旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

美しいチベット民藝

2023年09月26日 | チベットもの



僕は人知れず、
チベット民藝と云うジャンルをやっている。

まぁ、自称ですけど。

安易に民藝という言葉は使いたくはないが、
当てはまる適切な言葉がまだ世間的には無いので、
伝わり易くする為に使っている。

また、
僕の感覚での美しさは、
民藝の意味と「少し異なってくる」かも知れないが、
それを説明したら長くなるので、
ここではあえて民藝とさせて頂きますさかい。

---

一般的に海外では民藝と云う感覚は、
日本で言う所のソレとは少し違ってくるだろう。

古い物は一括りされ、
多くの場合、アンティークとなる。

folk artと言う言葉と価値観はあるが、
民藝と共に、その言葉はチベット仏教圏では通じない。

基本的には全て「アンティーク」となる。

民藝の価値観を、
古い物や工芸品に興味がない一般の外国人に、
英語で説明しようとしても困難を極める。

だが、
民藝という価値観での対象となる物は、
日本の物だけではなく、
海外の物にも当てはめられるだろう。

そして、
チベット仏教圏の物を
民藝とする動きはほぼ見ないのは、
僕の知識不足なだけだろうかしら。

もしチベット仏教圏の物が無いのであれば、
それは、
日本へ入って来る物が少ない、
または
日本への情報が乏しいからかも知れない。

僕はチベット仏教圏へ行く度に、
「あ、これ、美しいな」という物に出逢う。

これが難しいのだが、
その美しい物は、
一部を除き、
一般的に見つけるのは簡単でなかったりする。

なぜなら、
完品を求める傾向にあるチベット仏教圏の人々。

朽ちた物や経年劣化した物などより、
見た目が良い完品の方が金銭的価値になるからだろう。

または、
多くの物の中に、
雰囲気が良い物が紛れていたりするのである。




ラダックの知り合いの店の奥にあった民族衣装チュバ(チュパ)の襤褸。
ダメージが多過ぎて仕舞われていた。
誰も見ないのであろう。

その圧倒的な雰囲気と、
よく見ると、
美しい龍の刺繍や五色の波模様が残っていた。







中国のロンパオ(龍袍)と似ているが、異なる。



裏面には押印もありますだ。
こういう押印は、大衆の手に有った物の証でもあろう。
紅い裏地も良き。



もはや、ボロボロでござる。
でも美しい。
よく見るとドラゴンがドラゴン・ボールを持っている図柄。

この類を「チベット襤褸」と僕は勝手に呼んでいる。

言ったモン勝ち、ではないが、
誰もやってないので勝手に呼んでいる。

僕はこのチュバの美しさに惹かれ、即購入した。
割と高かったけどね。

そして、
宿に持ち帰り、ベランダで干していたのだが、
宿の主人であるラダック人のおばあちゃんに、
「ボロボロじゃない。あんた、それにお金出したの?」と驚かれた。

そう言われるのは、いつもの事なので慣れてしまった。

僕は、
「美しいんだよ、コレは」と微笑んで返すと、
「ほー、そーなのねー」と、
あなた、変わってる趣味なのね、といった顔をした。

美しいと思う趣向も人それぞれである。

因みに、
中国のロンパオ(龍袍)が高額なのは知られたトコだろうが、
古い刺繍のチュバでもダメージがなかったり(ダメージがあっても)すると、
一部の市場価値は100万円は軽く越えてきます。
現地の一部の店では、その価値を見出し、高額で売ってはいる。
ただ、日本ではあまり知られてないかも知れないけど。

もう半分冷やかしで、
「僕の個性を表す為に骨董市で売ったろ、売れなくても構わないもんねー」と思って、
骨董市で出してみたら、速攻で売れてしまった。

安くはない金額だったのだが、ほぼ何も言わず、
すぐ購入された方がいらした。

僕は「これはチベット仏教圏の物です」と一言と、
値段を言っただけだった。

骨董市は謎である。






僕はチベット仏教のバター茶碗を、美しい民藝だと思っている。

チベット仏教圏にあって、
おそらく、数珠と共に一番身近な物であろう。

上の写真の物は同じに見えるが異なる。
一対でもなく、別の場所から仕入れたお椀。

良い雰囲気である。

形も無駄がない。
用途に徹しているのも惹かれる。



美しく彫りが施されている、銀碗。

僕は一個人がデザインした柄やデザインには興味が持てないが、
チベット仏教の伝統に則した柄というのは説得力があるのです。

このタイプはチベット本土や東チベット、ネパールでほぼ目にしない。
何故かラダックで多く目にする。

美しいお碗である。








木製に銀装飾されたお碗。
このタイプは僧侶が使うので僧侶来歴であろう。

ラダックの売り手も「以前、僧侶が何個か持ち込んだんだ」と言っていたが本当だろう。
普通は一般人は使わないタイプだ。
少なくとも僕は、一般人がこのタイプを使っているのを見た事がない。

木の種類はザップ系の木だろう。
ザップではないだろうが、
木の瘤の部分を用いてるのでしょうな。

この手の古い銀装飾のお椀は、
もう実用されているのをあまり目にしない。

祭事時や高僧が使うのだろうか。
今度、友人に聞いてみようかな。

先日のラダック・ザンスカールの渡航でも寺院でお茶を頂いたが、
多くの僧侶は素朴な木椀でツァンパを食べていた。
今や現代的な産業用のコップも使っていた。

ネパールのチベット寺院でも、
古い木椀より安価な木椀を使うのが一般的です。
チベット人地区の仏具屋で、よく僧侶が買い求めているのを目にできます。


・・・で、何個もお椀は見たが、
この一品のみ選んだ。

八種類の吉祥紋様が美しく、技も良い。

もし、民が日常使う大衆の工芸品を民藝とするならば、
これは美しい民藝だろう。

最も、
一概に、チベットのバター茶碗といえど、
古さや柄や技が多種多様なのです。

一見同じに見えても、
彫刻の技量などがショボイのも多い。

このお椀で、
古さは、
50〜80年前の物だろう。

もしかすると、もう少し古いかも知れないが、
数百年単位の物ではない。

日本(または海外)では、
19世紀だとか18世紀とか色々言うが、
僕が知る限り、
その年代のチベットのバター茶碗は、ほぼ無い。

多くの物は、
実際には100年以下であろう。

僕は以前、
軽く100年以上経過したであろうバター茶碗を扱った事があるが、
木が朽ちていた。

美しい見た目で仕入れたのだが、
経年劣化で木が、ひび割れ乾燥し、
実用には適さなかった。

実用でき、見た目も良い状態を保っている場合、
ごくごくごく一部を除き、
バター茶碗で18世紀物とかは普通は、あり得ないと僕は思っている。

現地の風土では、
いくらバター茶の油分が染み込んでいると言えど、
長い年月を経ると、
木という特性上、木部分が経年劣化や変化してしまうと思う。

使われていなかったのならば尚更であるし、
現地の保存状態も良いとは言えないだろう。

ネパールの業者、特に某地区のチベット系の業者、は
なんでもかんでも、年代を古く言うのが定石だが、
僕は同意できない事は多い。

ただし、家具など木の物でも本当に古い物は実在する。
表面の絵などに劣化も見られるし、
真っ黒に汚れているのもあるが、実際に有るのは事実だ。
ここではバター茶碗に関しての話です。

ラダックの老舗店でも、めっちゃ古そうな大きな木碗もあったが、
オーナーは「最大でも90年前位だろうね」とは言ってはいた。

バター茶碗はターコイズなどと違い、
基本的には、伝世はしない。

普通は使用者が使い終わった(亡くなったり)したら、それで終わりなのである。
ごく一部を除き、
市場に流れるか、人知れず何処かで静かに眠っているか、なのです。

また、チベットの数珠であっても、
珊瑚など資産的な価値がある一部の場合を除き、
基本的には、伝世はしない。

カパーラなどは伝えられる場合もあるけど、
僕が知る限り、
本当に古いカパーラは数は少ない。

まぁ、誰を信じるかは人それぞれですが。




昔の鍵ですな。

チベット語の名前を忘れてしまった。
何処かに書き留めていたのだが。
Demingだったけな。

今は使われなくなった、失われていく文化なのは間違いない。

これもチベット民藝だと、僕は言い張っている。

何年も前はラダックにも、
雰囲気の良い古い鍵がたくさん残っていたが、
今は良い物はほぼ無くなってしまっていた。

残るのは、まあまあの古さと質の物であった。

古き良い物は無くなっていくのですなー

因みに、一部の感覚の良いチベット人デザイナーの手によって、
古い鍵をモチーフにした栓抜きとかが新たに作られている。

写真の鍵は私物。

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チベット民藝。

僕は人知れず、
この美しさをやっているのでした。


ボロボロの物や、
よく見ないと、その美しさが分からない物を、
骨董市とかで出していると、
中国人の転売業者はスルーするが、
彼らは流行(売れ筋の)の物を金銭目的での売買しかしないのは知っているので、
僕もスルーする。
もし値段を聞かれても言わない事すらある。


分かってくれる人だけ
分かってくれれば良いのさ。


美しいチベット民藝でした。


コメント

蒼いチベタン・ターコイズ「ユゥ」の色

2023年09月15日 | チベットもの


記録的要素のあったザンスカール編も終わり、
チベタン・ターコイズの色の話です。

——-

古いターコイズ、
日本で一般的にはアンティーク・チベタン・ターコイズ呼ばれる石です。

以前からしつこい様だが、
現地(チベット、ラダック、ザンスカール、ネパールのチベット圏、共に)では、
「ユゥ」(ゥは特有の発音)と呼ばれております。

そのユゥ、チベットのターコイズと言えば、
一般的には深い濃緑が知られるところだと思う。

確かに全体的に緑色系、グリーン系が多い。

しかし、実際には多くの色の種類がございまする。
(写真では表現できない場合も多いです)

そのチベタン・ターコイズの色

知る人は少ないが、
ラダックでは、
スカイブルー、青空の青、だけには
個別の名前が付いている。

その名前は….忘れてしまった。

大切な事を僕はすぐ忘れてしまう。

ともあれ、仏像の土台などに用いられるのは、
スカイブルーのターコイズが多い。
ライトグリーンも多いかな。

ラダックやザンスカールもチベット本土と同じく、
スカイブルーのターコイズが珍重される。

僕の一般人である友人も、
母親に代々伝わるペラク(頭飾り)から取った、
スカイブルーの良い石を首にしている。



スカイブルーのチベタン・ターコイズ。
写真だと染色に見えるが、ナチュラル。

スカイブルーのチベタン・ターコイズは、
元々はイラン来歴という説が業者・コレクター間では定説だが、
どーやら、現地の石業者に聞くと、違う見解を持つ人もいる。

今回、石の卸を行う業者の店で比べてみたが、
現代のイラン産とは確かに色味が違う。
鉱山や時代によって様々なのかしら。

古いターコイズを扱う店でも新しいイラン産はあるが、
正確には、チベット圏での実用を経由していないので、
それらはチベタン・ターコイズとは呼べないかもしれない。

だが現地では、
ターコイズにわざわざチベタン(チベット人の)とは付けないので、
ターコイズではあるだろう。



ガウ(帯同祭壇・経典や豆仏を入れ首からさげる)にも
青色を中心として飾り立てられ、用いられている。

因みにこのガウはチベット・スタイル。
ラダックの物とはデザインが異なる。
古い時代にチベット本土から渡ってきたガウであろう。

美しいガウである。

今や、チベット本土では、
アンティークは恐ろしい程に値段は高騰している。
ラサに至っては、
「市場価値(中国人市場に置いて)が認められている物」に関しては、
世界有数のチベット・アンティークの価格相場が高い街でもあろう。

面白い事に、
古い時代に各地へ渡ったチベット物の方が、
チベット本土より安い場合もあるのです。

これは、中国人バイヤーのアクセス的な都合または、
情報伝達の観点からの違いでもあるだろう。

最も、本土には他の地で見かけない物や、
絶対的な物量があるのは事実だが。

これらの事は、
ネパールまたは中国だけでチベットの物を仕入れている人間には
分からない事かもしれない。




話が脱線してしまったが、
濃い緑色のターコイズ。

深い色が魅力の、
極上のブツである。

かなり古いターコイズである。

この類は個人的にも大好物で、
濃緑の古いチベタン・ターコイズを見ると、
なぜかヨダレが口に溢れてくる。
病気だろうか。

圧倒的な迫力と
数百年単位の古い年代を持つターコイズは、
概ね、この濃緑、ダーク・グリーンである。

時代を経てトロトロ、艶々、
奥行きのある色の魅力は言い尽くせない。




ダークグリーンの圧倒的な存在感の、
極大チベタン・ターコイズ。
迫力の点でも他の追随を許さない色だろう。


最も、
色の好みは人それぞれだろう。

では、現地民はどの色を好むのだろうか。

様々な謂れはあるが、
僕が知る限り、
色は個人の趣向であると思える。

ブルー・グリーン、青緑の色を好む人も居れば、
スカイブルーも愛用するし、
濃い緑色をしている人もいる。

ある一般人の現地の年配の女性は、
濃い緑色を「死」と表現していた。

解釈はどうかは分からないが、
スカイブルーは「生」、
ダークグリーンは「死」
を表している様で、
死生観の観点からは興味深いのです。



僕の私物。
スカイブルーとダークグリーン。
対照的な色に、
生と死を、勝手に個人的に感じている。

実物の右側のターコイズはドス黒い色。
両方ともサイズは大きい。

左側は友人の老舗店の店主の私物コレクションを譲ってもらった。

「は?何処が良いの?」と思われるかもしれないが、
青空に雲がかかっているようで美しいのです。

写真では色や質が嘘くさく映ってしまい、
良さも伝わらないのが残念である。

チベタン・ターコイズの数を多く見てくると、
こういった景色のターコイズも欲しくなるのです。

尚、チベット人やラダック人など、
チベット仏教圏の業者ではない「一般の人々」は、
古さなどは気にせず、
色で見る場合が多い。

これはネパールで、
30年以上アンティーク・ビーズの商売をやってる業者も同じ事を言っていたが、
チベット圏の一般の人々はターコイズを、「色で見る」

確かに僕も、
首に巻いたターコイズの古さを強調する一般人には、
ほぼ会った事がない。
むしろ、新しい綺麗さを誇らしげにしている印象でもある。

また、言い加えるならば、大きさ(サイズ)もある。
珊瑚でも琥珀でも何でも大きな物を好むチベット圏の現地民。
古くから金銭に変わる財産として受け継いで来た要素もあるが、
今は単純に好みとして変化している気もする。

なので、
サイズ面から言うと、
逆説的に、小さく古く良いチベタン・ターコイズは少ないのである。






ブルーグリーン系の石。

実物は、
非常に美しい青緑をしている。

このブルー・グリーンが僕は大好き。

尚、この色より少し青みが強く、
少し明るめの色味のターコイズで、
スパイダーと呼ばれる黒い柄がないタイプの丸型の「オリジナル」は、
以前、中国では驚くほどの高値で取引されていた。
ただ、コロナ後の今は知らない。
値段が高騰すると、丸型を中国人が新しく研磨して作ってはいたが。




僕が勝手にオリーブと呼んでいる色。
形と色からオリーブの実みたいだから。
実はこの古いオリーブのチベタン・ターコイズ。
数がありそうで、実は少ないのです。








写真だと一律に同じ色に見えるが、
実物は多種多様の色味。

僕が数多くの中から選んでしまっているので、
比較ができないのもあるが、
何色とも表現できない色はターコイズならではだろう。
色も個性のひとつ。

右下はラダックの一般人のオバちゃんから譲ってもらった。
変わった形をしている。
この時は観光客が行く以外の地域で声をかけまくった。
もはやナンパである。
持ってないだろうと思いつつ、何気に声をかけてみたら持っていた。
もう一個首にしていたが思い入れがあるらしく、譲ってくれませんでした。




先日のトレッキングの回でも登場した、
寺院内の小型ストゥーパ(仏塔)。

仏塔にはスカイブルーやライトグリーンの良い石が使われている。
ターコイズは固定されているので摩耗感とかは出ないだろうが、
寺院建立と共に設置されたらしく古いのです。




巨大仏。
サキャ派のMathoゴンパだっけな。
キンキラの仏像よりも、
手に持つターコイズの数珠に僕は目がいった。

仏像のサイズがとにかく巨大なので数珠が小さく見えるが、
実物のターコイズの珠は、一個一個が極デカ。

他にも、
ラダックの数々のゴンパ(寺院)に祀られた、
素晴らしい古いストゥーパや仏像などにも多くターコイズを見る事ができます。

たぶん、
僕が文章や言葉で、
チベタン・ターコイズのチベット仏教に置ける、
特別な立ち位置を説明するより、
現場を見れさえすれば一発で分かるかもしれない。

ターコイズがチベット仏教の長い伝統に基づく、
正当かつ特別な石だと、納得できるはずである。

単なる石ではないのです。

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様々な色の種類がある、チベタン・ターコイズ。


日本では緑色を、青い(蒼い)と表現する時もある。
新緑が青々と茂っている、と言う言葉や、
信号機の青も日本では緑色である。

信号機の視認性とかの理由はともかくとして、
緑を青(蒼)と表現する日本は粋である。

そう、
まさに、
チベタン・ターコイズも「蒼い石」なのだと思う。

チベタン・ターコイズが持つ特有の色も、
人を惹きつける要素だと思うのでした。



コメント

美しいチベタン・ターコイズ(ラダッキー・ターコイズ)

2023年09月01日 | チベットもの



ラダックやザンスカールではトレッキングしたり様々な事があったが、
まずはチベタン・ターコイズの話題から書こうかな。

チベット語だと「ユゥ」
ラダックやザンスカールでも同じくユゥと呼ばれる、ターコイズ。

多くはチベットから古くは渡ってきたターコイズだが、
ラダック人も昔から伝世品として愛用しているので、
ラダッキー・ターコイズ(ラダック人のターコイズ)と呼ぶのが正確かな。

因みに、パキスタン直近のモスリム圏として知られるカルギルでも、
チベット仏教を信仰する人々の間でターコイズは愛用されている。

で、そのターコイズ。

今回、約100個、仕入れました。

大中小、様々です。

小売店、一店舗だけで集められれば楽なのだが、
色々な店や業者、
一般人に至るまで
沢山あたり、
選び抜き、集めました。

数百個、数キロ単位で見まくった。

まぁ、もっとお金さえあれば、
全部買ったよね。

これ、本音。

だって、無くなるのが目に見えている物だからね。

少なくとも金額は上がる。
と言うか、既に高くなっている。

コロナ前には、
中国で驚くほどの値段で売買されていたが、
今はどうなのだろうか。

僕が知る限り、ネパール、中国、チベットでは
値段が高くなっている上、数が少なくなっている。

ラダックにおいても、
以前の数倍くらいにはなっている場合もあるし、
一般人に至っては、
「は?まじ?」という位のクレイジーな値段を言われる時もある。

新しいターコイズでさえも、
質の良い石であれば、
結構高い現状なのです。

「あの頃は現実的な値段で手に入れられたのにな〜」と
将来は誰かが言っているかも知れない。

もう言い過ぎだろうから、この辺にしておく。

言葉はあまり必要ないだろう。
幾つか載せておこうかな。



ズドーン。
極大ターコイズ。
トロトロの艶々。
摩耗しまくりである。
何年経過したのであろう。
今回、手にしたターコイズでは最大の大きさ。

ラダック人の一般人の私物から譲り受けたから、
これこそ、ラダッキー・ターコイズであろう。

写真だと大きさや存在感が伝わらないのが悔しい。



スネーク・スキン(蛇柄)と四角型。
どちらも古い。
珍しい。



大きく見えるが、
小粒達。

知らないとあまり理解されないが、
小さくて古いターコイズは貴重。

大きいのは現地でも重宝され着用されるが、
小さいのは基本的には着用されないので、
古くて良いターコイズを見つけるのも大変なんでっせ。

だって想像して欲しい。
チベット仏教圏の人々が首に極小ターコイズをしているのを見た事はあるだろうか。

彼らが着用するのは、
基本はある程度の大きさである。

古く残っている小粒は、
偶然や必然が重なり伝世されているのです。



中粒たち。
一般的には大粒の部類に入るだろう。
どれも質が良い。
一番上と一番下は劇古である。
色も濃く深緑色。

まとめてしまうと一個一個の素晴らしさが伝わらないかも知れないが、
どれも美しいのです。





チャンタン地方からのターコイズ。
紐穴、摩耗しまくり。
大きさも存在感もある。
丸みを帯びたフォルムが美しい。





髑髏型チベタン・ターコイズ。

まるでドクロである。
持ち主も髑髏をイメージしていたのかも知れない。
この類は本当に珍しい。
個人的には初めて見た。
大きさもある。
たぶん100個、見ても見つからないだろう。
数キロ単位でチベタン・ターコイズを持つ友人がコレクションしていた物を譲り受ける。
実は売りたがらなかったのだが、値段提示で即決で下す。


どれも物語のある、
チベタン・ターコイズ(ラダッキー・ターコイズ、ちょっと並列表記するのが面倒くさくなってきた)であるが、
何せ数が多すぎるので一個一個、説明できん。

本来は、
直接見せられれば良いのだが、これはネット上のブログである。

あくまで参考までに見て下さいな。

美しいチベタン・ターコイズ、ラダッキー・ターコイズでした。



コメント

チベットの十字文様ティクマの意味考察

2023年06月23日 | チベットもの



以前から個人的に推しまくっている、
チベット圏の十字文様(紋様)ティクマの事です。

チベット仏教圏にて、
馬具や僧侶の僧衣、
ラダックの民族装束ゴンツェやリンツェ、
チベットでの催事用衣装タンザッ(ク)に至るまで、
濃いチベット仏教圏の紋様だが、
色々と調べても十字文様の明確な意味は知れていない。

もちろん、現地の業者や知人友人、僧侶に至るまで、
事あるごとに聞きました。

そこには、ボン教由来だとか様々な理由や言葉が並ぶが、
統一見解の様なものは見られない。

業者は、宇宙の中心を意味するとか様々な言葉を並べるが、
「じゃあ、何故そーなったの?」と個人的な疑問が出るが、
どれも一文のみで、
その明確な裏付けを僕はいまだに聞いたことがない。

渡航回数の少ない人が書く本を読んだり、
業者に言われて「そーなのか」と完全に信じるには、
説明が不足している気がするのです。

そこで色々個人的に考えてみましたさかい。

あくまで歴史や文化の素人の考察です。
多々間違っている事もあると思います。
適当に流してくださいませ。

-------

【考察1】

たまたま海外のチベット関連の本を読んでいたら、
興味ある文言を目にした。

布物や織物に多く用いられるティクマとは全く関係ない、
チベットの十字のモチーフに関してである。

文中の十字の物(護符トクチャ)に関して、
どうやらそれは、
景教が由来するとの事である。

景教とは、
キリスト教の一派であり、
ネストリウス派の事ですな。

431年のエフェソス公会議(エフェソスは現トルコ)で異端とされた後、
唐の時代、635年に中国に伝来したという。
どうやら、インドにも布教は広がりトマス派となったらしい。
また、東方ではチベット仏教を信仰するモンゴル系らの中で埋没したという。

ネストリウス派はキリスト教だったので、
十字を象徴としていた。

古の伝承伝説を持つチベットの護符トクチャにも表現された十字。
その由来がキリスト教の景教だというらしいのは興味深い。

布教の歴史の中で、
宗教的図柄は混じり合うのはよく見られる事だ。

僕自身の体験でも、
ザンスカールのチベット仏教寺院で見た壁画も、
イスラム図柄が含まれていたのを覚えている。

その混じ合う中で、
チベット仏教の文様に十字が入り、
現インド領ラダックやザンスカールでも定着したかもしれない。

チベット人の祖は東方から訪れたという。
建国の元、吐蕃王朝となるのは7世紀頃らしい。
西方から伝来した十字文様が、布教範囲的にラダック等に
先に広がった可能性はどうだろうか。

もしそれであれば、チベット本土ラサよりラダックで十字文様ティクマが
多く見られるのは、なんとなく分かる気がする。

チベット本土シガツェ来歴という説もあるが、
個人的には、シガツェで十字をよく見たという記憶がござらん。

事実は分からんけど。


【考察2】

北インドに4世紀から6世紀頃に存在したグプタ朝で用いられていた、
ブラーフミー文字に十字が見られる。

ブラーフミー文字は、チベット、モンゴル、南アジア、東南アジアなどの
文字形態の祖であるらしい。

7世紀から9世紀にかけてチベットの元となる吐蕃王朝があり、
チベット文字は635年に作られた。
ブラーフミー文字は紀元前からあるとの事だ。

十字文様ティクマは、
ブラーフミー文字から派生した紋様であるというのはどうであろうか。


【考察3】

考察2と同様に文字(または記号)来歴。
サンスクリット語のスワスティカ(卍)から変形したかもしれない。
スワスティカといえば仏教やヒンドゥー教の象徴的な図柄である。
そこからの派生文様かしら。
卍文様も十字形態に含まれるらしいが。
どーだろ。


【考察4】

個人的な実体験として感じている事。

チベット仏教圏において、
実は色々とアバウトな事が見受けられる。

もちろん、宗教上の儀式等では決まりがあるが、
神仏の図柄パターンや数珠や装飾品の事に至るまで、
日本人が考えるより、
今風の言葉で良く言えば、柔軟な気がする。

十字文様も、
なんとなく自然発生的に十字が用いられてきて、
明確な理由や宗教的意味は後付けだったりして。

催事用の織物に施す柄も、絞りの過程、または柄押印の過程で、
十字は人間が用いやすい。または作り出し易い。

太古の歴史があるエッチド・カーネリアンにも十字文様は多く見られ、
その来歴なのか、たまたまか、分からないが、
線を交差する柄を作るのは簡単で、尚且つ原始的な文様と思えてならない。

それがティクマとして、
僧侶の衣装や民族衣装等に用いられてきたかもしれない。

「なんとなく十字なんですわ」という理由。

それが個人的にシックリくる。

分からんが。




参考までに、巡礼者の衣服にも十字文様ティクマが見られる。
様式に沿った衣装ではなく、
おそらくは自作であろう。
美しい。



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どの考察もツッコミどころ満載ですが、
結局、いまだに分からんですさかい。



事実の意味の来歴は置いておいて、
チベット本土からネパールへと渡った物や、
チベット本土の物、
インド領ラダックなど広く分布する範囲で、
見られるティクマ紋様。
その多くは布に表現され、
絞りであったり、
スタンプであったり、
刺繍であったり、
絞りに刺繍を加えた物など、
表現方法は様々である。

その圧倒的な存在感と、
意味の神秘さや、
宗教的な意味合いを含んだ、
特徴的な美しさは、
僕を強く惹きつけるのです。



コメント

チベットの護符トクチャの不思議

2023年06月15日 | チベットもの



トクチャの事です。

先日、台湾人の友人が日本に来た時に、
トクチャの専門書をプレゼントしてくれた。

台湾出版の古い本でした。

僕がチベットの古い物の売買をしていると知っている彼の好意である。
どうやら、なかなか手に入らない貴重な本だと言う。
感謝である。
その気持ちが、うれちぃ。

ーーーー

ご存じの通り、トクチャには様々な伝説がある。

「天から降ってきた物」と云う伝説が一番有名だろう。

その他、販売業者や民間伝承によって、
色々な言葉で伝えられている。

では、
チベット人にとって身近な物か、
または、
業者間やコレクターの間だけで注目されている物かと言えば、
前者である。

僕が知る限り、
一般のチベット人(またはチベット圏の人々)にとっても
身近な物なのです。

「チベットの護符」という仰々しいタイトルを付けたが、
まぁ、お守りですよね。

そのデザインや古さ、大きさなどの種類は凄い数があり、
もう数え切れない。

そもそも、
トクチャとする定義自体も曖昧な気がする。

チベット仏教的な紋様はもちろん、
矢尻やボタン、
具象的な動物、
神獣、
意味不明な謎の形など様々である。

印鑑もトクチャとして捉えている場合もあるし、
装飾品の一部や、
仏教儀式用の型取り金属までトクチャと呼ばれる。

ありとあらゆる金属片がトクチャとして捉えられ、
古の鎧の一部も、
トクチャなのである。

トクチャには様々な見解があり、
「これはトクチャだ、あれは正確にはトクチャではない」とか
チベット本土の業者でも人によって色々な意見がございまする。

鎧の一部のトクチャは、
僕のチベット人の友人も数珠にお守りとして付けているので、
少なくとも彼にとってはトクチャなのであろう。

正確には色々な意見があるだろうが、
個人的には、
チベット人(またはチベット仏教圏の人々)が、
「自分がお守りとしている金属類」が、
全てトクチャと言えるとは思っている。

今や、
デザインが珍しいとか、
古い年代である等、
値段はとんでもない事になっている物もある。

以前、ラサの某店で超極大サイズの曼荼羅型トクチャを見たことがあるが、
真偽は不明だが、中国の美術館と交渉中だとの事だった。

トクチャは今やマニアックな域を抜け、
美術館が求める物であるらしい。

しかし、
70年代だっけな?にチベットに訪れていた
あるイギリス人チベット愛好家に出会った事があるが、
「当時は、大きな袋いっぱいにトクチャを買っても100ドル(値段忘れた)もしなかったよ」と
言っていた事がある。

しかも、
その頃は偽物も無かったであろう。

時を経て、トクチャは注目を浴びる存在となった。
注目と共に市場価格も上がった。

上がりすぎた気がするのである。

仏塔デザインの人気が出れば、
その価格は上がり、
マントラ・デザインに注目が集まれば、
またその価格は上がる。

トクチャは僕は今は積極的に扱っていない。

ジービーズ同様、
本来のチベット仏教における存在意義とは別に、
中国人が先導する蒐集趣向に伴ったゲーム的な金額と存在になった気がして、
ある時から、ちょっと気が向かなかったからでもある。

しかし、
トクチャは、
色々なデザインがあり、
コレクター心をくすぐる。

それが「祈りの対象となっている護符」、
という意味を持った存在であれば僕にとって尚更だ。

そして、いまだに謎が多い。

マントラ(真言)型や仏塔型とかなら、
仏教的意味合いがあるのは分かるが、
デザインが不可思議な形も多く、
どうしてこういう形になったのかとかの物も在る。

それ故かどうかは分からないが、
不思議と心を惹きつける物ではあるだろう。

今や、贋物(偽物の定義は置いておく)が多くあるのも事実であるが、
商業量産的な物でも現地の一般人であるチベット人達は
愛用してるのを多く見かける事ができる。
むしろ、僕の経験上、それが一般的である様に思える。

もちろん、
親などから伝世した物を身につけている場合もあるが。

例えは的確か分からないが、
日本で云う所の、
何処かのお寺で個人的に買った御守り的な事かもしれない。

それを贋物だとか新しいお土産品とかと
安易に判別して良いかは僕は分からぬ。

少なくとも僕は、
日本のお寺で手に入れて愛用してる御守りを、
見ず知らずの外国人業者に「それは新しい量産品だ」と言われたら、
ムカつくだろう。

大切なのは、
物語や想いだと思うのだが、
それは僕の間違いだろうか。


•••ともあれ、
友人に貰った本の内容(写真)が充実していて、
久しぶりにトクチャを欲しくなった。

著作権の都合があると思うので、
本の内容の掲載写真は載せられないが、
かわゆいトクチャがいっぱい載っているやんけ。

意味不明デザインの形の意味も記載してある。
(正しい情報かはわからないが)

何より、掲載されているトクチャの数が多い。
色々な見解を抜きにして、見応えがある。


思えば、僕はお守りが好きである。

人々の想い、祈り、がこもった物質に興味を持っている。

久々にトクチャを探してみようかしら、と思ったりして。



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