今回、言い訳を書きます。
でも僕が現地で体験してきた事実です。
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チベットの古く良い物は数が少なくなっている、
と言われて久しい。
それは僕の体験上、事実だと思う。
ただ、
もちろん、
有るとこには有るし、
お金を出せば手に入れるのは可能です。
何処かで、
一般人の感覚とは離れた高額を出して手に入れたり、
超奥地の地元民経由とかや、
運次第では可能と思うので、
「不可能」とは言い切れません。
一般的に言うところの、
良い物は、
安い値段では手に出来ない場合が多い、と言うハナシなのです。
今回の渡航で、
40万円の小さなトクチャから始まり、
小指の先にも満たない小さなチベタン・ターコイズが4万円、
古く本当に良い仏像は数百万円を越え、
ズィ・ビーズに至っては、機会があってズラッと見たが、
こちらも想像にお任せする金額である。
果たして、誰が買うのであろう。
中国人が買うのである。
または、
それで多大な利益を出せると見込んでいる業者が買うのです。
「今は中国人は高い物を買わなくなった」と
ある中国人ディーラーの言葉を前回書いたが、
それでも買いまくる人はまだまだ存在する。
実際、旧知のチベット人が持っていた、
上述の4万円の小さなターコイズは速攻で売れておった。
聞けば、中国人が買ったとの事だ。
僕が知る限り、
以前は、彼の店には中国人バイヤーは辿り着けていなかった。
今や、奥の奥まで手が伸びているのを実感するのである。
「チベット本土のラサならどうだ」って?
ラサは今や、
チベット・アンティークに置いて、
世界で最も高額な街の一つであろう。
ラサは日本人にとって行きずらいだけで、
中国人は簡単に行けるからね。
そりゃ、
僕かて手頃な値段でお客様に提示したい。
その方が、
僕の個人的希望の「価値観の共有」ができるのが嬉しいし、
買い手にとっても嬉しい事であると思うし、
生々しい事を言ってしまうと、
商売としても成立しやすいだろう。
だって、良い物で値段が手頃なら、
買いたい人の幅が広がるからです。
しかし、それは難しいのが現実的な事だろう。
時には、
今まで費やした労力や時間、お金を顧みずにしたって、
一般的には、
何も考えずに買える値段で無くなってしまう場合が多い。
もちろん、安くて、
それなりのクオリティの低い物であれば、
安く買える場合も多いし、手頃な価格で売りに出せる。
チベット物の数が少ない日本では、
比べる機会が少なく、
よく混同されるが、
ここでの話は、
それらの物の事ではなりません。
偽物が氾濫するルドラクシャであっても、
本当に古いルドラクシャに関しては、
以前、数年前まででも、
まだ数は残っていたのに、
今や、
すっかり姿を消した。
長年、現地で商売をする友人も、
「そうなんだよね、今はもう無いよ」と言う。
彼らにとっても手に入れば売れる物なので、
手に入れようとするが、
もう手に入れられないのである。
地方や村々や他の業者にコネクションがある彼でさえ無理なら、
運よく、誰かが持ってくるのを待つしかないのである。
チベタン・ターコイズも、
凄い勢いで姿を消した。
昨年の始めのネパール渡航で、
あれだけ持っていたチベット人業者の所にも、
1ヶ月前には何も残っていなかった。
丸ごと買っていかれたらしい。
正確に言うと、
僕が知る限り、
別の所には、
有るには有ります。
他の地であれば有ったりします。
ただ、それは値段が高かったり、
質が普通や普通以下だったり、
色々な経費がかかったり、
まとめ買いのみ(数十万円単位分など)とかだったり、
色々な理由が付属するのです。
そして、
中国人だけではなく、
日本人を含めた各国のディーラー達も色々と探しているのです。
姿を消す速度は、
想像以上に早く、
例えば、
前回のブログで書いたシャキャ族の知人が、
色々探して持ってきた仏像も、
開店から3時間で売れていた事もあった。
その時も、中国人バイヤーが買ったとの事だった。
僕は、そのバイヤーが見ていない棚の中に有った物を
買ったのだったのだが。
十字紋様のティクマであっても、
古いオリジナルの家具類であっても、
誰もが
「もう入って来ない」と言う。
古いティクマに至っては、
あまり知られていない筈であったが、
僕の渡航中に、
僕以外の誰かが一枚買っていたのを僕は知っている。
15年前、10年前でも、
ヒマーチャルやラダックには、
路上に、地方またはチベット本土から出てきている行商が居て、
様々な古い物を売っていた。
今やほぼ居ない。
約40年間、現地で商売をしている友人も、
「もう古く良い物は入って来ないからね、一旦売れたら、それで終わりさ」と言う。
40年間、現地で毎日商売をしている人間が言うのである。
ここまで言えば、もう十分かもしれない。
現地の一般の人々の、
生活水準も、人生スタイルも変化した。
ある程度、お金を持った人々は、
安く売る必要もない場合もある。
今や、チベット人の友人も、
アークテリクスの服を欲しがる時代である。
市場から姿を消した理由には、
それらも理由の一つではあるだろう。
もちろん、
繰り返す様だが、
手を尽くせば、
運次第で手に入れられるのは可能だ。
もしくは、
僕がやっている事の一つである、
『既存市場金銭価値から、まだ光が当たっていない美しい物を見出す』
という事になるだろう。
他にも手法はあるだろう。
いずれにしても、
以前とは比べられない、
「時間と運、お金、眼や労力や工夫が必要」となっていると感じるのです。
そりゃ、
オンライン売買で現地とやり取りして仕入れる、
というシンプルな方法もあるが、
それに関しての裏事情は後日、また別に書くかもしれない。
話を戻すと、
数年間に値段が爆騰した、
数の少ないオリジナルの小粒のブッダ・チッタ(鳳眼菩提樹の数珠)であるが、
一時期、その価格は中国で100万円まで上昇した。
現在の中国人市場での需要が落ちると、
その値段は現地でも目に見えて下落していた。
その下落具合は、直角に落ちる勢いだ。
これは、それぞれの目的次第だろうが、
既存金銭市場でのゲームに参加すると、
値段の上下に振り回される可能性があります。
だが、もし金銭ゲームを目的とするならば、
それは上下する金額の資産としても、
ある種の株感覚などとしても、
考えられない事はないかもしれない。
そして、
100万円や数百万円単位、それ以上の、
金額規模の高額を出しても手に入れたい、と言うのも、
人それぞれだとは思います。
ただ、
僕、個人的には想うのです。
『自分の気に入った物を、手に入れた方が良い』と。
そして、それを手に入れるのは、
『早ければ早いほど、良い』と自分で痛感するのです。
現時点での市場金銭価値の高い物を買うかどうかは、
人それぞれの自由ですが、
市場価値とかネットに溢れる見解や値段で左右されてしまうと、
もしかすると、本来の目的とズレてしまうかもしれません。
一般的に光が当たった時には、
金額もそれに比例して値上がりしている場合が多いです。
光が当たった途端に、
手に入れるのは難しくなります。
市場で急速に姿も消します。
それは古い物に限らず、
あらゆる市場の法則だと思います。
また、
目にできる種類も、
光が当たる以前は、
豊富であったのは間違いないだろうが、
値段に関しては、それが顕著なのです。
チベット仏教の仏像に至っては、
ネパールの博物館に所蔵されている古いチベット仏像の台座に、
当時の値段であろう金額が書かれた形跡が残る物すら展示されていた。
もし今、
それが欧米または中国のオークションに出品されたら、
その値段は凄まじい事になると思う。
その台座に乱暴に記載された、
当時の金額で今買うのは不可能に近い事だとも思う。
新しい仏像を作る事ですら、
仏師の知人に聞いたら、
物価等の高騰で、今や意外なほど高くなってしまったらしいからね。
そもそも、古く良い物は、
簡単には見つからないのです。
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何より、
「自分が気に入った物」を「素早く手に入れる」事。
そしてそれは、
何処かの誰かの情報を追いかけるのではなく、
自分の肌と
自分の眼で
それを感じるのが重要かな、と
僕は自分に言い聞かせております。
そして、
それを可能な限り、
正直に発信したいとも思っておりますて。
だけど、
そう、
この僕の言葉も、
世にある無数の言葉や情報の一部に過ぎないのです。
僕自身ですら、
「そりゃ、嘘やろ」とか
「あんた、本当に、実際に現地に行っとるんかいな?」とか
「思い込みに誘導する売り言葉だろうね」とか
僕も思ったりする情報を耳にする場合もあります。
何を信じるかは、人それぞれの自由です。
それを分かって、あえて書いているのです。
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今回のタイトルの結論を言うと、
この先は、
どうなるかは分かりません。
色々な国を実際に旅した個人的な稚拙な体験からは、
古い物に関して、
値段に関しては、
少なくとも、
昔よりは高額になっているのは事実でしょう。
そして、
数自体も、目にできる種類も、
どんどん少なくなって行くでしょう。
値段に関しては、
上述の様に、
上下する物もあるでしょうが、
大半の物は、
値段が上がり続けるでしょう。
ただ、
もし自分の眼が定まっていれば、
金銭的な損得ではない、
「何か」が分かるかもしれない、
と僕は自分に言い聞かせています。
美しい物が、
完全に姿を消す前に、
僕は、
それを成せるのだろうかしら。
それを想っておりやす。