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年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

エコから生物多様性へ

2010年12月12日 | 政治 経済 社会 憲法
昨日、最終日の”エコプロダクト2010(3日間)”をのぞいてきた。
会場のビッグサイトは、ビジネス風の人に混じって、家族連れ、子供たちで賑わい、広い会場が熱気にあふれている。
1970年代の「公害」は人が主役、公害対策基本法(1967)も人体への影響がテーマ。
水質・大気・振動・騒音・悪臭など。
次いで「環境」:石油など資源の枯渇、酸性雨、オゾン層破壊、がテーマ。環境基本法(1993)
さらに、CO2増加による地球温暖化の抑制。先進国を主に京都議定書での排出量削減目標

そして今、人間を含む生物がテーマ。生物多様性基本法(2008/6月)に基づき「国家戦略2010(2010/3月)」と、官民、NPO/NGOに展開されていることが実感できた。生物多様性条約(1992)は、世界190ケ国が批准、先進国から後進国へのの資金・技術援助、調査・研究開発の協力体制を推進。
これは、絶望的な環境問題の中で、かすかな希望に思える。

公害問題は、湾とか河川とか被害が狭い範囲で、企業活動が中心となり、因果関係が比較的特定しやすい。
環境や生物多様性の問題は、生活の営みなど広い範囲で、長期的な自然現象の変化が対象なので、国を超えた地球規模の活動が求められる。
2000年ごろ、環境問題のセミナーで言われたことを思い出す。
いわく、「2010年までに、根本的な環境対策を実現しなければ、地球環境は不可逆的な状態(とり戻せない)になっている」
2010年現在、当時よりもエネルギー消費は大幅増、生産・消費活動の伸びと中国ほかの後進国の経済発展もあり、CO2排出も削減どころではない。もう、待ったなしの期限を超えてしまった、という実感だ。
もし、中国、東南アジア、さらにはアフリカなど中後進国が、日本と同じような生活をするようになれば、地球がもう一つは必要」という学者もいる。
望むらくは、先進国が現在の生物多様性社会をある程度作り上げた後に、後進国に広めることができていたら・・・

でも、この展示会を観て、とても頼もしく感じた。
大手商社も、海外を含めた森林の保護・育成を手掛け、いろいろな環境環境認証を支援している。
家電メーカーは、製造工程だけでなく、環境にやさしい製品づくり、ごみを出さない梱包etc.
自動車メーカーも、ハイブリット車の改良型、電気カーなど激しい競争で貢献している。
JAも田んぼの保水効果、自然循環社会づくりをアッピールしていた。
全体に、参加型の展示が多かった。
環境問題アンケート・クイズ、子供たちの落ち葉拾い体験など、遊びながら学べるので、とても良かった。
実際に環境や生態系の問題が降りかかってくるのは、若い世代だから。

とくに感心したのは、「佐渡島の低炭素むらづくり」
生きもの共生:トキをシンボルにして佐渡米の化学肥料50%減、無農薬栽培など自然農法と認証制度
自然エネルギー活用による自給できる低炭素社会:太陽光、風力、農業用水を利用した小水力発電
バイオマス資源の活用:生ごみ・汚泥・し尿による資源循環
過疎に悩む小さな島で、全島挙げてこんな活動に挑戦できるとしたら、それだけでも豊かになれそうな気がした。
全国の山里でも、大なり小なりこういう動きが出てきているようで、まんざら捨てたものでもない。

追記:2011.6.15
能登半島と佐渡市が、世界農業遺産に認定登録された。
2002年から始まり、世界8件が登録済みという。

東京ビッグサイトの周辺は、高層マンションが立ち並び、こういった山里の生活からは程遠い。
都市のマンションについても、いくつかのゼネコンが、屋上緑化や豊かな自然環境を取り込んだマンション事例を展示。
木々の鳥類、花壇や芝生の昆虫との共生空間を提案していた。
社内に、そういった専門部署を設けているとの説明。

高速道路も、殺風景な防音壁とコンクリート壁だけでなく、自然配慮したものが、実際にいろんなところで見られるようになった。
ちょうど、ラジオの実況をやっていたジャンプ競技オリンピック選手だった荻原(弟)さんの話:
「おふくろの口癖:”もったいない”が我が家のモットー」
生活の中で、エコを実践しているそうだ。エコはエコロジー(環境)とエコノミック(経済的)に通じる、と言っていた。

わが街でも、湧水河川や武蔵野林の手入れ、野鳥やの野花の保護など、ボランンティア活動を広報で目にする。
いつか機会を作って、生物多様性社会の実現に参加してみたい気になった。

ふと、自分の半生も、公害→環境→そして生物多様性という流れがそっくり、そういう時代を生きてきたということに気付いた。
高度成長のときは、新機種・増産・新工場建設やらで必死になり、右肩上がりの成長を疑いもせず。
そして1973年、第一次石油ショックで資源の制約を思い知る。
公害管理が厳しくなった70年代は、設備の省エネ、工場排水の処理施設、廃棄物の削減。
90年代には、ごみ焼却・下水道処理・最終処分場のプラントの建設など、環境事業に従事し、環境問題の大きさを知る。
東京の山の処分場(群馬県日の出町)や海の処分場(臨海中央)の現場では、生産(入口)よりも処理(出口)の時代になったことを痛感。
そして、今、年代のせいか、自然の癒しと恵みを大切にしたいという、生物多様性という考えに共感を覚える。












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