旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

チベタン・ターコイズの事

2023年05月03日 | チベットもの


チベットのターコイズの事を書こうかしら。

チベタン・ターコイズと呼ばれている石のビーズですな。
古い総称として、アンティーク・チベタン・ターコイズとも呼ばれる。
もうあまり説明は必要ないかもしれない。

以前から言っているが、
現地へ渡航する度に感じるのだが、
質の良いチベタン・ターコイズの数は少なくなった。

これは僕が売るために言っているのではなく、
本当にそう感じるのですばい。

昔、最低10年以上前から
ネパールとかチベットとかインドのチベット圏とかに行っていて、
古い物を好きな人ならば、分かるかもしれない。

「お前、チベットに関わった年数10年いってないやんけ。昔の事なんか知らんやろ」と
言われるかもしれない。

よく誤解されるので、
一応言っておくと、
僕はこの仕事を始めるかなり前から海外渡航や海外在住をしていて、
チベット文化とも早い段階で触れておりました。
なんならジー・ビーズにも以前から出会っており、
モスリム・カルチャーや仏教にも、
かなり早い段階から触れていた。
売買の商売をやっていなかっただけである。

もちろん、
旅行ついでと専門的なプロ目線では話は全く違ってくるけど、
当時見ていた印象とは、
今は全く状況が異なるのは事実だとは思うのです。

まぁ、言い訳はほどほどにして、
僕が言いたいのは、
良いチベタン・ターコイズを集めるのは意外と大変なんでっせ、と言う事ですわ。

そりゃ、お金さえ出せば集めるのは可能だけど、
それはどの世界も共通で、
フェラーリを買うのは大変かどうか?って話になってくるのです。

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もはや趣味。
小粒の質の良いチベタン・ターコイズを集めたネックレス。
以前も二本ほどつくったが、
暇でないと出来ない。

旧知のチベット人業者の店から店を回った。

サイズが合うように、
小粒を選びまくり、
店に長時間居座る図太さと店主との関係性も必要。

現地は、日本みたいに一個一個、
粒ごとにケースに収めて展示してあるなんて丁寧ではない。

珊瑚や石類は大粒を好むチベット人。
大粒であれば紐に括られて見つけやすい場合も多いが、
小粒は特に大変だよ。
ザルの中に謎のビーズ類と共にまとめて入れられているとか、
ショーケースの下の棚にあるとかとか、だ。

更に言うと、
アフガン系や中国系の業者の買い方は雑で、
イチイチ選ばず、まとめて買い占めちゃったりする。
大金で買い漁ってしまう。

では、
残り物にありつくかと言うと、
そうではない。
僕が知る限り、彼らは良く探さない。

言える範囲で言うが、
意外と見えない場所にも店主は持ってたりするのである。





僕はチベタン・ターコイズの色が好き。
美しいグリーン・ブルー。
たまらん。



センターに弓形アンティーク・チベタン・ターコイズを入れてみた。
これが意外と高かったが、
ネックレスにマッチしたのでどうしても入れたかったので買ってみた。
弓形に意図を持ってつくられた、かなり良いターコイズだと思う。
商売目線では単品で売った方が良いだろうが、
僕は自分が欲しい物をつくるつもりだったのでネックレスに入れた。



コロロン。
ポテッとしてかわゆい。
誰かが使っていたのであろうね。
染み付いた色味も味。



トロトロ、艶々でござる。
使い込まれた雰囲気と、
深い青緑色が美しい。




チベット人の友人の店でお茶してたら、チベット人の老僧侶が来た。

耳に良いチベタン・ターコイズのピアスをしてたので、
「譲ってよ」と一応聞いてみたら、やんわり断られた。
僕は強引に買い取る事はしないのですぐ諦めました。

彼はチベタン・コーラル(珊瑚)の大きく古いビーズも首にしていて、
「これなら売るよ」と言っていたが、
色も褪せていて高いし断った。

もし譲り受けたならば、
正真正銘のチベット僧侶来歴だ。

まぁ、だからどうした、と言われれば、それまでだが、
業者の売り言葉で「僧侶から」とか「寺院」からとかよく聞くが、
本当にそうな来歴は多くはないだろう。
だって、そんな機会は限られるからね。
僕は自分の実体験での事実しか言ってないけど。

因みに、
友人周りは僧侶や尼さんだらけで、コルラ(巡礼)ついでに休憩しに
いつも誰か僧侶がたむろっている。
僧侶だらけの時も多く、
むしろ、僧侶以外はあまり見かけない。

チベット仏教関係で分からない事をたむろう僧侶達に聞くと、
すんなり教えてくれる。
幼い時からチベット寺院に住み、長年毎日触れているのだ。
凄く詳しいのは当たり前な事だろう。

彼のお母さんも生粋のチベット出身チベット人で、
主婦同士のコミュニティがあり、顔も広い。

余談だが、
ネパールのチベット人地区には多くのチベット人が住んでいるが、
厳密には、細かいコミュニティが存在し、
その各コミュニティを纏める人物(大抵は年配の僧侶)が居る。

そのコミュニティは、各家庭または一族のチベットでの出生地(ルーツ)毎である。
正月とかで集まるのは、そのコミュニティの一族毎だったりする。
簡単に言うと、「同郷同士の集まり」なのですな。

外国人は、「チベット人」と一括りしがちで、
オリエンタルなチベット仏教観に目が行きがちだが、
ネパールにおいて、彼らは難民・移民なのである。

実は秘めたる心情や想い、立ち位置など色々と複雑なのです。
彼らは簡単には口に出さないけどね。




色々あります。
棒状の古いチベタン・ターコイズは凄く珍しい。
市場に数多く姿を現す類ではない。

好き嫌いは分かれるかもしれないが、
珍品好きの僕は好き。

奥に見える緑色のターコイズはこれといった特徴はない。
しかし、来歴がドルポです。

ドルポと言えばネパール最深部の秘境。

簡単に行くことは難しいが、
ドルポの真冬は寒すぎるので、
ドルポの人々は街に避難してくるのです。

そして、街の滞在費などを稼ぐため、
自らの物(主に石やビーズ類)を売ったりするのです。
・・で、そのドルポの人が持ってたターコイズを僕が買い取ったのです。

まぁ、来歴には価値があるとは思う。
何に重きを置くかは人それぞれですが。




非売品にした古いチベタン・ターコイズ。
写真写りがイマイチなので、
「どこが?」と言われるかもしれないが、
実物を見れば分かってくれるかもしれない。
古さもあるし、
濃い蒼色で美しい。
写真の都合で下のターコイズと同じ色に見えてしまうが、実物は全然違う色。
何より形がかっこいい。






こんなのもある。
表面に網目がほぼ無い。
サイズも大きい。
参考商品。


ーーーーー


超簡単に話をまとめてしまうが、
チベタン・ターコイズは魅力ある石だと僕は思う。

何百万、何千万円も出して買うチベットのジー・ビーズや、
何十万、百万円近い古く大きいチベタン・コーラルを選ぶのは人それぞれだろう。

しかし、
チベタン・ターコイズはそれらに匹敵する魅力を持つとは個人的には感じる。

値段だって、今はまだ現実的な金額である。

(※既に、百万円近いチベタン・ターコイズはラサではあるのは事実で、
実際に、僕の目の前でハイクラスの中国人バイヤーが買っていたが)

なんと言っても、
チベットのターコイズは、
れっきとした伝統を持ち、
チベット仏教にも正統に即した石である。
単なる石のビーズでは無い。

由緒ある寺院の仏像の土台とか見ると分かると思うし、
チベットの人々が大切そうに身に付けている現場を直接見ると、
更に深く実感はするかもしれない。

以上、
さらっとチベタン・ターコイズの事でした。




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河口慧海のチベット仏教のカパーラやチベット仏像

2022年08月28日 | チベットもの


久しぶりにチベット物の事ずら。

先日、東京国立博物館で開催中のチベット仏教の美術展に行ってまいりました。

僕の一番の目的は本物を見る勉強とか見聞とかではなく、
自分の中にあるチベットへの想いを確認する為でした。

コロナが始まり長くチベットの空気感を感じていなかったからです。

いやむしろ、チベット関連とあえて自分を遠ざけていました。

今、チベットの古い物に対してどう感じるか個人的に確かめたかったので行って参りました。

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さて、博物館の物の事。

職員に許可を得て写真を撮影してます。
フラッシュは禁止との事。

来歴確かなチベットの古い仏像が多数ありました。




ふむふむ
15〜16世紀の仏立像とな。
チベットやネパールでよく見るヤブユムですな。
中国でも人気があるらしいです。

説明文では中国・チベットまたはネパールと記載あり。
この丁寧な記載に好ましい印象を受けました。
チベットと断言せず「またはネパール」と書く事は流石に信用が出来る。
他の仏像でも安易に断定せず丁寧(または正直)な解説が見られた。

個人的にだけど、説明文に中国語の併記があった事に違和感を感じるが、
昨今の来日層を考えると仕方ないのかもしれない。
個人的には日本語と英語だけで充分とは思うけどね。

展示物を全く見ずに、
仏像のみ片っ端から全て写真で撮っていただけの中国人ぽい男性も居たが、
彼は何をしているのかしら。

あまり言いたくないが、
某有名ネットオークションで「17世紀のチベット物」とか記載してある出品物の情報を教えて頂く時もあるが、
トクチャ等の小さな物以外の仏像とかで17世紀のチベットのアンティークがもし本物であれば、
大きな博物館や美術館に入るレベルでっせ。
本物が公の大衆レベルのネットオークションで10万円とかで簡単に手に入るかどうかは、
それぞれの判断に任せたい。落札されておったが。


それはさておき、
本物の美術品に戻ろう。



上部の装飾に僕の好みの護獣ジッパが見られる。




色々ありました。




マハーカーラですな。
僕の好きな神様。
ヒンドゥーだとシヴァ。

日本では大黒天として広まったのだが、
時としてマハーカーラの和名として大黒天と表現する時もあるようだが、
その名は日本での名であるので、
個人的な本音としては、
日本での大黒天ではないチベットの神様のマハーカーラを表す時にはマハーカーラとして呼びたいと思うのです。
マハーは偉大(もしくは大きい)、カーラは黒、を意味するので大黒天なのだろうが、
意味訳ではなく音訳の方が言霊的にも良かったと思うのだが過去の歴史の事情もあるのだろう。
因みに博物館ではマハーカーラと記載しておりました。




河口慧海が持ち帰った品々。
左の数珠はカパーラの数珠。
ガウやツァツァも見られる。
19〜20世紀の来歴確実の品。

中国人転売業者が「○○世紀のカパーラ」とか言いまくっているのを聞いている方は、
これを見て欲しいと思うのです。
チベット現地には本当に古いカパーラも在るには在るのだが、
僕が知る限り、それらは安価ではなく数も多くはない。

そしてカパーラという物は異端のキワモノではなく、
由緒ある歴史あるチベット仏具なのですさかい。

河口慧海が何故、今は有名な鳳眼菩提樹の数珠を選ばずに、
カパーラを選んだかは分かりません。
彼はそこにチベット仏教または密教の奥深さを視たのかもしれません。




個人的に愛用しているカパーラ。
知らない人からすると人骨の数珠を日常着用してるのはキモイと思うだろうが、
僕は気にしていないのです。

個人的にだが、
なんか菩提樹の数珠って生命、生きる事、を感じ、
反してカパーラって死を司っているいるように感じるのです。
死を意識しての生という感じ。
正確には死生観。
僕はそこに共鳴しているのです。


以上
久々にチベット関連でした。




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僕が手放さないチベットのアンティーク・チベタン・ターコイズ

2021年12月23日 | チベットもの



久々にチベット物の事ずら。

コロナが始まり、
もう2年近くもチベットもネパールもラダックにも行ってないので、
今更かよと思われるかもしれん。

その月日は、
チベット仏教観、特に死生観と
僕の身も心も
それらと距離を離す事となっている。

とは言え、
その圧倒的な存在価値観は、
僕の心の底に、まだ力強く在るのは事実だ。

そんなのは他人様に言う様な事では無いので、
人知れず静かに想っている位なのだが。

で、僕の手元に残るチベタン・ターコイズの事。

チベタン・ターコイズは今まで色々扱ってきました。
これからも扱うだろう。

初めからぶっちゃけ言うと、
中国人の富裕層なら
飛び抜けて良いターコイズを持ってるさかいに。
ただし、ぶっちぎりの中国人趣味のターコイズになるけど。

以前、ラサで知り合った中国人バイヤーも
富裕層向け、かつ、自身も富裕層らしく、
写真を見せてもらったら凄く良いターコイズ(中国人趣味の)を持っていた。
が、
とんでもない価格で売っていたし、
買値(仕入れ値)もマジで凄まじかった。

そんな桁違いの値段のターコイズを買うのは
一般的な日本人には不可能と思えた。
そもそも日本人が好む種類でないとは思うが。

市場ゲーム(今は特に中国人市場)に沿った物を第一に求めると、
金額は、上の上まで行く。

その「上」を何処に設定するかは
人それぞれであると思う。

僕個人は、
その物自体と共に、
その背景を高く評価し、
そこに価値を見出している。

人が見向きもしない物にも
僕は美しいと価値を感じたりする。

理解されないのは、
もう慣れっこだから別に構わないけど。

商売する上での値付けの違いってのは時には金銭価値を付随するベクトルの違いでもあり、
何を基準に対価を得る金銭的価値を付けるか、またはどれほどの人数が
その対価を許容・認知するか、だけの話しだろう。


ぼく、思うのよね。

自分の物差しが定まってさえ居れば、
例えどんな物であったとしても、
変わらず良い物として、長い間、愛し続ける事ができる。

もっとも、
「値段が高い物こそ最高だぜー」という人も
ブレずに追いかけられるけどね。


・・・で、よーやく、話の本題。





このターコイズ。

僕が手放さない物の一つである。

うーん、まぁ、確かに色艶と古さや雰囲気良いけど、
小粒だし、非売品にするまででっか?
と言われるだろう。

僕なりに理由がございまする。

譲り受けたのは、東チベットの奥地デルゲ。

デルゲの僧院でコルラ(巡礼)していた地元民の老人から
無理言って譲り受けたのです。

その当時、僕はある有名な僧院の巡礼路の片隅に座って、
民間人から物を仕入れていた。
コルラをしてる生粋のチベット仏教信仰のチベット人達からね。

当時、そんな事してる日本人は全く居なく、
そもそも日本人自体が皆無な場所なので、
噂になったらしく、
たまに向こうから「こんなん買わないか?」と
物を見せて来る時もあった。

その老人は、
そのやり取りを近くで見物してた一人である。

僕は彼の首元に巻かれたターコイズが気になって見せてもらったら、
本物ではないか。

「これを売ってくりー」と聞いてみたが、
最初はあっさり断られた。

どーやら、大切なターコイズらしい。

僧侶がどうたらこうたらと
祈りをするジェスチャーで言っている。

多分、僧侶から祈りを込められていると
言いたかったのであろう。

最も、普段から首に巻き、
毎日欠かさず祈りの巡礼をしているのは間違いない。

その日は諦めたが、
翌日、僕が僧院の椅子に座っていると、
コルラしてる彼の姿があり、
その日は彼の方から近づいて来た。

売りたいってゆーより、なんとなく来た感じだった。
老人はゆっくりと俺の隣に座ったので、

俺はダイレクトに言った。

「それ、〇〇元ならどうだ?」

老人は断った。

なんだよー、無理かー、と一瞬思ったが、
僕は値段を上乗せして再度、値段提示した。

老人は弱った様な表情で悩み出した。

ジジイ、心が揺れとるー

俺は更に値段を上乗せした。

老人は小さな声で、
「○○元...」とターコイズを触りながら言う。

売る気だ。

僕はこれまでの経験上、
売り手が業者でない素人の私物(又はお寺の物)の場合、
金額交渉があまり出来ない事があるのは知っていた。

無茶苦茶な高値を言ってくる人も居るし、
そもそも全然売る気がない場合すらあり、
言い値(またはそれに近い金額)で買うか否か、の場合も多い。

今回は現実的な値段である。
それが物語の確実な物として目の前にある。

来歴不明の業者経由ではない。

場所もチベットの奥地。
僧院の椅子。
巡礼してる一般人の老人。
その首に長年大切に巻かれていた古いチベタン・ターコイズ。
色艶の良い本物だ。
しかも、許容範囲内の値段であり、
その値段は老人の想いの値段なのだ。

こんな機会は
次、いつ巡ってくるか分からぬ。

名残惜しそうにする老人の気が変わらない内に
僕は言い値で譲り受けた。

世の中には、
金さえ出せば手に入れるのは不可能とは言えない物も多い。

しかし、
金を出しても手に入れるチャンスを得られない物も在る。

正確に言うと、
僕と老人が出会わなければ
そのターコイズは手元に来る事はなかったであろう。

世界に一個だけの
老人と僕が繋げてきた
確実な物語を持ったターコイズなのだ。

もっと踏み込んで言うと、
僕にとっては、
そこに明確な、祈り、が存在するのだ。

世に溢れる、
インターネット経由で現地の中国人(またはチベット人)業者とのオンライン売買の物では決して、ない。
※購入する経路と販売先が良いとか悪いとかの話しではなく、あくまで自分が確信できる物語基準上での話し。

物を通しての、
僕の物語がソコにあるのです。

それが、僕がこのターコイズを手元に置いてある理由なのです。


因に、老人の首にはもう一個、ごく小さな粗末な金属製ケース(たぶんガウの一種)が巻かれていて、
「コレは絶対に売れないんじゃ」と言っていた。

人それぞれ、
物には物語があり、
その物語にこそ、僕は愛すべき価値があると思っているのでした。



自分で書いといて何だが、
物語とか祈りって言葉を出しちゃってるし、
ちょっとフワッとしてカッコつけた話しになっちゃった。

分かってくれる人だけ
分かってくりー






※この記事は僕の今の記憶の限りを書き起こしていますが、
僕が体験してきた事実を書いています。


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美しいチベットの古い家具

2020年02月25日 | チベットもの


チベットの家具。
前にも書いたけど、また書きますて。

チベットの家具と言って、
正確にイメージをできる人は
どれくらい居るだろう?

日本だと知られていない
チベットの古い家具。

ほんと、かっこいーんです。

すんごい、美しいんです。

・・・と、僕個人は思っているが、
物を見せられなければ、
お話しが始まらないのは分かっております。

しかし、
そもそもが現地でも安い物ではないし、
しかも現地ですら、古いチベット家具を扱う業者の数は限られている。
そこら辺の行商は、まず持っていない。

日本で販売する事を考えると、
輸送コストも入れると、日本での売値は結構高くなるので、
商売を考えると難しいだろう。

(カトマンズで目にする、チベット柄の新しい家具もあるが、
それらの家具は、そこそこ安い。
その制作工房はネパールのチベット人圏で目に出来る。
ここでの話しは、古いオリジナルのチベット家具でござる)


では、
日本人的な言葉で表現すると、
民藝的な美しさを持つチベット家具の価値を
誰も認めていないのかと言うと、
全然、そうではない。

はやくから欧米人達に、
その美しさは認められてきた。
英語では専門書籍も出版されている。


で、
日本では難しいって話しですが、
価値観的に受け入れられない、という話しではないのです。

美しいと理解してくれるでしょう。

チベット家具と似た雰囲気がある李朝系の家具や
中国の古い家具は、
事実、日本人にも受けが良いし、
日本のインテリアにも合うと思うので、
チベット家具も、
その価値観・情報さえ広められれば、
価値を認められるとは思っている。

たとえ、その人数は少なくとも、
受け入れられないとは思わない。

しかし、
そこに対して対価、簡単に言うと、お金を払うか、というと
話しは別であろう。

もちろん、現実的にお金があるかどうかというのもあるが、
お金がある場合でも、
家具ひとつに、
数十万、時には100万以上も払うには、
多くの情報、市場価値、物語、など付随する要素が必要となる。

古い北欧系の家具だったり、
デザイナー物であったら、
既にそれらは、認知されていると思う。
なので、
そこにお金という対価を払う人も居るだろう。

実際、
僕の友達にも居るが、
家具でも着物でも、
ハイエンドの物を趣向し、
ひとつひとつ数百万円の物を買う女性は居る。

しかし、
僕が言っているのは、
チベットの家具である。

一般的には知られていない
チベットの家具である。

つまりは、
その存在を、知ってもらわなきゃ、始まらない。

その美しさ自体を日本人が認める事ができると
僕は信じている。

しかも、
その美しさと物語にお金を出す人は居るだろうと
僕は信じている。

あとは、
いかに
情報を広められるか、という話しだけだとは思っているのです。






木製本体に、宗教をもとにした
様々な図柄を描くのが、チベット式。
稀に本体が黒色の物もあるが、多くの家具は、赤色。
因に、描かれているのは、想像上の生き物「センゲェ」
ライオンではございません。




密教図柄の笑う髑髏「ミンゴォ」が
随所に描かれる。



中国の古い家具とは、似て非なる。
チベット独自の雰囲気があるのです。

海外でも国際的な事も関係していて、
チベットの物であっても、中国、つまり、Chinese と表記される場合もあるが、
実は違う。
正確に言うと、チベットの物でも、漢民族の感性が影響していて、
その絵や図柄が取り入れられている物もある。
チベットの寺の木彫であっても、ネパール様式が取り入れられているのもあるし、
日本で知られた、ダライ・ラマ、という名前も元々はモンゴルからの名なので、
そこは難しいが、様々な文化と融合したのが、
チベットの物または文化という捉え方で僕はいる。

因に、モンゴル家具も美しい。
ちょっとチベット物と違うが似ている。




厚めに絵の具を塗って描くので、
塗った部分に厚みを感じられる。

古い家具でリペアされてるのも、多くある。
オリジナルの図柄と、はげた部分などに後年手直しが施されているのです。
よく見ないと判別不能な位に上手にリペアされているのも多いが、
近くで斜めに光りを当てると、その違いが分かったりする。












美しすぎて、ため息でちゃう。

チベット仏教特有の宗教図柄、神様や吉祥文様をダイナミックに
家具に描くのは、もはや、絵画である。


以前、このブログでも書いた事だが、
また、言うでござるよ。

現地の知人業者のカギがかかったストックルームに入れてもらうと、
よゆーで本に載るレベルの家具が圧巻の数があったりする。
そのクオリティは、今も一部の欧米人達が買っている家具より
もうワンランク上の物達である。
明らかに、これ、美術館レベルでしょ、とゆー物もある。
ラサにだって、行くとこ行けば、あるよ、今なら、まだ。

それらは、僕が知る限りだが、
ほとんど誰も買っていない。
少なくとも、気軽な観光ついでに買える物ではないとも思う。


しかし、
そこに
在る、のです。



僕は単純に、
まだ知られていない美しい物を
広めたいのさ。





写真出典:『Tibetan Furniture』



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チベットの護符 ツァカリ

2020年02月21日 | チベットもの


チベットの古いツァカリです。

もともとは、
各々が懐に入れて持つ、小型のお守りとしての存在です。

今では、額装して壁に飾る用として売られていますが、
実際にチベット人も同じ様に、
宗教的な意味合いもありますが、壁飾りとして用います。

通常、10cm角ぐらいで、
紙や布に絵が描かれています。

そのツァカリ、
今までは、あまり注目を浴びてこなかった。
とゆーより、知られていなかった。

古く良い仏画、タンカが手が届かない程に超高額になった現在、
古いチベットの宗教絵画として注目を浴びているようだ。

古いタンカに比べてお手頃だしね。

以前は中国人は買わなかったが、
今では実際に、まとめて買い占めている時も目にした。

本場の本場、ラサなら安いでしょ、と考えると間違いです。
逆に高い場合が多い。
僕の売値より遥かに高い時もあるが、
それは、中国人バイヤーか富裕層向けの価格でござるよ。
最も、ラサは他の地では見ない物があったり、
数自体はさすがラサで、膨大なのだが。

そんな場合でなかったとしても、
本当にオリジナルの古いツァカリの数は
目にする機会は減った印象。

古く見せかけた物ばっかで、
たまに古いなと思うがあっても、
既に額装状態で高く売られてたりする。

その古さ自体も好きなのだが、
僕がツァカリを好きなのは、
別の理由もあるのです。

「絵の種類が豊富」

それが、面白い。

チベット仏教の宗教文様からはじまり、
法具や神様に至るまで、
これ、
どんぐらい種類があるのかしら?と思えるほど、多様だ。

コレクター心をくすぐるのです。

過去に一度だけ、108枚セットの古いツァカリを見た事があるが、
たぶん、実在する絵の数は108種類とかじゃ、
とても収まりきらない種類はあると思う。

絵の画風も好きだ。

チベット仏教の画風って、僕、好き。

お寺に行くと、壁画が描かれているが、
その壁画を見るのも好きなのです。
むちゃくちゃ上手、というか迫力がある壁画もあるが、
絵師は無名なんよね、たぶん。
それが、すごいよ。

で話しを戻すと、
ツァカリ。

古くないツァカリは、
良く言えば、ダイナミックで自由に描かれている。
そう、子供のお絵描きみたいな感じで。
悪く言えば、雑、で下手。
数は沢山ある。

古く実用されていたツァカリは、
もう、古いタンカの一部なん?って位に上手で細密に描かれている。
金彩も用いられる。
たぶん、絵の具も新しい物とは違う。
数は少ない。
図柄によっても値段が違う場合がある。






真面目に描いているのが伝わる。
見えにくいけど。



裏に文字が書いてあるのもある。



パルデン・ラモかしら。
この画風。
シリアスでもなく、漫画でもない。
絵として独特で惹かれる。
雲の配置や動きなどの構図も完成されとる。


コミカル。
でも宗教観バリバリ。
センゲェがかわゆい。


なんつーかなー、奥行きがあるのよね、古い絵って。
新しいのは、平面的に感じるの。

お寺の壁画もそーだけど、
古い仏教絵画って、二次元的に描写されているのだけど、奥行きがある。
新しい仏画って、グラデーションを結構使ってるけど、何処か平面的。
これ、なんなんだろーなー


ツァカリでした。

そして、宣伝。

古いツァカリの販売

古いオリジナルのツァカリ




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