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旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

チベット襤褸の美

2025年04月12日 | チベットもの




チベット仏教圏での古い布の話題です。

「チベット襤褸」

僕が勝手に呼んでいて、
勝手に提唱している価値観です。

正確にはチベット本土に限らず、
広範囲に広がる、
「チベット仏教文化圏に則した襤褸の古裂」
なのですが、
略して、チベット襤褸としております。

--

今や、日本のBORO(襤褸・らんる)は世界的に知られた価値観です。
書籍も出版されております。

ぼろの美」 青幻舎

英国の出版社での書籍もあります。

the book of boro」(英語版)

日本の襤褸は有名ですが、
布物、織物類において、
チベット仏教文化圏の、
古い襤褸布も美しいと僕は感じています。

しかし、それらが理解される事は少ないです。
そもそも、その存在自体が知られていません。

イスタンブールで古布の研究者にも会いましたが、
老齢なコレクターでありつつ、
博学なイギリス人の研究者である彼でも、
チベットの古い布に関する知識は乏しかったです。
と言うより「全く未知の領域」だと言ってました。
彼はアイヌの民族衣装や、
ウズベキスタンのスザニの知識にも秀でていました。

その、知られていないチベットの布の中でも、
更に限定的な、チベット襤褸。

僕が勝手に見出しております。

その価値観を広める事は、
価値観の共有
または、商売上でも大切な事かもしれません。

現代アートのアーティストの村上隆さんがいう、

認知領域の拡大

それが重要になってくるでしょう。

--

先日、中国人バイヤーに、
襤褸の民族衣装チュバ(チュパ)が売れましたが、
その中国人は交渉時に
「これは破れている。以前買ったのは良かった」
と中国語で何やら言ってましたが、
僕は無視しました。

どうせ、いくら説明しても、
彼らは理解しません。

その美しさの価値を。

中国人の価値基準は完品です。
彼らはキラキラでピカピカした物を好きです。

それを僕は分かっているので、
必要以上の会話はしません。

お金のやり取りのみです。

結局、彼は買いました。

それなりな金額でしたが、
中国本土より安値と思えます。

何故なら、僕は彼の売り先を知っています。
幾ら位で転売されるのか、も。

因みに、以前、その中国人バイヤーに、
同類のチベットの古い民族衣装を売りましたが、
香港の高額オークションで出品され、
約50万円で落札されていました。

僕がその事実を知っている事を、
彼は知らないでしょう。

それはともかく、
中国語で話しかけんなよ。
ここは日本だぜ。

日本語は無理だとしても、
少なくとも英語で話せや。

日本の外国人観光誘致政策の弊害です。
外国人を知らない、
無知な日本の政治家の間抜けさの結果です。

知人の中国人は、
日本文化や日本語を真面目に学んでいますが、
オールドスクールの中国人は困ったもんです。

もはや相手にしませんが。

インド人旅行者も、
より一層増えそうですが、
今後はどうなるのでしょう。

--

さて、話を戻すと、襤褸の美しさです。






この民族衣装チュバ(チュパ)の、
破れも汚れも美しいのです。

それらも物語の一部なのです。

着用していた人や環境に、
想像を馳せるのも楽しいのです。





こんなチベタンが着用してたのかしら。
そう思うと、破れも愛らしく思えます。

草彅剛さんが、
古着の「襤褸の美学」を語るYoutube動画で、
ワクワクしながら、
彼自身の想像と趣向を話しているのを見る事ができます。

楽しそうです。

そう

人の楽しみ方や価値観は、
人それぞれです。

全く理解できない人も居るとは思いますが、
少なくとも、
有名人が語れば、その価値観は認知はされます。
反面、無名の人が語っても相手にされません。

それが現実社会です。
特に、日本では。

使い込まれた日本の野良着や、ボロボロの布が
新品より値段が高いのは、
コレクター的にも許容される一方で、
チベットの襤褸は、
破けや汚れや補修を
「ダメージ」として表現されます。
表現しなくては伝わりません。

しかし本来は、それはBOROと共通する、
ある種の「美の価値観」だと、
僕は個人的には思っております。









チベットの十字絞り柄ティクマの古い襤褸です。

美しい物語のある、
古く擦り切れた布です。

チベット襤褸だと、
僕は言い張ってます。

--

この先、チベット襤褸の価値観は、
日本や世界で認知度が広まるか分かりません。

広まるように微力ながら発信はしますが、
誰も知らなかろうと、
誰も見向きもしなかろうと、
僕は、
人知れず、
「チベット襤褸」の価値観を扱っていきたいのです。

その美しさを理解頂ける日が来るのを、
密かに楽しみにしているだけです。

いつか認知されたら嬉しいな。

--

余談です。

上記の村上隆さんのインタビューは面白いです。
現代アート業界を通して、
日本と世界の違いを話しています。

日本で嫌われる事が多いのに、
世界では大きく評価されている乖離と、
価値観の認識や理解の違いについて話していました。

アート業界やアニメ界隈、
世間での様々な見解や意見はあろうとも、
村上隆級の著名人でも(著名人だからこそ?)
評価基準を考える時、
怒りに似た感情を覚える時がある事を知り、
日本社会の特殊性を実感します。

彼を好き嫌いかどうかは置いておいて、

例え日本で嫌われても、
世界では同じとは限らない。
むしろ逆の場合もあるから、
日本にこだわる必要もないな。

そう思わせてくれるのは、
個人的に嬉しいです。




コメント

僕がチベット仏像を収集する理由

2025年03月27日 | チベットもの




僕が個人的にチベット仏像を集めている理由です。

チベット仏像と仏師の現地事情でもあります。
先日も少し書きましたが、加筆も兼ねて続きです。

この記事は自分の商品の販売促進目的では、ありません。
単に、個人的体験の感想を書いているだけです。

--

僕は個人的に、
ヴィンテージ(100年以内・数十年前)の小さい仏像や、
新しい仏像も集めております。

なぜ、新しい仏像を買うのか?

その理由です。

僕自身が仏像を好きなのもあります。

チベット仏像だけではなく、日本の仏像も好きです。
見るのも好きです。

しかし、良いチベット仏を手に入れられる機会は
今後、減っていくかもしれません。

それは、下記三つが大きな理由です。

・仏師の健康状態
・腕の良い仏師の減少
・需要の都合


一番最初の仏師の健康状態ですが、
鍍金仏像は伝統的な水銀製法を用いるので、健康に悪いです。
目が悪くなってしまいます。
50代とかでもかなり悪くなります。

仏師の工房を見学したら、
一応ガスマスクとゴーグルを付けてましたが、
それでも悪くなるのは想像できます。

そして熟練職人は引退してしまいます。
継ぐのは息子とかですが、まだ技が未熟だったりします。
工房従業員でも腕がイマイチだったりもします。

そのタイミングが今現在だからです。

.

二番目の減少も同じですが、現代化が進み、
手間と技術習得の年月が必要な技術職の職人は少なくなります。
「若者は、やりたがらない職業だよ」と仏具屋の知人は本音を言います。

また、腕の良い職人は、すぐにキープ(作業受注)され、
一般市場に出回る作品の数が限られます。

実際に、パタンの私設美術館のオーナーを紹介してもらい、
作品(チベット仏像)や現状を聞きましたが、
超絶技巧の職人は少なく、
彼らが受け持つ作品も一体一体に時間が取られてしまいます。

限られた何処かが彼らに注文すれば、他に造る余裕が減ります。
結果、一般市場向けには少なくなります。
市場に出回るのは、
技術が普通な作り手の仏像になります。

仏像に興味がないと、
一見、同じに見えるかもですが、
よくよく見ると全然違います。

または、昨今多く目にする、
商業用に機械量産で造られた仏像となります。

腕の良い職人は依頼するべき人が依頼し、
他は、効率的な機械生産が増えています。

.

かつては、腕の良いパタンの仏師達が、チベット本土や、
現在の北京近郊に出稼ぎに行っていました。

それらは政府関係等でのルートだったりしました。
腕の良い職人の需要はあったと聞きます。

正確に言うと、現代でも、
チベット寺院に寄附する目的で地元民が購入する需要があります。
ですが、鍍金仏であっても造りが荒い物もあります。
その分、値段は安かったりします。
それの仏像は寄贈用に地元民も買い求めます。

一方で、チベット人僧侶が自分の寺用に買い求める姿も目にしますが、
彼らは造りの良い仏像を求めています。
鍍金されていないチベット仏像に鍍金を依頼してたりします。

因みに、上記の美術館の展示物は、美しい鍍金仏像の数々でした。
技巧に技巧を凝らされておりました。

それらは全て、新しく大きなチベット仏像ですが、
月日が経てば、どれほどの価値になるか想像できます。

.

最後の需要の都合です。

金(ゴールド)の高騰は世界共通です。

今や、極薄の金で仏像が作られております。
電気分解製法での鍍金仏も多いです。
金ですらない、中国物のチベット仏も多数あります。

手間と原価のかかった高額な仏像より、
売りやすい、
安く手早く量産できる仏像を作った方が、
商売としては効率的です。

なので、それらの仏像の需要が多いのでしょう。

一方で、真面目でちゃんとした仏師や仏具店は、
チベット寺院に献上や寄附用にも仏像を作っているので、
本物の金を用いております。

今でも現地では鍍金仏像の数自体は多いです。
むしろ、場所に寄っては仏像で溢れてますが、
しっかりと造られた物は限られます。


因みに、今でも、真面目な工房や仏師、仏具屋にオーダーすれば、
厚みのある金での、良いチベット仏像を造る事は可能です。
希望するモチーフも選べます。




古いオリジナルのチベット仏像です。

珍しい適度なサイズの小型です。
金が厚く、古色(パティナ)で艶々です。
雰囲気やデザインも現在とは異なります。

手に持つと重みを感じ、
半身が無垢だと分かります。


市場に流通する、
小さく古い本物のチベット仏像は、
そもそも「存在する数が少ない」です。

チベット寺院などでの用途は、
大きな仏像になるからでもあります。

カトマンズのタメル地区とかで大量にある、
お土産のチベット仏像の話ではありません。

ヴィンテージのチベット仏像を含め、
新しく造りの良い仏像を、
地元や各国のデイーラー達は探しております。
中国系バイヤーも多いです。
彼らは事情をよく知っております。

裏話を言うと、
中国系は、古くないと知りながら買付するクソバイヤーも居ます。
売り手自身も、「古加工の新しい仏像も需要がある」と言っていたりします。

現物を見れば分かりますが、
動画や写真だけで売買する中国系。

年代を偽って流れております。
もちろん、嘘くさい年代のチベット仏像は、
日本市場でも目にする事もあります。

この手も何でもありです。

僕は全然興味がありません。

いずれにせよ、
古く小さなチベット仏を欲しがる人は世界に多いです。

そして、存在自体が少ないそれらは、
無くなったら終わりです。

.

さて、結論です。

『金の厚みと、造りの良さ、数の少なさ』

それが、
僕が新しいチベット仏や、
小さく古いチベット仏を買う理由でもあります。

もちろん、僕は、古き良き物語を求めています。

19世紀とかの古い仏像とも出会いますが、
現地でも数百万円の物もあったりします。

それらは極めて素晴らしいですが、
今や高額すぎていて、
手に入れるのは現実的ではありません。


では、新しい仏像や
ヴィンテージの仏像は価値は無いのでしょうか?


僕はそうは思えません。

新しくても、造りの優れた仏像を手にするのも、
僕は価値のある行為、
または、良い買い物だと思っております。

日本で、ある骨董商に、
「古くなければダメだ」と言われた事もあります。

それは、即金性を求める、売買目線であり、
日本での古美術という世界での話と感じます。

チベット仏教圏の現地の人々の、
「祈りや感覚」を知れば知るほど、
他の視点が得られるとも思っています。

.

上記した三つの理由で、
手に入りずらくなるのも見えています。

少なくとも、年月と共に、
値段は変化するでしょう。

例外を除いた、
ほぼ全てのチベット物に共通する事ですが、
かつては手頃だった物達。

今や、それらの値段は安価ではありません。

しかし、考えてみてください。


この先を考えると、
「今が一番良い(安い)のです」


将来は、もっと高くなるでしょう。

その言葉は、
30年以上、チベット圏を継続的に旅している、
ネパール在住のフランス人が言っていた言葉です。

昨今の古着ブームにも見られる現象です。

「あの時のアレが、今は〇〇〇万円..」
「あの時、買っておけば...」

僕が愛好する日本の古い襤褸も、
30年前にはゴミとして処理されていたとも聞きます。
今は何万円もします。
10万円以上も当たり前の価格です。

概して、気がつく時には遅すぎます。

ヴィンテージや新しく良いチベット仏像も、
今はまだ現実的な値段です。

この先は、より価値を持つかもしれません。
価値を持つだろう、と感じています。

だから僕は個人的にも所有しているのです。

そうでなければ、
全て販売してしまいます。

少なくとも、
数多く渡航した体験上、個人的にはそう思えるからです。

現地の生活様式は、
超高速で変化しております。
それを肌で感じているからです。

そして、
僕が集める理由は、

祈りや現地の人々の想い、
チベット仏教の価値観、
物語の美しさ、
個人的な趣向なども重要視した上で、
です。


それらを含めての蒐集です。


チベット仏像を収集する理由でした。



コメント

海外アンティークバイヤーの売上方法

2025年03月18日 | チベットもの



海外アンティーク・バイヤー
(販売もするのでアンティーク・ディーラー)として
売上を出す方法の記事です。

仕事でやる以上、売らなければいけません。
そこで、売り方の紹介です。

僕は現役のプロ(ど底辺)の
海外アンティークバイヤーですが、
やり方は人それぞれです。

個人的な経験なので、
参考にならないかもしれません。

海外アンティークバイヤーの始め方は、
下記で書きました。
「海外アンティークバイヤーの始め方」

続け方も。
→「海外アンティークバイヤーの続け方」

--

物販という職種は、
今では販路は沢山あると思います。

・店舗
・骨董市や催事
・ネットショップ
・SNS経由
・各種インターネット販売
・直接対面
などなど

骨董市が初心者が入りやすい(スタートしやすい)販路かもしれません。

実際に骨董市から入る方々も多く目にします。

しかし、個人的な意見ですが、
経費がかかる海外の古物を買付して扱うならば、
数多く出店すれば良いかもしれませんが、
ネットでの事前紹介などをせずだと、
基本は骨董市だけの売上だと難しい場合もあると思えます。

もしプロ(専門職)としてやるならば、の話ですが。

--

僕のとって骨董市や催事での売上比率は低いです。

骨董市などで、商売の裏事情を知らない方から
「これで生活ができるんですか?」とたまに聞かれます。

並べている商品数も少ないからでしょう。

しかし、
多くの古物商も各々の販路を持っております。
僕も同様です。

販路は、公に姿を表す骨董市だけではございません。

それはネット販売だったり(これが一般的に多い)、
直接販売だったりします。

今の僕の場合は、直接販売の売上比率が大きいです。

インスタグラムにも何処にも掲載せず、
旅立つ物も多いです。

生々しい、個人的な裏話をすると、
帰国後(買い付け後)は金欠なので、
換金を急ぐ場合があるからです。

一方で、
旅の後は想いが深くなってしまい、
金銭だけの商売を、
積極活動をしない場合もあります。

一個一個、写真を撮る事もしなかったりします。
お客様に向けて送る簡易的な写真だけの場合もあります。

本当はやるべきでしょうが、
以前は全くSNSやネット用の写真すら撮りませんでした。

その直接売買の機会を得る方法は、
紹介だったり、
ネット経由でのお問い合わせだったり、
多岐に渡ります。

一概には言えません。

一つ言えるのは、僕を見つけて頂き、
お問い合わせ頂くだけで、僕は感謝しております。

その上、お買い上げ頂けるなんて、
感謝する以外、何もできません。

もし僕が富豪になった際には、
今のお客様方に何かで恩返しするつもりですが、
僕がお金持ちになる可能性は現状極めて低いです。

イスタンブールの魔女の占いでは、
僕は将来、お金持ちになるらしいですが、
今のところ、兆しさえ皆無です。

--

金額的な具体例を出します。

骨董市では僕は40万円ほど売り上げる日もあります。
もちろん、壊滅的な日も、それ以上の日もあります。

長年、商いを行っている知人の古物商に
「10万円売り上げれば良い」と言われました。

骨董市で一日の売上10万円が基準になるようです。

僕の場合、人生で初めて出店した骨董市で、
その数字は達成しておりました。

今はそこから派生?発展?し、
直接お会いさせて頂いたり、
ご注文を頂いたり、
様々な方法を駆使して売上を立てております。

そうでなければ売上は立ちません。

正確に言うと、プロとしてやっていけません。

以前も記述しましたが、
主婦(主夫)や本職や副業、
他の収入が得られるなど、
既に金銭的な生活基盤を持っていれば、
バイヤー業または生活のお金に追い込まれる事は少ないでしょう。

僕が知る限り、
10年間やっていても、
この仕事一本で生活できない人はザラにおります。

もっとも以前から言ってますが、
プロ(副業をしないとか)が、
凄いとか偉いとか全然ないと思っています。

--

色々書くと長くなるので結論です。

表には出ない作業、
時間や労力やお金、
精神的な摩耗など、
裏で費やした努力がどれくらいできるか

それらをどれくらい売上に繋げられるか

それが重要になってくると思います。

何もせず、ポンっと骨董市に出て、
沢山売れるほど世の中は甘くありません。
ネット販売でも簡単でないです。

演出も必要になってまいります。

もし簡易的な方法で売上を上げても、
それは、いずれ売り手に見破られます。

矛盾する事を言うと、
見破られないのも、
表面性を求める今の現代社会ですが。

世間(日本や海外)の販売者は、
色々な売り言葉を言う人もいるでしょう。

過大な自分の利益のための、
超高額な値段が付けられている事も
あるかもしれません。

それらは各々の商売方法に
なってまいります。


個人的な思いですが、
どれだけ大変な労力や、
大きなリスクをかけたか、
自分の物語を持てるか、
それが売上に反映する時もあると思えます。

--

ここで、何より重要な事を言います。
経験上の個人的な想いです。

『感謝すること』

出逢った人々、
様々な物事に対して感謝です。

それを忘れなければ、
売上はついてくる場合もあります。

「お前ごときが言うな」と言われそうな事ですが、
事実だと思えます。
少なくとも僕にとっては。

「世界はまだ捨てたもんではないかな」と
思わせてくれる出来事があるのも事実です。

僕は様々な方々に支えられて生きております。
この仕事を続けさせて頂いております。

ただし、当たり前ですが、
努力しても報われず、
いくら感謝しても、
生き残れない時も多い熾烈な業界です。

他のどの業界、どの世界とも同様に、
それが古物業界、骨董業界です。

金銭問題はもちろんの事です。
精神的な摩耗なんて当たり前です。

理解されない事、
上から言ってくる人の出現、
マウントや意味不明の連絡、
邪魔する奴や、
悪い噂話されたり、
嫌味を言われたり、
嫌われたりします。

ですので、
売る上げをつくるのは容易ではありません。

それらを分かった上で、
プロとして生きていくのは至難の技です。

しかし、
その泥の中で
光の糸を差し伸べて頂ける方も
いらっしゃるのです。

その糸で救う先が、
ポンコツでアホな僕だとしても、です。

売上があってこそ、
そのポンコツが旅を続けられるのです。

だからこそ、
日々の感謝でもあるのです。


僕の言いたい事が伝われば嬉しいです。


以上です。
参考になりませんでした。



コメント

美しい、チベット仏教文化圏の古い布や民族衣装

2025年03月04日 | チベットもの



チベット仏教文化圏の布類です。

民族衣装やブランケット、
十字絞りティクマ(ティグマ)などです。

既に多くの物が僕の手元から旅立ちましたが、
記録的写真として残しておきます。

-----



無染色の古いチュバ(チュパ)です。
チベット人の民族衣装です。
足首辺りまでの長いコート状で前で巻き込み留める仕様です。

チベット自治区の中央近辺とは作りが異なる、
西チベット・ンガリ地方の遊牧民仕様です。

通常のチュバは濃紫や黄色、濃紺など様々な色に染められますが、
珍しい無染色の手織り羊毛バージョンです。
袖も細いタイプです。








西チベットのンガリ地方のヤク毛ブランケットです。
巻いて着用も出来る様に、首元に当て布が施された遊牧民仕様です。

天然の茶色のヤク毛の色が美しいです。

ヤクの柔らかい内毛を大量に用いた、
かなりの大型で手織りです。

クルと呼ばれるヤクの内毛はフワフワで柔らかく、
服や布団、ブランケットなどに使われ、
外毛ツィッパは固くテントなどに用いられます

極めて寒い地域なのでブ厚い地で、
防寒コートや布団としても用います。

土着の雰囲気を残す、伝統的な織物です。

チベット全体の近代化が進み、
中国政府の遊牧民の定住政策が進んだ現在、
近く、完全に姿を消す物の一つでしょう。
いや、もう既に実用している人々は極稀かもしれません。






古いパンデンです。
チベット人女性の伝統的な民族衣装です。
前掛けです。

世代を跨いだ古いタイプで、
通常より大判です。

生活様式が変化した現代では、
各家庭での手織りのパンデンは少なくなりました。
どんどん姿を消します。

「今は、麓の街で物々交換して新しいパンデンを手に入れているわ」と
ランタン渓谷の奥地のおばあちゃんは言います。

一部に草木染めを用いた、
奥地ジュムラ来歴の古いパンデンです。






チベット仏教圏の十字絞りティクマ(ティクマ)の古手の布です。

美しい、とだけ言うと安っぽくなってしまいますが、
美しいティクマ紋様絞り布です。

手織りで十字紋様に絞られております。

長さゆえ、帯かと思いましたが、
おそらく古い敷物の縁取りだったのでしょう。

この年代のティクマ布も、
現地、チベット本土や東チベット、
ラダックやネパールなどでも、
すっかり姿を見なくなりました。

「次の春頃には店を辞めるよ」と言う、
老齢なチベット人店主から譲り受けました。

もう新たに良い物は中々手に入らなくなった現在、
この手の古い布を扱う業者も減っていきます。

今現在、変わって登場しているのは、
ジービーズなどを売買する若いチベタン業者です。

美しさの価値観の変化や、
金銭対価を含めた
需要の移り変わりを感じます。








以前にも紹介した、
古手のラダックの民族衣装ゴンツェです。

通称、ラダッキー・コート(ラダックのコート)と呼ばれていますが、
正式現地名称はゴンツェです。
大きなサイズですが、女性用です。

無数に十字絞りティクマが散りばめられています。

ゴンツェと一括りに言えど、
簡易的なゴンツェから、
新しい物、
古い物、
ティクマ紋様が多かったり少ない物まで様々です。

こちらのゴンツェは、長い年月を経て、
多くの物語と共にある、
素晴らしいクオリティです。

この手のゴンツェも民族衣装マントのリンツェと共に、
姿を消しつつあります。

今や若い人々は冬場にはダウンを着込みます。
手間と時間のかかる民族衣装の需要は減っていく一方です。

ラダックであっても日本も世界の何処でも同じかもしれません。

古いゴンツェは、ラダックの若い人は今や全く日常着用していないですが、
結婚式や催事時には見かけける事はできます。




インドのヒマラヤ圏ヒマーチャルの織物です。
チャダルやショールです。

チベット仏教圏である、
独自文化を持つキナウル地方の羊毛織物です。

どちらも、今では見ない古いタイプです。

個人的にはキナウル(キノール)地方の織物文化は
格好良いと感じております。

キナウル地方に行くのは時間も労力も必要で大変ですが、
美しいリンゴと大麻の森が広がっています。

右側の布は、
ヒマーチャルで長年商売を商う老齢な店主の私物でした。
天然染料で染められ織られています。

今や、機械織り化学染料の布やショールが大量生産され、
「既に人々は各家庭では造らなくなっている」と、
その老齢な店主は言います。

チョルテン(仏塔)の紋様が、
チベット仏教文化圏の織物である事を表しております。

ヒマーチャルでの織物としては、
布巻物の民族衣装パトゥも素晴らしいです。






黄金色スワスティカ紋様のチュバです。
チベット人の民族衣装です。

黄金色の絹地に卍紋様などの吉祥紋様が表され、
使い込まれて襤褸になっております。

人知れず僕が行っている、
チベット襤褸のジャンルです。

地方からやってきたチベタン行商から、
強い交渉の戦いの末、譲り受けました。

今やチベットの古い刺繍チュバは高額で取引されております。


写真2枚目は、いつかのチベタンです。
同類の黄金色のチュバを着込んでいました。
出会ったのは東チベットの奥地だったかな。


---

美しい、チベット仏教文化圏での古い布や民族衣装でした。

「あの頃は有ったのに..」と思える日が近くやってくると、
毎回の渡航毎、日々感じております。

完全に姿を消す前に、
愛でておきたいです。



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美しい、チベットの古い装飾品のベルト

2025年02月11日 | チベットもの



チベットの装飾品である古いベルトの紹介です。
個人的にも愛用しております。

では早速。



全体像です。
極太タイプの古いオリジナルの極上品です。

光り輝くベルトのバックルが複数つきます。
極太タイプです。
革はヤクの革で、使い込まれております。



バックルは銀板ではなく、細かな銀象嵌で埋められています。
単に銀で埋めるのではなく、吉祥文様も施されています。





財布などを吊るす役目のフック(取っ手)部分にも銀象嵌が入っております。




留め具にも銀象嵌が入ります。
細部まで凝ってます。



五個のバックルが付属し、
成人男性が腰に巻ける長さです。
比較的大きな物が多いチベットのベルトとしても大型の部類です。



漢汁全開ですが、
色気があります。




透かし彫りタイプもあります。
珍しいです。
細かい透かし彫りのバックルが複数付属する細いタイプです。



厚い銀の板に、
唐草紋様または波紋様が丁寧に表されております。



縁取りも施されて繊細です。



留め具部分の紐も編み込まれた仕様です。
通常は穴を開けるだけですが、なんと編み込みです。



問答無用で美しい装飾品なのです。

--

チベットのベルトといえど千差万別です。
銀象嵌ベルトも極太から細いタイプまであります。

銀象嵌の荒い物から細かい物もあり、
彫りが入った技巧を凝らした物から、
真鍮製の安っぽい物まであります。

技巧を凝らした、
オリジナルの美しく古いベルトは減りました。

そして若いチベット人の多くは、
今では日本と同様に現代的な洋服を着ています。
特に、伝統的なベルトは今では殆ど着用されなくなりました。

もし上記のベルトを新しく作るとしたら、
昔とは比べ物にならない程の手間や時間や、
お金が必要となるでしょう。

実際に、現代のチベット人の伝統民族衣装のベルトでも、
新品で作られた淡白な見た目の簡易的なベルトが流通しております。

現代で再現するのは難しいと思える、
民族特有の古いファッション装飾品です。

.

チベットの多くの古い物にも共通する事ですが、
中でもベルトなどの装飾品は持ち主にとって身近な存在です。
物語があるのです。

僕はまだ多くに知られていない、
装飾品と物語を求めています。

それらを発信して広めるよう努めているのです。
広まってくれれば僕も嬉しいのです。
価値観を共有できるからであります。


流行上でのファッションの域に留まらない、
「美しい価値観と、その物語」を知ってほしいのでございます。


チベットの失われゆく文化の装飾品の紹介でした。



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