
古い物の行方と存在する場所を書きますて。
何処で売っているか、または何処に存在するか、と言う事です。
「チベットの古い物が減った」と言われております。
僕自身も言っております。
僕の言葉の意味は「現地で、表では姿を見なくなった」と言う方が正確です。
もしカトマンズのタメル地区とかでのみで探してたら、
「良い物と出会えない」や
「古く良いチベタンターコイズを数を揃えるのは無理」だとか聞くでしょう。
そりゃ、無理やで、旦那。
凄い物を持っている人はおります。意外と多いです。
イカつい珊瑚のネックレスや、オリジナルのジービーズを持っている地元の一般人も居ます。
売らない場合も多いですが、
売る場合は、仲介する老舗の店主が買い手と直接売買していたりします。
直接売買で買い手の元へと旅立つのですな。
なので、現地であっても、店頭に出る事がない場合もあります。
ですが、存在はしております。
そして、古い物が破棄されるのであれば話は別でしょうが、
チベットの古い物に関して、多分そんな事は少ないでしょう。
ブランドの服などに比べれば市場自体が小さいからでもあります。
なので、「存在場所を変えている」または「表に出てこない」
と言うのが実際の事実でしょう。
何故なら、バイヤーやディーラーに買われても、行先は何処かの買い手です。
その買い手(購入者)の元に、その物は有るのです。
考えれば当たり前です。
上述した直接売買を含めた、その購入者が持っているのです。
または何年も前に手に入れた人の元にあります。
「収まる所へ収まれば、出てこない」
その言葉は、骨董業界や売買業者間でもよく使われます。
つまりは、美術館や本気で愛好するコレクターなどの元へ行ってしまうと、
当分の間は売買市場に出てこない、と言う意味です。
しかし、今は昔に手に入れた人が老齢になり、手放す時期です。
それはチベットの古い物に限らず、
和骨董や西洋骨董、
バブル期に嬉々として日本人が買い求めた絨毯に至るまで
売買市場に姿を現している時期です。
ある意味、今が買い時かもしれません。
ただそれは「来歴をしっかりと見る必要」があります。
僕は来歴に正直さを感じないと手に取りません。
表向きの言葉は信用しません。
何故なら、「来歴に、物の真実のヒントが隠されている」と思っているからです。
そして、現地ですらも売主が来歴を曖昧にする意味を知っているからです。
だからこそ僕は物の来歴を重視し、
可能な限り、物語の在り処に辿り着く努力をします。
金銭商売のみの枠に留まる事は避ける、
と個人的には念頭に置いております。
僕は美しい出逢いを求めているのです。
それが僕が旅する理由でもあります。
もっとも、やり方は人それぞれでしょう。
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一方で、売買市場に姿を出さない物も数多くあります。
歴史的価値がある仏画や仏像ですらも、奥地や僻地のお寺に存在しています。
中には、セロハンテープとかで壁に貼られている貴重な古いタンカすらもあります。
それらは鍵が掛けられた本堂や暗い部屋にひっそりと存在しています。
寺側が手放さないのです。
それらは売買市場に出たり、光が当たる事は当分ありません。
静かに眠っているのです。
もちろん、行きさえすれば見る事は可能です。
個人的には何処かの日本での展覧会に行くより遥かに価値があるとは思います。
なので、日本だけの情報やネットだけ見ていると知れない事も多いです。
昨今の優れたAIですら、現状では、
インターネット上に存在する情報を集積し分析した結果に過ぎません。
そもそも、元になる素材がネット上に無いと分析や展開ができません。
ネット上での展開は、人間で言う想像と似ていると感じますが、
AI君の独自の想像になってしまい、学習と呼ばれるその想像は、
ネットでの文言や情報に基づいています。
事実とはまるっきり違う結論が出てくるかもしれなくなります。
ネット情報だけではなく、
売買での場の売主の言葉だけを信用していると、
眼が曇る事もあるかもしれません。
僕の言葉ですら、その一部に過ぎません。
真実や正直な物語は、
何処かの空の元にあるのと思えるのです。