の構造とか子ども時代の様子を伺った。
いま、家を守ってきた母親と住まわっているとのこと。
アルミサッシの入口を入り、土間を突き抜けると、観覧料箱が置いてあり200円入れる。(有料の家はみな\200)
主屋の奥に厚い土壁の内蔵があり、ここは間口4間半と一番幅広いという。
両側の柱のピッチが半間と狭く、天井の横梁がものすごく立派だ。
厚みが5,60cmはあり、4.5間(8m)の一本もの・・・2階の物置の重量を支える強度のためだろう。
裏の出入り口には、4重の扉で密閉構造、火災から延焼を逃れる細工がしてある。
採光・通気のためのスライド式窓にも、当時の技術が込められている。
帰り、おばあちゃんに「家を守るのが大変だったでしょうね」
というと、「そうですね、こんなにして見てもらえるとは思わなかった」と感慨深げ。
「今まで守って来られた分、これから価値が出てきますよ」と言って後にした。

今も酒造を営んでいる日の丸酒造(有形文化財)も見学可だが、当日はあいにくお休み、他に山吉肥料店もある。
道に面している主屋では、江戸時代は繭(カイコからできる)や葉タバコを主に扱い、時代とともに業容を変ええ、明治・大正・昭和と引き継がれてきた。
主屋の奥の鞘という覆いに囲まれた「内蔵」には、蓄財の証ともいうべき凝った建物と家宝のようなものを保存していたのだろうか。木材は、栗・ケヤキ・ヒノキなど遠くから取り寄せて商家の勢いを競い合ったという。
「佐藤多三郎家」:1Fに昔の写真が置いてあり、大正時代に発見された吉乃鉱山(銅)でもこの地が潤った様子が分かる。
2Fには、掛け軸や最近まで主屋で病院をやっていた名残の医療機器などが展示されている。階段には、ネズミ落としというシャッターのような細工がある。
親戚という秋田美人の女性があたたかい秋田弁で、とてもいい感じで説明してくれる。ぜひまた訪れて見たくなる。
    
「旧石田理吉家」:木造三階建(主屋)は、当時酒造を営み、昭和12年ごろ、当地と由利本荘市の棟梁により、一年数か月を要して建てられた。
床柱には、台湾・阿里山のタイサン木を使用するなど、趣向を添えてあるとのこと。
ここの日本庭園も立派、主屋の奥には明治14年築の土蔵が内蔵として残る。(残念ながら当日休み)
最後に、「漆資料館」(無料):主屋の部分は広い空き地で、奥にお店・・ここには稲庭うどんなどお土産品があり、食事もできる。奥に漆塗の内蔵、1Fに茶器・陶器、掛け軸などが陳列され、奥の間には茶室ありと豪華。
2Fには、稲庭うどんの老舗「佐藤養助商店」の由来や資料が展示されている。
建物の構造説明によると、
梁は樹齢300年のケヤキ、柱は強度に優れる栗など、最高級の木材がふんだんに使われている。
輝くばかりの漆の光沢は実に華麗な感じがする。
         

深い雪で覆われる冬だけに、内蔵(うちくら)という方式が考えられたのだろう。
それだけに痛みは少ないと思われるが、交差する本町通りは火災で焼失したという。
秋田美人の里といわれる羽後・湯沢もすぐ先、町のあちこちで”あきたびじょん”のポスターが目に留まる。
友人が、今年の冬、このポスターに魅かれて、横手「かまくら祭り」を観に来たと言っていたのを思い出した。
そういえば、大阪の工場に最初に配属されたとき、一つ置いて机を並べていた色白の女性(それこそ”あきたびじょん”)、確か羽後町がふるさと・・・
その翌年、都会の生活に疲れたのか田舎に戻ってしまったがどうしているだろう! しばし旅情にひたる。
2014.7.18追記)昨日、秋田の友人から、この写真が高名な写真家:木村伊兵衛氏(1901-1976)の作品と知った。
Netで調べてみると、1953年作:モデルは当時19歳の柴田洋子さん。大曲高校を卒業後、子供たちにバレーを教え、その後国会議員の秘書、そして貿易業の三上氏と結婚し、米ロサンジェルスに居住。2010年76歳で死去。
凛とした芯の強い、それでいてしなやかな女性だったという。







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