旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

姿を消す古い物と、その先。

2024年01月14日 | チベットもの


今回、言い訳を書きます。
でも僕が現地で体験してきた事実です。

----

チベットの古く良い物は数が少なくなっている、
と言われて久しい。

それは僕の体験上、事実だと思う。

ただ、
もちろん、
有るとこには有るし、
お金を出せば手に入れるのは可能です。

何処かで、
一般人の感覚とは離れた高額を出して手に入れたり、
超奥地の地元民経由とかや、
運次第では可能と思うので、
「不可能」とは言い切れません。

一般的に言うところの、
良い物は、
安い値段では手に出来ない場合が多い、と言うハナシなのです。

今回の渡航で、
40万円の小さなトクチャから始まり、
小指の先にも満たない小さなチベタン・ターコイズが4万円、
古く本当に良い仏像は数百万円を越え、
ズィ・ビーズに至っては、機会があってズラッと見たが、
こちらも想像にお任せする金額である。

果たして、誰が買うのであろう。

中国人が買うのである。
または、
それで多大な利益を出せると見込んでいる業者が買うのです。

「今は中国人は高い物を買わなくなった」と
ある中国人ディーラーの言葉を前回書いたが、
それでも買いまくる人はまだまだ存在する。

実際、旧知のチベット人が持っていた、
上述の4万円の小さなターコイズは速攻で売れておった。

聞けば、中国人が買ったとの事だ。

僕が知る限り、
以前は、彼の店には中国人バイヤーは辿り着けていなかった。
今や、奥の奥まで手が伸びているのを実感するのである。

「チベット本土のラサならどうだ」って?

ラサは今や、
チベット・アンティークに置いて、
世界で最も高額な街の一つであろう。

ラサは日本人にとって行きずらいだけで、
中国人は簡単に行けるからね。

そりゃ、
僕かて手頃な値段でお客様に提示したい。

その方が、
僕の個人的希望の「価値観の共有」ができるのが嬉しいし、
買い手にとっても嬉しい事であると思うし、
生々しい事を言ってしまうと、
商売としても成立しやすいだろう。

だって、良い物で値段が手頃なら、
買いたい人の幅が広がるからです。

しかし、それは難しいのが現実的な事だろう。

時には、
今まで費やした労力や時間、お金を顧みずにしたって、
一般的には、
何も考えずに買える値段で無くなってしまう場合が多い。

もちろん、安くて、
それなりのクオリティの低い物であれば、
安く買える場合も多いし、手頃な価格で売りに出せる。

チベット物の数が少ない日本では、
比べる機会が少なく、
よく混同されるが、
ここでの話は、
それらの物の事ではなりません。

偽物が氾濫するルドラクシャであっても、
本当に古いルドラクシャに関しては、
以前、数年前まででも、
まだ数は残っていたのに、
今や、
すっかり姿を消した。

長年、現地で商売をする友人も、
「そうなんだよね、今はもう無いよ」と言う。

彼らにとっても手に入れば売れる物なので、
手に入れようとするが、
もう手に入れられないのである。

地方や村々や他の業者にコネクションがある彼でさえ無理なら、
運よく、誰かが持ってくるのを待つしかないのである。

チベタン・ターコイズも、
凄い勢いで姿を消した。

昨年の始めのネパール渡航で、
あれだけ持っていたチベット人業者の所にも、
1ヶ月前には何も残っていなかった。
丸ごと買っていかれたらしい。

正確に言うと、
僕が知る限り、
別の所には、
有るには有ります。
他の地であれば有ったりします。

ただ、それは値段が高かったり、
質が普通や普通以下だったり、
色々な経費がかかったり、
まとめ買いのみ(数十万円単位分など)とかだったり、
色々な理由が付属するのです。

そして、
中国人だけではなく、
日本人を含めた各国のディーラー達も色々と探しているのです。

姿を消す速度は、
想像以上に早く、
例えば、
前回のブログで書いたシャキャ族の知人が、
色々探して持ってきた仏像も、
開店から3時間で売れていた事もあった。
その時も、中国人バイヤーが買ったとの事だった。

僕は、そのバイヤーが見ていない棚の中に有った物を
買ったのだったのだが。

十字紋様のティクマであっても、
古いオリジナルの家具類であっても、
誰もが
「もう入って来ない」と言う。

古いティクマに至っては、
あまり知られていない筈であったが、
僕の渡航中に、
僕以外の誰かが一枚買っていたのを僕は知っている。

15年前、10年前でも、
ヒマーチャルやラダックには、
路上に、地方またはチベット本土から出てきている行商が居て、
様々な古い物を売っていた。

今やほぼ居ない。

約40年間、現地で商売をしている友人も、
「もう古く良い物は入って来ないからね、一旦売れたら、それで終わりさ」と言う。

40年間、現地で毎日商売をしている人間が言うのである。

ここまで言えば、もう十分かもしれない。

現地の一般の人々の、
生活水準も、人生スタイルも変化した。

ある程度、お金を持った人々は、
安く売る必要もない場合もある。

今や、チベット人の友人も、
アークテリクスの服を欲しがる時代である。

市場から姿を消した理由には、
それらも理由の一つではあるだろう。

もちろん、
繰り返す様だが、
手を尽くせば、
運次第で手に入れられるのは可能だ。

もしくは、
僕がやっている事の一つである、
『既存市場金銭価値から、まだ光が当たっていない美しい物を見出す』
という事になるだろう。

他にも手法はあるだろう。

いずれにしても、
以前とは比べられない、
「時間と運、お金、眼や労力や工夫が必要」となっていると感じるのです。

そりゃ、
オンライン売買で現地とやり取りして仕入れる、
というシンプルな方法もあるが、
それに関しての裏事情は後日、また別に書くかもしれない。

話を戻すと、
数年間に値段が爆騰した、
数の少ないオリジナルの小粒のブッダ・チッタ(鳳眼菩提樹の数珠)であるが、
一時期、その価格は中国で100万円まで上昇した。

現在の中国人市場での需要が落ちると、
その値段は現地でも目に見えて下落していた。
その下落具合は、直角に落ちる勢いだ。

これは、それぞれの目的次第だろうが、
既存金銭市場でのゲームに参加すると、
値段の上下に振り回される可能性があります。

だが、もし金銭ゲームを目的とするならば、
それは上下する金額の資産としても、
ある種の株感覚などとしても、
考えられない事はないかもしれない。

そして、
100万円や数百万円単位、それ以上の、
金額規模の高額を出しても手に入れたい、と言うのも、
人それぞれだとは思います。


ただ、
僕、個人的には想うのです。

『自分の気に入った物を、手に入れた方が良い』と。

そして、それを手に入れるのは、
『早ければ早いほど、良い』と自分で痛感するのです。


現時点での市場金銭価値の高い物を買うかどうかは、
人それぞれの自由ですが、
市場価値とかネットに溢れる見解や値段で左右されてしまうと、
もしかすると、本来の目的とズレてしまうかもしれません。

一般的に光が当たった時には、
金額もそれに比例して値上がりしている場合が多いです。

光が当たった途端に、
手に入れるのは難しくなります。

市場で急速に姿も消します。

それは古い物に限らず、
あらゆる市場の法則だと思います。

また、
目にできる種類も、
光が当たる以前は、
豊富であったのは間違いないだろうが、
値段に関しては、それが顕著なのです。

チベット仏教の仏像に至っては、
ネパールの博物館に所蔵されている古いチベット仏像の台座に、
当時の値段であろう金額が書かれた形跡が残る物すら展示されていた。

もし今、
それが欧米または中国のオークションに出品されたら、
その値段は凄まじい事になると思う。

その台座に乱暴に記載された、
当時の金額で今買うのは不可能に近い事だとも思う。

新しい仏像を作る事ですら、
仏師の知人に聞いたら、
物価等の高騰で、今や意外なほど高くなってしまったらしいからね。

そもそも、古く良い物は、
簡単には見つからないのです。

---

何より、
「自分が気に入った物」を「素早く手に入れる」事。

そしてそれは、
何処かの誰かの情報を追いかけるのではなく、
自分の肌と
自分の眼で
それを感じるのが重要かな、と
僕は自分に言い聞かせております。

そして、
それを可能な限り、
正直に発信したいとも思っておりますて。

だけど、
そう、
この僕の言葉も、
世にある無数の言葉や情報の一部に過ぎないのです。

僕自身ですら、
「そりゃ、嘘やろ」とか
「あんた、本当に、実際に現地に行っとるんかいな?」とか
「思い込みに誘導する売り言葉だろうね」とか
僕も思ったりする情報を耳にする場合もあります。

何を信じるかは、人それぞれの自由です。

それを分かって、あえて書いているのです。

----

今回のタイトルの結論を言うと、
この先は、
どうなるかは分かりません。

色々な国を実際に旅した個人的な稚拙な体験からは、
古い物に関して、
値段に関しては、
少なくとも、
昔よりは高額になっているのは事実でしょう。
そして、
数自体も、目にできる種類も、
どんどん少なくなって行くでしょう。

値段に関しては、
上述の様に、
上下する物もあるでしょうが、
大半の物は、
値段が上がり続けるでしょう。


ただ、
もし自分の眼が定まっていれば、
金銭的な損得ではない、
「何か」が分かるかもしれない、
と僕は自分に言い聞かせています。


美しい物が、
完全に姿を消す前に、
僕は、
それを成せるのだろうかしら。


それを想っておりやす。



コメント

チベット仏教の仏像の事。

2024年01月03日 | チベットもの


明けましておめでとうございます。

久々の投稿です。

渡航しておりました。

色々あったよーな、
なかったよーな渡航中の事より、
イキナリですが、
まずは仏像に関して書こうかしら。

チベット仏教の仏像の事です。

---

チベット仏教の仏像と言えば、
19世紀とか18世紀とかそれ以前の古いオリジナルの良い物であれば、
市場価値は、数百万円から数千万円以上の価値が、
当たり前に付いている物である。

仏画タンカと並び、
紛れもない、
チベット仏教美術の二大巨頭である。

10年前くらいだっけな?、中国人市場でも値段が爆騰した記憶がある。

クリスティーズとかのハイエンドのオークション・ハウスでも、
かなり以前から、その美術的価値により超高額で取引されてきた。

美術館や博物館の展示会でも人気を博すジャンルであろう。

僕はどうであろう。

チベット仏教の仏像に関して、
かなり以前から触れてはいた。

辺境の古いチベット寺院へ行くのから始まり、
10年前に中国市場で偽物が氾濫した時期には、
機会があって、
北京の偽物工房に見学に行った事もある。

一応言っておくと、
これは、あくまで知識のために見学に行ったのであって、
偽物を買って売る為では、決して、ない。

そこでは古いオリジナルが一体あり、
それを型取りして、古加工されていた。

そもそもがオリジナルの型である。
それに加えて、
中国人の職人の偽物加工の技術たるや、
そのクオリティの高さに驚いた記憶がある。

簡単に言うと、
ぱっと見、偽物って判断するのは難しい。
特に、写真のみでの判別は難しいと思った。

偽物氾濫の騙し合い金銭主義の世界に塗れ、
仏像というジャンル自体も、
多くの人に既に認められた既存価値観を感じてしまっていて、
僕にとっては、
メインでやる事ではないと思っていた。

そんな事もあり、
しばらく、仏像からは離れていた。

とは言え、
日本でチベットの仏像展とかあると足は運んでいたし、
ネパールの金工細工の街パタンにも何度も赴いていたし、
事あるごとに、
現地で仏像は見ていた。

以前、ラサに居た時には、
数百年前のオリジナルも見てはいた。

チベット仏教の古い物の売買業に置いて、
基本は、
数百年前レベルの古さのオリジナルの仏像の売買は、
タブーである。

表では売買されない。

それはチベット本土でも、
ネパールでもラダックでも同じである。

店頭に展示しては居ない。

扉を閉め、
こっそりと見せてくれる物である。

または別の場所に保管してある。

または個人の所蔵となる。

もちろん、
現地、古い寺院に行ったり、
博物館や美術館に行くと、
オリジナルの素晴らしい仏像をダイレクトで見られるが、
それらは売買の対象ではない。

信仰の対象や、
美術的・歴史的価値としての仏像の話は、
ネットや本、各種美術館に溢れているので、
そちらをご参照いただきたいのです。


事前に言っておくと、
美術館等以外で、
「売買の対象」となる、
本当に古い仏像とも何体か出会いましたが、
諸事情で写真は見せられません。
なので、
ここでは、
古い仏像の写真のご希望には添えませんです。


---

さて、今回のお話である。

今回、ちょっと本気で探してみた。

実は、少し前から個人的に仏像を欲しくなっていたのである。

場所は、ネパール。

チベット仏教の仏像でネパールとはなんぞや?と思うかも知れない。

古くから、
チベット仏教の仏像製作はネパールが有名であった。

正確に言うと、ネパール人の手による仏像製作である。

ネパールの職人の仏像製作の技術は古くから優れ、
チベットに出稼ぎに行ったり、
古くは現在の北京に職人として招かれたりしていた。

東京国立博物館が所蔵する多くの古いチベット仏像も、
ネパール製作であろうとは思う。

もっと正確に言うと、
シャキャ族という一族が仏像製作を担う一族である。

名前の通り、
シャキャ(釈迦の語源であろう)をルーツに持つと言われる一族である。

ネパールのパタンやチベット人地区での仏像販売または製作は、
主にシャキャ族が行っている。
古い物として、
チベタンも売買を行っている場合もあるが基本はシャキャ族。

日本ではネパール人と一括りにしがちだが、
ネワール、タマン、グルン、シャキャなど、
実はかなり多い種類の一族が存在する。
世界的に登山で有名なシェルパ族も、
その一族の一つである。

-----

今や現地でも、
19世紀とかそれ以前の古さのオリジナルは、
余裕でとんでもない金額になっています。

現地でも数は極端に少ないけど、
有るには有るが、
僕は買えません。

そこで、僕は20世紀の手作りの小さな仏像に絞りました。

それには理由があって、
まだ現実的な金額で、
雰囲気もある物を手に入れられるのが可能だからです。

そして、
小さく良い仏像は数も少ない。

あまり言いたくはないけど、
15年前位までは鍍金される「金」にも違いがあります。

一口に鍍金と言えど、方法は幾つかあり、
今、量産される小さな仏像は、
エレクトリック・ゴールドと呼ばれる電気分解の金を多く用います。

一応、金(ゴールド)ではあるが、
ごくごくごく薄い金です。

今や金の値段も高騰してますしね。



これがエレクトリック・ゴールド。
細部にちょっと赤みがある。
ただ、時間が経つと赤みは薄くなります。

写真の撮り方によっては判断は難しい場合もあり、
海外のサイトだと「ゴールド」と記載されている場合もあるけど、
嘘ではないが、制作方法によって全然異なります。

もちろん、
現地での値段は全く違うレベルとなります。

15年前くらいまでは、
水銀と金を混ぜた金が多く用いられ(今でも制作されているが)、
その金の厚みは厚かったのです。



これが水銀制作での金の鍍金。
24Kのゴールド。
水銀と金を混ぜ、直接炙って、水銀を飛ばすらしい。

チャクラ・サンヴァラのヤブユムですな。

水銀鍍金の手作りの仏像でも、
値段はピンキリ。

こだわらなければ、
ぶっちゃけ、小さな仏像なら安く買える。

ただ、
今やドンドン値段が上昇中。

良い物を激安で、ってのは極めて難しいと思う。



金の層の厚みによっても違いが有ります。
上記の写真は鍍金が厚い。

15年以上前の物で、
全身が鍍金の小さな仏像で、
厚みが厚い場合、
金の分量は、0.8から0.93グラムを使用していたと言う。

美術館の学芸員に聞いても分からなかったが、
知人に聞いて、計算してもらった(金板を何分割して..等の計算方法があるらしい)
計算機を用いて割り出してもらった。
正確かは分からないが、可能性としては有り得る。

昔は鍍金の金はもっと厚かったらしい。

日本でも、水銀を使って鍍金する方法は、
昔の仏像は同じように制作されていたと何処かで聞いた記憶がある。

ただ、
もちろん、水銀は体に極端に悪い。

ネパールでも健康被害の事を懸念し、
数年前に職人組合?的な集まりで話し合われたらしい。

なので、
今や、小さな仏像は、
上記のようなエレクトリック・ゴールドの、
型流しのマシン・メイドの量産仏像が溢れています。

代々で仏師であるシャキャ族の知人に聞いたら、
「そっちの方が効率的だから、皆んな、そっちを選ぶんだよ」と言います。

「しかも、水銀を使うのは健康に悪いだろ」とも。

そして、彼は続けます。

「5,6年前位かな、多くの職人が仕事を辞めちゃったんだよ」と。

そこにコロナ直撃である。

工房も店も多くは閉めたらしい。

裏話を言うと、
仏像売買で多くの人、多くの家族は、
今やカナダとかオーストラリアとか海外に移住してしまっている。

店はあるが開いていない店が多いとかを、
よく見かけるだろうが、
実は、彼らはもう商売をする必要がない場合が多いのである。

そして、仏像という特性上、
比較的大きなサイズは、
デザイン、素材、クオリティ問わず、
幾らでも見つける事や選ぶ事はできます。

上記の知人も、
僕の希望を言ったら、
「大きなサイズは簡単だよ。でも小さいのは難しいよね、
需要が少ないから元々少ないよ」と言う。

僕は、
大きな仏像か、量産型の小さな仏像に挟まれ、
数が少ないヴィンティージの小さな仏像を探したのである。

まぁ、これが大変であった。

多くの店を周るのは当たり前で、
シャキャ族の知人達に頼んだり、
あの手この手で、1ヶ月かかった。

アンティークというジャンルにこだわると、
金額は天井しらずになるので、
珍しいデザインのヴィンテージを探しまくった。

チベット仏教の仏像の数、デザインたるや、
膨大な種類になり、
例えが正しいか分からないが、
「レアなフィギュア集め」に似た感覚になったよね。

鍍金云々やデザイン、技術に加え、
素材も、
真鍮、銅、ブロンズなど様々。

これはこれで癖になる。

素材の希少性は、
下から、
真鍮、銅、ブロンズ、となる。

これは制作上の手間や技術によるものらしい。
ブロンズが一番難しいとの事。

因みに、カトマンズは、その歴史的伝説上、
マンジュシュリー(文殊菩薩)が多い。

僕はレアなデザインを探した。

中国人バイヤーとか、
普通の観光客ではないだろう欧米人バイヤーに混じって、
探しまくったよね。

余談だが、
寺院に寄贈される仏像も多くありますが、
例外を除き、
チベット人達は比較的安価な仏像を寄贈する。

僧侶達も信仰対象の大型の仏像を仏像屋で買っているが、
彼らは、かなり良い出来の物を選ぶ事が多く、
一般人が寄贈する仏像とは出来が異なる場合が多いのです。



ヴァジュラ・ヨギーニ(ヨーギニ)の坐像。
通常は立像である。

フィギュア感が満載である。
コレクター心をくすぐる。
古い仏像を求める需要とは真逆をいくかもしれない。

最初、仏師の知人が私物で棚に仕舞っている意味が分からなかった。
でも良く考えると、その理由が分かった。

「これはもうマニアックすぎるな」と思いつつ、譲り受ける。

因みに、60cmを越える大きな仏像は、
幾らでも技量の高い物は見つかる。

小さな仏像は、概して彫りがダイナミックだが、
それはそれで現地のままの味だと思っている。





よく見ると、古い。
ヴィンテージである。



ミラレパですな。
カギュ派の宗祖。
数々の面白い伝説を残している。
小さく古い仏像は珍しい。





古いっすね。
オリジナルっすね。
20世紀の物だろうが、古い範囲に入るだろう。



ヴァジュラ・サットヴァの小さな仏像。

知人のチベット人が持っていた。
僕が知る限り、老齢な彼の眼は肥えている。
彼の物には、何かしらの理由があるのは知っていた。

デザインは特段珍しいとは思わないが、
よく見ると雰囲気が違う。



顔は金箔・絵付けですな。





古いのよね。
遠目や写真では分からないレベル。
この少しの違いが個人的には重要なのよね。







古いロケシュワール。
頭部にティカ(紅い粉)が残るので、ネワールの手にあった物だろう。
好き嫌いが分かれるであろうが、真面目な物ですな。





ブロンズのヤマーンタカ。

上記の知人に
「ヤマーンタカのブロンズの古い小像?良く見つけたね」と言われた。

オリジナルは、まず見ないと思う。
ブロンズの配合も違うのであろう。
色味が通常と異なる。



ヴァス・ダーラ。
ヴァスン・ダーラとも呼ばれるが、
ヴァス・ダーラが正確らしい。

3面6本腕でチャクラ・サンヴァラっぽいが、異なります。

新しい物であれば数は少ないが有るには有るが、
ヴィンテージは珍しい。

知人のコレクションで、彼は非売品にしていた。
一応聞いてみると、最初、値段は高く言われたのだが、
帰国直前に「俺、もう帰るけど、どうする?」と最終交渉してみたら、譲ってくれた。





チェングレシィの台座座像。
台座の彫りのダブル・ドルジェが痺れる。
全身鍍金。

知人に頼んで、閉店した店の主人のコレクションから、
親族を通して持って来てもらった。

もし、一つのみ選ぶなら別の物を選ぶだろうが、
手に入れるべきリストには必ず入る一体だと思ったので、
譲り受ける。


---

今回、大袈裟に言わないでも、
仏像だけで、100個は見た。

ギリギリ買える金額の物でも、
商売を考えると無理な場合も多い。

そもそも数十万円以上もする仏像を
今の日本人は買うのだろうか。

現地で会った北京在住の中国人バイヤーは、
中国人は今はもう高額な物はあまり買わないよ、と言う。
北京は経済的に難しく、南部の方が良いね、とは言っていた。
因みに彼は僕の共通の友人で、かつてはラサに店を構えていたらしい。
彼も、小さく雰囲気のある手頃な仏像のみを求めていた。

また、現地の工房へ注文制作も考えたが、
日本人的希望要素が入る気がして、今回はやめた。

仏像は奥が深い。

本当に千差万別、
値段もピンキリである。

今後も続けていくだろうな。

中途半端な素人だか何だか分からない中国人バイヤー達には、
マジで勘弁(オンラインで写真と動画を撮りまくり、場を荒らしまくる)だが、
仏像の魅力は人を惹きつけるのでした。


-----

最後のオマケに、カトマンズの博物館の石仏。
その仏像の収蔵の数たるや圧倒的な迫力でした。

古いチベット仏も圧倒的な量が有ります。
流石でした。



許可を得て撮影してます。

僕は、ロンドンのオークション・ハウスで働いている、
イギリス人の友人と行ったのだが、
僕ら以外、一般来客はガラガラで、
プロモーションが下手かと思ったよ。


以上、
チベットの仏像に関してでした。


コメント

チベットの古いバター茶碗

2023年11月01日 | チベットもの



チベットのバター茶碗でござる。

以前、チベット民藝の回でも登場した銀装飾のバター茶碗です。







写真の物はラダック来歴。

ただ、ラダックには木材が乏しいので、
僕が知る限り、
良い品質の木製茶碗は作るのは難しい。

レー近郊のチベット寺院で使われていたお椀だと言う事であったが、
元々はチベット本土から渡って来た物か、
何処かの来歴だと個人的には思っている。






木の部分。

木目や色から、
ザップ系(正確にはザップの同系種族)の木を使っていると思っているが、
改めてよく見ると、
部分的にザップの特徴が見られる。
もしかしたら、ザップの可能性がある。
それであれば、より価値が高い。

バター茶碗の良い物は、
希少なザップという木の種類(木の瘤(コブ)の部分)を用いる事があり、
ザップでないお椀もある。

その木材は何処の木を使って居るかと言うと、
チベット本土やネパールで、
詳しい人に聞いたところによると、
チベット本土では、
東南地方のニンティ近辺からの木が用いられる事が多いらしい。

どうやら木材が豊富という理由らしいが、
僕はこの目で伐採現場を見たことがないので真偽は分からない。

ただ、ニンティといえば、
南に下るとアルナーチャル・プラーデシュ州がある。
アルナーチャルはジャングルだったので、近隣にも木はあるとは思うが。

余談だが、
昔、菩提樹の木の産地である、ネパールの地方の村の森には行った事があるが、
ド田舎であった。
連なる山ごと菩提樹の木が生い茂っていて、
村々の民家では菩提樹の実を摂って、手作業で殻を剥き、ブラシで綺麗にしていた。
貴重な現金収入でもあるのだろう。

もう説明不要だろうが、
菩提樹の実は、チベット仏教で欠かす事の出来ない数珠の珠になる。








吉祥紋様が、
良い技で雰囲気良く打ち出されている。

日本人や外国人に同じ同じ紋様を造らせても、
同じ様にはいかないだろう。

食事でも工芸品でも日本人の技術は凄いが、
現地とは何処か違ってくる。

この雰囲気こそが大事なのだと個人的には思う。

何十個もすげー見て、この一品を選んだのだが、
比べる物があった方が良さが伝わり易いのかもしれない。




美しい。

木部分にはパティナ(古色艶)もバシバシである。

このパティナは、
チベタン・ターコイズにオイルを塗り、
見栄えを良くテカらせて売るのとは異なり、
時間を経た自然のパティナなのです。

チベットの古いお碗は、
ビーズなどの小物に比べ、
日本ではイマイチ注目されないが、
チベット人達の間では価値が評価されている。

ラサやカトマンズの高級店とかだと、
とんでもない高値が付いている場合もある。

因みに、チベット語でお碗は、
「ポバァ」と呼ばれている。
(音聞き、地方によって呼び名は異なります)

なお、
チベットの銀工芸で最もレベルが高いのは、
東チベットのデルゲだと聞く。

一時期、
もう日本人が行く事は難しいと噂を耳にしたが、
僕は何度かデルゲに行って、色々見たが、
個人的には技術が高いとは特段思わなかった。

ただ、ネパールに渡ってきたデルゲ来歴のガウ(帯同小型祭壇)とかを見ると、
確かに、透かし彫りとかの技術が高い物がある。

ブータンも技術的に上手い物が多い印象だ。

金物工細は、ネパールだと、
パタンとか盛ん。

ネパール様式に限らず、
チベット仏教の物も
作っているのはネパール人だが、
彼らは手先が本当に器用だ。

新しいチベット仏教様式の工芸品を見ると、
中には本当に良く出来ている物も多い。

前回のラダック渡航で、
良いキュン(ガルーダの類)の形をした、
ターコイズが埋め込まれた新しいペンダントを目にしたが、
ラダックの物とは異質だったので、
店主に聞いたら、「ネパールで作らせた」との事であった。


余談ついでに裏話を言うと、
秘境とされる旧ムスタン王国での物だが、
実は、
新しい物は、ポカラで業者が仕入れて、
ムスタンで観光客に売っている事もある。

「せっかく、ムスタンまで来たのだから記念に購入しよう」と思う
観光客に商売するトリックなのである。

もちろん、ムスタン来歴、
またはその先のチベット本土来歴の物もあるのは事実だが。

プーン・ヒルの途中に点在する村々の物も
ポカラからの物も多い。

以前、日本人のお金持ちトレッカーが
「ヤクの毛のショール」なる物を購入していたが、
どう見ても化繊の化学染料バシバシの量産品であった。

物の見極めは大切かもしれないが、
旅の思い出としては良いだろう。


さて、
色々見て、個人的に思うが、
チベット人よりネパール人や中国人の方が、
工芸品に関しては、概ね、技術が高い。
と言うか、
「丁寧」である。

チベット人の技術は、
ダイナミックな良さがあるので、
それを良しとするか否かは人それぞれだと思う。


歴史的に見ても、
ネパール人の多くがチベットに工芸関係の職業で行っていた事を考えると、
やはり、
ネパール人は工芸技術が優れているのであろう。
まぁ、ネパールの寺の古い木彫刻とか見ると、
その優秀さは分かるけど。

ただ、これが謎なのだが、
チベット仏教の絵画、となると、
チベット人はとんでもない才能を発揮する。

寺院内の僧侶で幼少の時から専門職につく坊主が居ると聞いた事があるが、
凄い絵を描く坊主が居るのであろう。

タンカ(仏画)とかも、
現代のネパール人タンカ絵師も凄い上手い人が居るが、
古いチベタン・タンカを見ると、圧倒的な違いを感じてしまう。
その違いは何なのであろうか。

因みに、古いチベタン家具の絵の修復は、
ネパール人も多く携わっていて、
以前、今は無き修復工房に見学しに行ったが、
中には物凄い技量のネパール人絵師も居ました。

それらの職人は無名で、
光も当たらない。

複雑な想いを抱いたのを覚えている。


---

話は逸れたけど、
バター茶碗。

チベット人またはチベット仏教圏の人々にとって、
数珠と共に一番身近な日常品だと思う。

突然、値段が高額に跳ね上がるとは思わないが、
美しいチベットの民藝だと思うのです。

技量の良い物を生み出す、または生み出した名も無き職人の作品である。

無名こそが美しいとも思う一方、
個人的には、作者名を彫っても良いのでは、と思うのは、
現代的な思考だろうか。
でも、そうすれば職人の職業価値や生活向上にも繋がるとは思うのです。


これからも良い物と出会ったら、
人知れず仕入れていこうと思う。

売れなくて、
不良在庫になるのが怖いけど、良いのだ。



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美しいチベット民藝

2023年09月26日 | チベットもの



僕は人知れず、
チベット民藝と云うジャンルをやっている。

まぁ、自称ですけど。

安易に民藝という言葉は使いたくはないが、
当てはまる適切な言葉がまだ世間的には無いので、
伝わり易くする為に使っている。

また、
僕の感覚での美しさは、
民藝の意味と「少し異なってくる」かも知れないが、
それを説明したら長くなるので、
ここではあえて民藝とさせて頂きますさかい。

---

一般的に海外では民藝と云う感覚は、
日本で言う所のソレとは少し違ってくるだろう。

古い物は一括りされ、
多くの場合、アンティークとなる。

folk artと言う言葉と価値観はあるが、
民藝と共に、その言葉はチベット仏教圏では通じない。

基本的には全て「アンティーク」となる。

民藝の価値観を、
古い物や工芸品に興味がない一般の外国人に、
英語で説明しようとしても困難を極める。

だが、
民藝という価値観での対象となる物は、
日本の物だけではなく、
海外の物にも当てはめられるだろう。

そして、
チベット仏教圏の物を
民藝とする動きはほぼ見ないのは、
僕の知識不足なだけだろうかしら。

もしチベット仏教圏の物が無いのであれば、
それは、
日本へ入って来る物が少ない、
または
日本への情報が乏しいからかも知れない。

僕はチベット仏教圏へ行く度に、
「あ、これ、美しいな」という物に出逢う。

これが難しいのだが、
その美しい物は、
一部を除き、
一般的に見つけるのは簡単でなかったりする。

なぜなら、
完品を求める傾向にあるチベット仏教圏の人々。

朽ちた物や経年劣化した物などより、
見た目が良い完品の方が金銭的価値になるからだろう。

または、
多くの物の中に、
雰囲気が良い物が紛れていたりするのである。




ラダックの知り合いの店の奥にあった民族衣装チュバ(チュパ)の襤褸。
ダメージが多過ぎて仕舞われていた。
誰も見ないのであろう。

その圧倒的な雰囲気と、
よく見ると、
美しい龍の刺繍や五色の波模様が残っていた。







中国のロンパオ(龍袍)と似ているが、異なる。



裏面には押印もありますだ。
こういう押印は、大衆の手に有った物の証でもあろう。
紅い裏地も良き。



もはや、ボロボロでござる。
でも美しい。
よく見るとドラゴンがドラゴン・ボールを持っている図柄。

この類を「チベット襤褸」と僕は勝手に呼んでいる。

言ったモン勝ち、ではないが、
誰もやってないので勝手に呼んでいる。

僕はこのチュバの美しさに惹かれ、即購入した。
割と高かったけどね。

そして、
宿に持ち帰り、ベランダで干していたのだが、
宿の主人であるラダック人のおばあちゃんに、
「ボロボロじゃない。あんた、それにお金出したの?」と驚かれた。

そう言われるのは、いつもの事なので慣れてしまった。

僕は、
「美しいんだよ、コレは」と微笑んで返すと、
「ほー、そーなのねー」と、
あなた、変わってる趣味なのね、といった顔をした。

美しいと思う趣向も人それぞれである。

因みに、
中国のロンパオ(龍袍)が高額なのは知られたトコだろうが、
古い刺繍のチュバでもダメージがなかったり(ダメージがあっても)すると、
一部の市場価値は100万円は軽く越えてきます。
現地の一部の店では、その価値を見出し、高額で売ってはいる。
ただ、日本ではあまり知られてないかも知れないけど。

もう半分冷やかしで、
「僕の個性を表す為に骨董市で売ったろ、売れなくても構わないもんねー」と思って、
骨董市で出してみたら、速攻で売れてしまった。

安くはない金額だったのだが、ほぼ何も言わず、
すぐ購入された方がいらした。

僕は「これはチベット仏教圏の物です」と一言と、
値段を言っただけだった。

骨董市は謎である。






僕はチベット仏教のバター茶碗を、美しい民藝だと思っている。

チベット仏教圏にあって、
おそらく、数珠と共に一番身近な物であろう。

上の写真の物は同じに見えるが異なる。
一対でもなく、別の場所から仕入れたお椀。

良い雰囲気である。

形も無駄がない。
用途に徹しているのも惹かれる。



美しく彫りが施されている、銀碗。

僕は一個人がデザインした柄やデザインには興味が持てないが、
チベット仏教の伝統に則した柄というのは説得力があるのです。

このタイプはチベット本土や東チベット、ネパールでほぼ目にしない。
何故かラダックで多く目にする。

美しいお碗である。








木製に銀装飾されたお碗。
このタイプは僧侶が使うので僧侶来歴であろう。

ラダックの売り手も「以前、僧侶が何個か持ち込んだんだ」と言っていたが本当だろう。
普通は一般人は使わないタイプだ。
少なくとも僕は、一般人がこのタイプを使っているのを見た事がない。

木の種類はザップ系の木だろう。
ザップではないだろうが、
木の瘤の部分を用いてるのでしょうな。

この手の古い銀装飾のお椀は、
もう実用されているのをあまり目にしない。

祭事時や高僧が使うのだろうか。
今度、友人に聞いてみようかな。

先日のラダック・ザンスカールの渡航でも寺院でお茶を頂いたが、
多くの僧侶は素朴な木椀でツァンパを食べていた。
今や現代的な産業用のコップも使っていた。

ネパールのチベット寺院でも、
古い木椀より安価な木椀を使うのが一般的です。
チベット人地区の仏具屋で、よく僧侶が買い求めているのを目にできます。


・・・で、何個もお椀は見たが、
この一品のみ選んだ。

八種類の吉祥紋様が美しく、技も良い。

もし、民が日常使う大衆の工芸品を民藝とするならば、
これは美しい民藝だろう。

最も、
一概に、チベットのバター茶碗といえど、
古さや柄や技が多種多様なのです。

一見同じに見えても、
彫刻の技量などがショボイのも多い。

このお椀で、
古さは、
50〜80年前の物だろう。

もしかすると、もう少し古いかも知れないが、
数百年単位の物ではない。

日本(または海外)では、
19世紀だとか18世紀とか色々言うが、
僕が知る限り、
その年代のチベットのバター茶碗は、ほぼ無い。

多くの物は、
実際には100年以下であろう。

僕は以前、
軽く100年以上経過したであろうバター茶碗を扱った事があるが、
木が朽ちていた。

美しい見た目で仕入れたのだが、
経年劣化で木が、ひび割れ乾燥し、
実用には適さなかった。

実用でき、見た目も良い状態を保っている場合、
ごくごくごく一部を除き、
バター茶碗で18世紀物とかは普通は、あり得ないと僕は思っている。

現地の風土では、
いくらバター茶の油分が染み込んでいると言えど、
長い年月を経ると、
木という特性上、木部分が経年劣化や変化してしまうと思う。

使われていなかったのならば尚更であるし、
現地の保存状態も良いとは言えないだろう。

ネパールの業者、特に某地区のチベット系の業者、は
なんでもかんでも、年代を古く言うのが定石だが、
僕は同意できない事は多い。

ただし、家具など木の物でも本当に古い物は実在する。
表面の絵などに劣化も見られるし、
真っ黒に汚れているのもあるが、実際に有るのは事実だ。
ここではバター茶碗に関しての話です。

ラダックの老舗店でも、めっちゃ古そうな大きな木碗もあったが、
オーナーは「最大でも90年前位だろうね」とは言ってはいた。

バター茶碗はターコイズなどと違い、
基本的には、伝世はしない。

普通は使用者が使い終わった(亡くなったり)したら、それで終わりなのである。
ごく一部を除き、
市場に流れるか、人知れず何処かで静かに眠っているか、なのです。

また、チベットの数珠であっても、
珊瑚など資産的な価値がある一部の場合を除き、
基本的には、伝世はしない。

カパーラなどは伝えられる場合もあるけど、
僕が知る限り、
本当に古いカパーラは数は少ない。

まぁ、誰を信じるかは人それぞれですが。




昔の鍵ですな。

チベット語の名前を忘れてしまった。
何処かに書き留めていたのだが。
Demingだったけな。

今は使われなくなった、失われていく文化なのは間違いない。

これもチベット民藝だと、僕は言い張っている。

何年も前はラダックにも、
雰囲気の良い古い鍵がたくさん残っていたが、
今は良い物はほぼ無くなってしまっていた。

残るのは、まあまあの古さと質の物であった。

古き良い物は無くなっていくのですなー

因みに、一部の感覚の良いチベット人デザイナーの手によって、
古い鍵をモチーフにした栓抜きとかが新たに作られている。

写真の鍵は私物。

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チベット民藝。

僕は人知れず、
この美しさをやっているのでした。


ボロボロの物や、
よく見ないと、その美しさが分からない物を、
骨董市とかで出していると、
中国人の転売業者はスルーするが、
彼らは流行(売れ筋の)の物を金銭目的での売買しかしないのは知っているので、
僕もスルーする。
もし値段を聞かれても言わない事すらある。


分かってくれる人だけ
分かってくれれば良いのさ。


美しいチベット民藝でした。


コメント

蒼いチベタン・ターコイズ「ユゥ」の色

2023年09月15日 | チベットもの


記録的要素のあったザンスカール編も終わり、
チベタン・ターコイズの色の話です。

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古いターコイズ、
日本で一般的にはアンティーク・チベタン・ターコイズ呼ばれる石です。

以前からしつこい様だが、
現地(チベット、ラダック、ザンスカール、ネパールのチベット圏、共に)では、
「ユゥ」(ゥは特有の発音)と呼ばれております。

そのユゥ、チベットのターコイズと言えば、
一般的には深い濃緑が知られるところだと思う。

確かに全体的に緑色系、グリーン系が多い。

しかし、実際には多くの色の種類がございまする。
(写真では表現できない場合も多いです)

そのチベタン・ターコイズの色

知る人は少ないが、
ラダックでは、
スカイブルー、青空の青、だけには
個別の名前が付いている。

その名前は….忘れてしまった。

大切な事を僕はすぐ忘れてしまう。

ともあれ、仏像の土台などに用いられるのは、
スカイブルーのターコイズが多い。
ライトグリーンも多いかな。

ラダックやザンスカールもチベット本土と同じく、
スカイブルーのターコイズが珍重される。

僕の一般人である友人も、
母親に代々伝わるペラク(頭飾り)から取った、
スカイブルーの良い石を首にしている。



スカイブルーのチベタン・ターコイズ。
写真だと染色に見えるが、ナチュラル。

スカイブルーのチベタン・ターコイズは、
元々はイラン来歴という説が業者・コレクター間では定説だが、
どーやら、現地の石業者に聞くと、違う見解を持つ人もいる。

今回、石の卸を行う業者の店で比べてみたが、
現代のイラン産とは確かに色味が違う。
鉱山や時代によって様々なのかしら。

古いターコイズを扱う店でも新しいイラン産はあるが、
正確には、チベット圏での実用を経由していないので、
それらはチベタン・ターコイズとは呼べないかもしれない。

だが現地では、
ターコイズにわざわざチベタン(チベット人の)とは付けないので、
ターコイズではあるだろう。



ガウ(帯同祭壇・経典や豆仏を入れ首からさげる)にも
青色を中心として飾り立てられ、用いられている。

因みにこのガウはチベット・スタイル。
ラダックの物とはデザインが異なる。
古い時代にチベット本土から渡ってきたガウであろう。

美しいガウである。

今や、チベット本土では、
アンティークは恐ろしい程に値段は高騰している。
ラサに至っては、
「市場価値(中国人市場に置いて)が認められている物」に関しては、
世界有数のチベット・アンティークの価格相場が高い街でもあろう。

面白い事に、
古い時代に各地へ渡ったチベット物の方が、
チベット本土より安い場合もあるのです。

これは、中国人バイヤーのアクセス的な都合または、
情報伝達の観点からの違いでもあるだろう。

最も、本土には他の地で見かけない物や、
絶対的な物量があるのは事実だが。

これらの事は、
ネパールまたは中国だけでチベットの物を仕入れている人間には
分からない事かもしれない。




話が脱線してしまったが、
濃い緑色のターコイズ。

深い色が魅力の、
極上のブツである。

かなり古いターコイズである。

この類は個人的にも大好物で、
濃緑の古いチベタン・ターコイズを見ると、
なぜかヨダレが口に溢れてくる。
病気だろうか。

圧倒的な迫力と
数百年単位の古い年代を持つターコイズは、
概ね、この濃緑、ダーク・グリーンである。

時代を経てトロトロ、艶々、
奥行きのある色の魅力は言い尽くせない。




ダークグリーンの圧倒的な存在感の、
極大チベタン・ターコイズ。
迫力の点でも他の追随を許さない色だろう。


最も、
色の好みは人それぞれだろう。

では、現地民はどの色を好むのだろうか。

様々な謂れはあるが、
僕が知る限り、
色は個人の趣向であると思える。

ブルー・グリーン、青緑の色を好む人も居れば、
スカイブルーも愛用するし、
濃い緑色をしている人もいる。

ある一般人の現地の年配の女性は、
濃い緑色を「死」と表現していた。

解釈はどうかは分からないが、
スカイブルーは「生」、
ダークグリーンは「死」
を表している様で、
死生観の観点からは興味深いのです。



僕の私物。
スカイブルーとダークグリーン。
対照的な色に、
生と死を、勝手に個人的に感じている。

実物の右側のターコイズはドス黒い色。
両方ともサイズは大きい。

左側は友人の老舗店の店主の私物コレクションを譲ってもらった。

「は?何処が良いの?」と思われるかもしれないが、
青空に雲がかかっているようで美しいのです。

写真では色や質が嘘くさく映ってしまい、
良さも伝わらないのが残念である。

チベタン・ターコイズの数を多く見てくると、
こういった景色のターコイズも欲しくなるのです。

尚、チベット人やラダック人など、
チベット仏教圏の業者ではない「一般の人々」は、
古さなどは気にせず、
色で見る場合が多い。

これはネパールで、
30年以上アンティーク・ビーズの商売をやってる業者も同じ事を言っていたが、
チベット圏の一般の人々はターコイズを、「色で見る」

確かに僕も、
首に巻いたターコイズの古さを強調する一般人には、
ほぼ会った事がない。
むしろ、新しい綺麗さを誇らしげにしている印象でもある。

また、言い加えるならば、大きさ(サイズ)もある。
珊瑚でも琥珀でも何でも大きな物を好むチベット圏の現地民。
古くから金銭に変わる財産として受け継いで来た要素もあるが、
今は単純に好みとして変化している気もする。

なので、
サイズ面から言うと、
逆説的に、小さく古く良いチベタン・ターコイズは少ないのである。






ブルーグリーン系の石。

実物は、
非常に美しい青緑をしている。

このブルー・グリーンが僕は大好き。

尚、この色より少し青みが強く、
少し明るめの色味のターコイズで、
スパイダーと呼ばれる黒い柄がないタイプの丸型の「オリジナル」は、
以前、中国では驚くほどの高値で取引されていた。
ただ、コロナ後の今は知らない。
値段が高騰すると、丸型を中国人が新しく研磨して作ってはいたが。




僕が勝手にオリーブと呼んでいる色。
形と色からオリーブの実みたいだから。
実はこの古いオリーブのチベタン・ターコイズ。
数がありそうで、実は少ないのです。








写真だと一律に同じ色に見えるが、
実物は多種多様の色味。

僕が数多くの中から選んでしまっているので、
比較ができないのもあるが、
何色とも表現できない色はターコイズならではだろう。
色も個性のひとつ。

右下はラダックの一般人のオバちゃんから譲ってもらった。
変わった形をしている。
この時は観光客が行く以外の地域で声をかけまくった。
もはやナンパである。
持ってないだろうと思いつつ、何気に声をかけてみたら持っていた。
もう一個首にしていたが思い入れがあるらしく、譲ってくれませんでした。




先日のトレッキングの回でも登場した、
寺院内の小型ストゥーパ(仏塔)。

仏塔にはスカイブルーやライトグリーンの良い石が使われている。
ターコイズは固定されているので摩耗感とかは出ないだろうが、
寺院建立と共に設置されたらしく古いのです。




巨大仏。
サキャ派のMathoゴンパだっけな。
キンキラの仏像よりも、
手に持つターコイズの数珠に僕は目がいった。

仏像のサイズがとにかく巨大なので数珠が小さく見えるが、
実物のターコイズの珠は、一個一個が極デカ。

他にも、
ラダックの数々のゴンパ(寺院)に祀られた、
素晴らしい古いストゥーパや仏像などにも多くターコイズを見る事ができます。

たぶん、
僕が文章や言葉で、
チベタン・ターコイズのチベット仏教に置ける、
特別な立ち位置を説明するより、
現場を見れさえすれば一発で分かるかもしれない。

ターコイズがチベット仏教の長い伝統に基づく、
正当かつ特別な石だと、納得できるはずである。

単なる石ではないのです。

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様々な色の種類がある、チベタン・ターコイズ。


日本では緑色を、青い(蒼い)と表現する時もある。
新緑が青々と茂っている、と言う言葉や、
信号機の青も日本では緑色である。

信号機の視認性とかの理由はともかくとして、
緑を青(蒼)と表現する日本は粋である。

そう、
まさに、
チベタン・ターコイズも「蒼い石」なのだと思う。

チベタン・ターコイズが持つ特有の色も、
人を惹きつける要素だと思うのでした。



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