旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

チベットの十字文様ティクマの意味考察

2023年06月23日 | チベットもの



以前から個人的に推しまくっている、
チベット圏の十字文様(紋様)ティクマの事です。

チベット仏教圏にて、
馬具や僧侶の僧衣、
ラダックの民族装束ゴンツェやリンツェ、
チベットでの催事用衣装タンザッ(ク)に至るまで、
濃いチベット仏教圏の紋様だが、
色々と調べても十字文様の明確な意味は知れていない。

もちろん、現地の業者や知人友人、僧侶に至るまで、
事あるごとに聞きました。

そこには、ボン教由来だとか様々な理由や言葉が並ぶが、
統一見解の様なものは見られない。

業者は、宇宙の中心を意味するとか様々な言葉を並べるが、
「じゃあ、何故そーなったの?」と個人的な疑問が出るが、
どれも一文のみで、
その明確な裏付けを僕はいまだに聞いたことがない。

渡航回数の少ない人が書く本を読んだり、
業者に言われて「そーなのか」と完全に信じるには、
説明が不足している気がするのです。

そこで色々個人的に考えてみましたさかい。

あくまで歴史や文化の素人の考察です。
多々間違っている事もあると思います。
適当に流してくださいませ。

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【考察1】

たまたま海外のチベット関連の本を読んでいたら、
興味ある文言を目にした。

布物や織物に多く用いられるティクマとは全く関係ない、
チベットの十字のモチーフに関してである。

文中の十字の物(護符トクチャ)に関して、
どうやらそれは、
景教が由来するとの事である。

景教とは、
キリスト教の一派であり、
ネストリウス派の事ですな。

431年のエフェソス公会議(エフェソスは現トルコ)で異端とされた後、
唐の時代、635年に中国に伝来したという。
どうやら、インドにも布教は広がりトマス派となったらしい。
また、東方ではチベット仏教を信仰するモンゴル系らの中で埋没したという。

ネストリウス派はキリスト教だったので、
十字を象徴としていた。

古の伝承伝説を持つチベットの護符トクチャにも表現された十字。
その由来がキリスト教の景教だというらしいのは興味深い。

布教の歴史の中で、
宗教的図柄は混じり合うのはよく見られる事だ。

僕自身の体験でも、
ザンスカールのチベット仏教寺院で見た壁画も、
イスラム図柄が含まれていたのを覚えている。

その混じ合う中で、
チベット仏教の文様に十字が入り、
現インド領ラダックやザンスカールでも定着したかもしれない。

チベット人の祖は東方から訪れたという。
建国の元、吐蕃王朝となるのは7世紀頃らしい。
西方から伝来した十字文様が、布教範囲的にラダック等に
先に広がった可能性はどうだろうか。

もしそれであれば、チベット本土ラサよりラダックで十字文様ティクマが
多く見られるのは、なんとなく分かる気がする。

チベット本土シガツェ来歴という説もあるが、
個人的には、シガツェで十字をよく見たという記憶がござらん。

事実は分からんけど。


【考察2】

北インドに4世紀から6世紀頃に存在したグプタ朝で用いられていた、
ブラーフミー文字に十字が見られる。

ブラーフミー文字は、チベット、モンゴル、南アジア、東南アジアなどの
文字形態の祖であるらしい。

7世紀から9世紀にかけてチベットの元となる吐蕃王朝があり、
チベット文字は635年に作られた。
ブラーフミー文字は紀元前からあるとの事だ。

十字文様ティクマは、
ブラーフミー文字から派生した紋様であるというのはどうであろうか。


【考察3】

考察2と同様に文字(または記号)来歴。
サンスクリット語のスワスティカ(卍)から変形したかもしれない。
スワスティカといえば仏教やヒンドゥー教の象徴的な図柄である。
そこからの派生文様かしら。
卍文様も十字形態に含まれるらしいが。
どーだろ。


【考察4】

個人的な実体験として感じている事。

チベット仏教圏において、
実は色々とアバウトな事が見受けられる。

もちろん、宗教上の儀式等では決まりがあるが、
神仏の図柄パターンや数珠や装飾品の事に至るまで、
日本人が考えるより、
今風の言葉で良く言えば、柔軟な気がする。

十字文様も、
なんとなく自然発生的に十字が用いられてきて、
明確な理由や宗教的意味は後付けだったりして。

催事用の織物に施す柄も、絞りの過程、または柄押印の過程で、
十字は人間が用いやすい。または作り出し易い。

太古の歴史があるエッチド・カーネリアンにも十字文様は多く見られ、
その来歴なのか、たまたまか、分からないが、
線を交差する柄を作るのは簡単で、尚且つ原始的な文様と思えてならない。

それがティクマとして、
僧侶の衣装や民族衣装等に用いられてきたかもしれない。

「なんとなく十字なんですわ」という理由。

それが個人的にシックリくる。

分からんが。




参考までに、巡礼者の衣服にも十字文様ティクマが見られる。
様式に沿った衣装ではなく、
おそらくは自作であろう。
美しい。



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どの考察もツッコミどころ満載ですが、
結局、いまだに分からんですさかい。



事実の意味の来歴は置いておいて、
チベット本土からネパールへと渡った物や、
チベット本土の物、
インド領ラダックなど広く分布する範囲で、
見られるティクマ紋様。
その多くは布に表現され、
絞りであったり、
スタンプであったり、
刺繍であったり、
絞りに刺繍を加えた物など、
表現方法は様々である。

その圧倒的な存在感と、
意味の神秘さや、
宗教的な意味合いを含んだ、
特徴的な美しさは、
僕を強く惹きつけるのです。



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