旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

美しいチベットのアンティーク記録

2024年02月26日 | チベットもの


僕は、
ネットやインスタグラムにも何処にも掲載しないで、
譲ってしまう事が多いです。

中には写真すら撮影しないで、
そのまま、お譲りしてしまう物もあります。

特にインスタグラムには投稿するけど、
他では全く掲載しない物が多いです。

そこで思うのです。
過去商品とかは記録を残しておいた方が良いかもしれない、と。

買い手にとっては、
「売り切れ商品とか掲載するなよ、紛らわしい」と
思われるかもしれないですけど。

でも、僕は
ネットで色々検索する時、
買える買えないは別として、
色々な物を見たい方です。

・・・で、簡易的に掲載しとくのでござる。

掲載してる写真の品物は、
既に売り切れ済みも多い、
参考商品としてお考えくださいな。

サクッといきます。

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カム地方の銀象嵌ベルトです。
漢汁全開です。
昔からひたすら扱っているお気に入りの品。






古いお椀ですな。
ポバァと呼ばれております。
ツァンパとかを食べる食べにも用います。
普通は僧侶が持っています。
かなり古い年代を経て、黒い炎の様な木目が浮き出ています。
最近、お椀もお気に入り。





銀象嵌のベルト部品です。
通常とは異なる意匠、ネバー・エンディングや蝶図柄が美しいです。




ズボンです。
西チベットのンガリの遊牧民の手織りの古いパンツです。
日本では僕しか持っていないかもしれない。



ティクマ柄のホースブランケット「タ・ケップ」です。
ティクマは、10年間ひたすら推しています。
問答無用に美しいです。

最近は、僕の言っていた情報を他の人から聞いて、
僕に教えてくる人も居て複雑な気分です。




チベタン・ターコイズ達です。
一度集めると、中毒性があります。
本当に魅力的な石です。

20年後位には、
「あ〜、あの頃は現実的な値段だったのにな〜」とか言ってそうです。






古いチベット仏像の底の蓋です。
蓋のみ見つかりました。
アンティークのオリジナルです。
鍍金ダブル・ドルジェ柄が大きいのが珍しい。
もし本体が残っていれば、数百万円単位の物だと思う。










チベットの遊牧民のブランケットです。
トルコのキリムと間違われますが、全く異なる物ですな。
天然染料で染められています。
美しい手織物です。









ブッタ・チッタです。
日本だと鳳眼菩提樹の数珠と呼ばれます。
チベット仏教圏だと、その柄は、鳳凰の眼ではなく、仏の眼とされています。
付属品もオリジナルです。
因みに、コルラ(巡礼)の回数を数える為に用います。
本来は、飾りじゃないのよ。








ドゥン・ツァルです。
日本では全く知られていないけど、
チベット仏教上では重要な法具です。

信仰対象の写真や仏像の前に置き、
日の出後に水を淹れ、
日没前に水を取ります。

ドゥンと表す様に、7個セットが正式です。

通常は無柄ですが、
吉祥紋様が全部入った古いスペシャル・ピースです。
仏具屋の主人のお母さんの物だった物です。

ドゥン・ツァルは、
通常は家等の屋内に置いているので、
認知度が低いですが、
正統派のガチ系のチベット仏教徒の法具です。




トクチャです。
もはや説明不要のチベットの護符です。

具象、抽象、小型、大型、単なる部品から矢尻や鎧など多種多様ですが、
個人的に螺旋紋様とか線上の柄を好みます。






アンティーク・アゲートとかです。
数百年の時を経た瑪瑙のビーズとかですな。
ナチュラル・ズィとかとも呼ばれるとこでは呼ばれます。

白黒のモノトーンがカッコよく、
全てアンティーク・アゲートの一連のネックレスを創ろうと画策しましたが、
二個で挫折しました。
いつかは創ってやろうと夢見てます。




ドルジェです。
上はヒマラヤン・クリスタルのヴィンテージです。
下も古いヴィンテージのオリジナルの本物です。
銅製ドルジェは僧侶しか使わないので、来歴は僧侶でしょう。

特に下のドルジェは、
インターネットに溢れる写真だと同じに見えますが、
実物は違います。
数も値段も来歴も全く別物となります。

ネット上の画像だと同じに見えちゃうのよね。
しかも古加工した物とかと同じにされちゃうのよね。
これがネット・マジック。




ペマラカです。
ドルポ来歴でした。
100年以上は経っているけど、数百年単位の物ではないです。
12年位前には、
ガチガチに汚れたオリジナルのアンティーク・ペマラカのメロンとかも
道端の薄汚いチベット人行商とかが持っていたのを見かけましたが、
今やそういった機会は皆無になりました。






他の回のブログでも書きましたが、
チベット仏教の仏像くん達です。

今回はひたすら探し、選び抜き、9体仕入れました。





見る人が見れば驚くであろう、
古いヤマーンタカのブロンズ製の小像です。
後ろ姿のお尻もプリンとして愛らしい。

ヤマーンタカの伝説は凄まじく、
昨今の気遣い過多の日本人の対局に位置する。

ヤマーンタカは、
嫌いな奴をシバき倒し、
気に入らなければ、
死の神さえもボコすという無茶苦茶さ。
この力強さこそ、
現代ジャパンに必要かもしれない。


古い仏像は、上の上の上を求めると、
価格は数千万円から、時には億単位にもなる物ですが、
まだ今は現実的な価格で手に入るヴィンテージの仏像も、
多種多様で奥が深いのです。

個人的にも集め始めました。


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他にも色々ありますが、
今回は以上で。


記録的ブログでした。



コメント

チベット十字絞りティクマのホース・ブランケット「タ・ケップ」

2024年01月20日 | チベットもの



ティクマ(またはティグマ)を追いかけて、
もう10年以上は経つだろう。

今まで、
多くのティクマ柄を扱ってきました。

今回は、
チベット仏教の十字紋様ティクマの
白地のホース・ブランケットです。

「ティクマ紋様」と一括りに言えど、
対象となる物、
古さや色は勿論の事、
現地での価格、
デザインや形、
来歴や、用途や、大きさは、
様々であります。

ティクマが表現される対象は、
結婚式等の祭事用の十字絞り柄衣装タンザッ(ク)や、
チベット本土の祭事用衣装、
ラダックやザンスカールの民族衣装ゴンツェやリンツェ、
僧侶の座布団など多岐に渡ります。

なお、
ティクマは、
「ティグマ」と表記する場合もあります。

僕は、チベタンの発音上、音聞き上、
便宜上、今までも「ティクマ」と表記しています。

今回は、
ティクマ紋様の物の代表格とも言える、
ホース・ブランケット「タ・ケップ」の紹介でござる。

チベット語で、
タは馬、
ケップは布を表すので、
「馬布」となるでしょう。

馬の鞍の下に敷く馬具ですな。

正確には、
古い物と新しい物を区別する為に、
古いホース・ブランケットは、
ニンバ・タ・ケップとなるかもしれません。








十字紋様の表現方法は、
絞りだけではなく、
織り、刺繍や押印、摘んで染める、など
色々あります。

これは摘んで染色する方法。
一見、押印(スタンプ)に見えるけど、
染色手法は異なります。

そして、数が少ない、
白地ベースの古いタイプ。

地の生地は柔らかい手織り羊毛。






裏地も様々で、
しょぼいプリント柄の裏地が付いている場合もあるが、
これはフェルト状の無染色の羊毛原毛。





良き。




上部(馬の首元側)の生地の色や種類も色々あって、
これは上部と左右部分にはコーディロイが用いられている。

コーディロイ生地の下地にも、
十字紋様は残っております。




古い。
実用されていた痕跡が残るオリジナル。

良い雰囲気である。




大きさもある。
かなり大きな部類。
厚みもある。

実は写真上、同じに見えても、
大きさが異なる場合もある。
同じ、ホース・ブランケットでも
小さなサイズもありますて。

もちろん、古さも様々です。


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今や、
「もう新しい物は入ってこないよ」と誰もが言う。

そして、
前回の僕が現地滞在中にも、
一枚、他の店で、僕が見送った物が売れていたのも知っている。

かつては、あまり注目されていなかった筈である。

今や、古く良い、オリジナルのティクマは、
数も極めて少なくなってしまった。

いずれ、姿を消す物でしょうね。


以上、
サクッとティクマ紋様のホース・ブランケットの紹介でした。



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姿を消す古い物と、その先。

2024年01月14日 | チベットもの


今回、言い訳を書きます。
でも僕が現地で体験してきた事実です。

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チベットの古く良い物は数が少なくなっている、
と言われて久しい。

それは僕の体験上、事実だと思う。

ただ、
もちろん、
有るとこには有るし、
お金を出せば手に入れるのは可能です。

何処かで、
一般人の感覚とは離れた高額を出して手に入れたり、
超奥地の地元民経由とかや、
運次第では可能と思うので、
「不可能」とは言い切れません。

一般的に言うところの、
良い物は、
安い値段では手に出来ない場合が多い、と言うハナシなのです。

今回の渡航で、
40万円の小さなトクチャから始まり、
小指の先にも満たない小さなチベタン・ターコイズが4万円、
古く本当に良い仏像は数百万円を越え、
ズィ・ビーズに至っては、機会があってズラッと見たが、
こちらも想像にお任せする金額である。

果たして、誰が買うのであろう。

中国人が買うのである。
または、
それで多大な利益を出せると見込んでいる業者が買うのです。

「今は中国人は高い物を買わなくなった」と
ある中国人ディーラーの言葉を前回書いたが、
それでも買いまくる人はまだまだ存在する。

実際、旧知のチベット人が持っていた、
上述の4万円の小さなターコイズは速攻で売れておった。

聞けば、中国人が買ったとの事だ。

僕が知る限り、
以前は、彼の店には中国人バイヤーは辿り着けていなかった。
今や、奥の奥まで手が伸びているのを実感するのである。

「チベット本土のラサならどうだ」って?

ラサは今や、
チベット・アンティークに置いて、
世界で最も高額な街の一つであろう。

ラサは日本人にとって行きずらいだけで、
中国人は簡単に行けるからね。

そりゃ、
僕かて手頃な値段でお客様に提示したい。

その方が、
僕の個人的希望の「価値観の共有」ができるのが嬉しいし、
買い手にとっても嬉しい事であると思うし、
生々しい事を言ってしまうと、
商売としても成立しやすいだろう。

だって、良い物で値段が手頃なら、
買いたい人の幅が広がるからです。

しかし、それは難しいのが現実的な事だろう。

時には、
今まで費やした労力や時間、お金を顧みずにしたって、
一般的には、
何も考えずに買える値段で無くなってしまう場合が多い。

もちろん、安くて、
それなりのクオリティの低い物であれば、
安く買える場合も多いし、手頃な価格で売りに出せる。

チベット物の数が少ない日本では、
比べる機会が少なく、
よく混同されるが、
ここでの話は、
それらの物の事ではなりません。

偽物が氾濫するルドラクシャであっても、
本当に古いルドラクシャに関しては、
以前、数年前まででも、
まだ数は残っていたのに、
今や、
すっかり姿を消した。

長年、現地で商売をする友人も、
「そうなんだよね、今はもう無いよ」と言う。

彼らにとっても手に入れば売れる物なので、
手に入れようとするが、
もう手に入れられないのである。

地方や村々や他の業者にコネクションがある彼でさえ無理なら、
運よく、誰かが持ってくるのを待つしかないのである。

チベタン・ターコイズも、
凄い勢いで姿を消した。

昨年の始めのネパール渡航で、
あれだけ持っていたチベット人業者の所にも、
1ヶ月前には何も残っていなかった。
丸ごと買っていかれたらしい。

正確に言うと、
僕が知る限り、
別の所には、
有るには有ります。
他の地であれば有ったりします。

ただ、それは値段が高かったり、
質が普通や普通以下だったり、
色々な経費がかかったり、
まとめ買いのみ(数十万円単位分など)とかだったり、
色々な理由が付属するのです。

そして、
中国人だけではなく、
日本人を含めた各国のディーラー達も色々と探しているのです。

姿を消す速度は、
想像以上に早く、
例えば、
前回のブログで書いたシャキャ族の知人が、
色々探して持ってきた仏像も、
開店から3時間で売れていた事もあった。
その時も、中国人バイヤーが買ったとの事だった。

僕は、そのバイヤーが見ていない棚の中に有った物を
買ったのだったのだが。

十字紋様のティクマであっても、
古いオリジナルの家具類であっても、
誰もが
「もう入って来ない」と言う。

古いティクマに至っては、
あまり知られていない筈であったが、
僕の渡航中に、
僕以外の誰かが一枚買っていたのを僕は知っている。

15年前、10年前でも、
ヒマーチャルやラダックには、
路上に、地方またはチベット本土から出てきている行商が居て、
様々な古い物を売っていた。

今やほぼ居ない。

約40年間、現地で商売をしている友人も、
「もう古く良い物は入って来ないからね、一旦売れたら、それで終わりさ」と言う。

40年間、現地で毎日商売をしている人間が言うのである。

ここまで言えば、もう十分かもしれない。

現地の一般の人々の、
生活水準も、人生スタイルも変化した。

ある程度、お金を持った人々は、
安く売る必要もない場合もある。

今や、チベット人の友人も、
アークテリクスの服を欲しがる時代である。

市場から姿を消した理由には、
それらも理由の一つではあるだろう。

もちろん、
繰り返す様だが、
手を尽くせば、
運次第で手に入れられるのは可能だ。

もしくは、
僕がやっている事の一つである、
『既存市場金銭価値から、まだ光が当たっていない美しい物を見出す』
という事になるだろう。

他にも手法はあるだろう。

いずれにしても、
以前とは比べられない、
「時間と運、お金、眼や労力や工夫が必要」となっていると感じるのです。

そりゃ、
オンライン売買で現地とやり取りして仕入れる、
というシンプルな方法もあるが、
それに関しての裏事情は後日、また別に書くかもしれない。

話を戻すと、
数年間に値段が爆騰した、
数の少ないオリジナルの小粒のブッダ・チッタ(鳳眼菩提樹の数珠)であるが、
一時期、その価格は中国で100万円まで上昇した。

現在の中国人市場での需要が落ちると、
その値段は現地でも目に見えて下落していた。
その下落具合は、直角に落ちる勢いだ。

これは、それぞれの目的次第だろうが、
既存金銭市場でのゲームに参加すると、
値段の上下に振り回される可能性があります。

だが、もし金銭ゲームを目的とするならば、
それは上下する金額の資産としても、
ある種の株感覚などとしても、
考えられない事はないかもしれない。

そして、
100万円や数百万円単位、それ以上の、
金額規模の高額を出しても手に入れたい、と言うのも、
人それぞれだとは思います。


ただ、
僕、個人的には想うのです。

『自分の気に入った物を、手に入れた方が良い』と。

そして、それを手に入れるのは、
『早ければ早いほど、良い』と自分で痛感するのです。


現時点での市場金銭価値の高い物を買うかどうかは、
人それぞれの自由ですが、
市場価値とかネットに溢れる見解や値段で左右されてしまうと、
もしかすると、本来の目的とズレてしまうかもしれません。

一般的に光が当たった時には、
金額もそれに比例して値上がりしている場合が多いです。

光が当たった途端に、
手に入れるのは難しくなります。

市場で急速に姿も消します。

それは古い物に限らず、
あらゆる市場の法則だと思います。

また、
目にできる種類も、
光が当たる以前は、
豊富であったのは間違いないだろうが、
値段に関しては、それが顕著なのです。

チベット仏教の仏像に至っては、
ネパールの博物館に所蔵されている古いチベット仏像の台座に、
当時の値段であろう金額が書かれた形跡が残る物すら展示されていた。

もし今、
それが欧米または中国のオークションに出品されたら、
その値段は凄まじい事になると思う。

その台座に乱暴に記載された、
当時の金額で今買うのは不可能に近い事だとも思う。

新しい仏像を作る事ですら、
仏師の知人に聞いたら、
物価等の高騰で、今や意外なほど高くなってしまったらしいからね。

そもそも、古く良い物は、
簡単には見つからないのです。

---

何より、
「自分が気に入った物」を「素早く手に入れる」事。

そしてそれは、
何処かの誰かの情報を追いかけるのではなく、
自分の肌と
自分の眼で
それを感じるのが重要かな、と
僕は自分に言い聞かせております。

そして、
それを可能な限り、
正直に発信したいとも思っておりますて。

だけど、
そう、
この僕の言葉も、
世にある無数の言葉や情報の一部に過ぎないのです。

僕自身ですら、
「そりゃ、嘘やろ」とか
「あんた、本当に、実際に現地に行っとるんかいな?」とか
「思い込みに誘導する売り言葉だろうね」とか
僕も思ったりする情報を耳にする場合もあります。

何を信じるかは、人それぞれの自由です。

それを分かって、あえて書いているのです。

----

今回のタイトルの結論を言うと、
この先は、
どうなるかは分かりません。

色々な国を実際に旅した個人的な稚拙な体験からは、
古い物に関して、
値段に関しては、
少なくとも、
昔よりは高額になっているのは事実でしょう。
そして、
数自体も、目にできる種類も、
どんどん少なくなって行くでしょう。

値段に関しては、
上述の様に、
上下する物もあるでしょうが、
大半の物は、
値段が上がり続けるでしょう。


ただ、
もし自分の眼が定まっていれば、
金銭的な損得ではない、
「何か」が分かるかもしれない、
と僕は自分に言い聞かせています。


美しい物が、
完全に姿を消す前に、
僕は、
それを成せるのだろうかしら。


それを想っておりやす。



コメント

チベット仏教の仏像の事。

2024年01月03日 | チベットもの


明けましておめでとうございます。

久々の投稿です。

渡航しておりました。

色々あったよーな、
なかったよーな渡航中の事より、
イキナリですが、
まずは仏像に関して書こうかしら。

チベット仏教の仏像の事です。

---

チベット仏教の仏像と言えば、
19世紀とか18世紀とかそれ以前の古いオリジナルの良い物であれば、
市場価値は、数百万円から数千万円以上の価値が、
当たり前に付いている物である。

仏画タンカと並び、
紛れもない、
チベット仏教美術の二大巨頭である。

10年前くらいだっけな?、中国人市場でも値段が爆騰した記憶がある。

クリスティーズとかのハイエンドのオークション・ハウスでも、
かなり以前から、その美術的価値により超高額で取引されてきた。

美術館や博物館の展示会でも人気を博すジャンルであろう。

僕はどうであろう。

チベット仏教の仏像に関して、
かなり以前から触れてはいた。

辺境の古いチベット寺院へ行くのから始まり、
10年前に中国市場で偽物が氾濫した時期には、
機会があって、
北京の偽物工房に見学に行った事もある。

一応言っておくと、
これは、あくまで知識のために見学に行ったのであって、
偽物を買って売る為では、決して、ない。

そこでは古いオリジナルが一体あり、
それを型取りして、古加工されていた。

そもそもがオリジナルの型である。
それに加えて、
中国人の職人の偽物加工の技術たるや、
そのクオリティの高さに驚いた記憶がある。

簡単に言うと、
ぱっと見、偽物って判断するのは難しい。
特に、写真のみでの判別は難しいと思った。

偽物氾濫の騙し合い金銭主義の世界に塗れ、
仏像というジャンル自体も、
多くの人に既に認められた既存価値観を感じてしまっていて、
僕にとっては、
メインでやる事ではないと思っていた。

そんな事もあり、
しばらく、仏像からは離れていた。

とは言え、
日本でチベットの仏像展とかあると足は運んでいたし、
ネパールの金工細工の街パタンにも何度も赴いていたし、
事あるごとに、
現地で仏像は見ていた。

以前、ラサに居た時には、
数百年前のオリジナルも見てはいた。

チベット仏教の古い物の売買業に置いて、
基本は、
数百年前レベルの古さのオリジナルの仏像の売買は、
タブーである。

表では売買されない。

それはチベット本土でも、
ネパールでもラダックでも同じである。

店頭に展示しては居ない。

扉を閉め、
こっそりと見せてくれる物である。

または別の場所に保管してある。

または個人の所蔵となる。

もちろん、
現地、古い寺院に行ったり、
博物館や美術館に行くと、
オリジナルの素晴らしい仏像をダイレクトで見られるが、
それらは売買の対象ではない。

信仰の対象や、
美術的・歴史的価値としての仏像の話は、
ネットや本、各種美術館に溢れているので、
そちらをご参照いただきたいのです。


事前に言っておくと、
美術館等以外で、
「売買の対象」となる、
本当に古い仏像とも何体か出会いましたが、
諸事情で写真は見せられません。
なので、
ここでは、
古い仏像の写真のご希望には添えませんです。


---

さて、今回のお話である。

今回、ちょっと本気で探してみた。

実は、少し前から個人的に仏像を欲しくなっていたのである。

場所は、ネパール。

チベット仏教の仏像でネパールとはなんぞや?と思うかも知れない。

古くから、
チベット仏教の仏像製作はネパールが有名であった。

正確に言うと、ネパール人の手による仏像製作である。

ネパールの職人の仏像製作の技術は古くから優れ、
チベットに出稼ぎに行ったり、
古くは現在の北京に職人として招かれたりしていた。

東京国立博物館が所蔵する多くの古いチベット仏像も、
ネパール製作であろうとは思う。

もっと正確に言うと、
シャキャ族という一族が仏像製作を担う一族である。

名前の通り、
シャキャ(釈迦の語源であろう)をルーツに持つと言われる一族である。

ネパールのパタンやチベット人地区での仏像販売または製作は、
主にシャキャ族が行っている。
古い物として、
チベタンも売買を行っている場合もあるが基本はシャキャ族。

日本ではネパール人と一括りにしがちだが、
ネワール、タマン、グルン、シャキャなど、
実はかなり多い種類の一族が存在する。
世界的に登山で有名なシェルパ族も、
その一族の一つである。

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今や現地でも、
19世紀とかそれ以前の古さのオリジナルは、
余裕でとんでもない金額になっています。

現地でも数は極端に少ないけど、
有るには有るが、
僕は買えません。

そこで、僕は20世紀の手作りの小さな仏像に絞りました。

それには理由があって、
まだ現実的な金額で、
雰囲気もある物を手に入れられるのが可能だからです。

そして、
小さく良い仏像は数も少ない。

あまり言いたくはないけど、
15年前位までは鍍金される「金」にも違いがあります。

一口に鍍金と言えど、方法は幾つかあり、
今、量産される小さな仏像は、
エレクトリック・ゴールドと呼ばれる電気分解の金を多く用います。

一応、金(ゴールド)ではあるが、
ごくごくごく薄い金です。

今や金の値段も高騰してますしね。



これがエレクトリック・ゴールド。
細部にちょっと赤みがある。
ただ、時間が経つと赤みは薄くなります。

写真の撮り方によっては判断は難しい場合もあり、
海外のサイトだと「ゴールド」と記載されている場合もあるけど、
嘘ではないが、制作方法によって全然異なります。

もちろん、
現地での値段は全く違うレベルとなります。

15年前くらいまでは、
水銀と金を混ぜた金が多く用いられ(今でも制作されているが)、
その金の厚みは厚かったのです。



これが水銀制作での金の鍍金。
24Kのゴールド。
水銀と金を混ぜ、直接炙って、水銀を飛ばすらしい。

チャクラ・サンヴァラのヤブユムですな。

水銀鍍金の手作りの仏像でも、
値段はピンキリ。

こだわらなければ、
ぶっちゃけ、小さな仏像なら安く買える。

ただ、
今やドンドン値段が上昇中。

良い物を激安で、ってのは極めて難しいと思う。



金の層の厚みによっても違いが有ります。
上記の写真は鍍金が厚い。

15年以上前の物で、
全身が鍍金の小さな仏像で、
厚みが厚い場合、
金の分量は、0.8から0.93グラムを使用していたと言う。

美術館の学芸員に聞いても分からなかったが、
知人に聞いて、計算してもらった(金板を何分割して..等の計算方法があるらしい)
計算機を用いて割り出してもらった。
正確かは分からないが、可能性としては有り得る。

昔は鍍金の金はもっと厚かったらしい。

日本でも、水銀を使って鍍金する方法は、
昔の仏像は同じように制作されていたと何処かで聞いた記憶がある。

ただ、
もちろん、水銀は体に極端に悪い。

ネパールでも健康被害の事を懸念し、
数年前に職人組合?的な集まりで話し合われたらしい。

なので、
今や、小さな仏像は、
上記のようなエレクトリック・ゴールドの、
型流しのマシン・メイドの量産仏像が溢れています。

代々で仏師であるシャキャ族の知人に聞いたら、
「そっちの方が効率的だから、皆んな、そっちを選ぶんだよ」と言います。

「しかも、水銀を使うのは健康に悪いだろ」とも。

そして、彼は続けます。

「5,6年前位かな、多くの職人が仕事を辞めちゃったんだよ」と。

そこにコロナ直撃である。

工房も店も多くは閉めたらしい。

裏話を言うと、
仏像売買で多くの人、多くの家族は、
今やカナダとかオーストラリアとか海外に移住してしまっている。

店はあるが開いていない店が多いとかを、
よく見かけるだろうが、
実は、彼らはもう商売をする必要がない場合が多いのである。

そして、仏像という特性上、
比較的大きなサイズは、
デザイン、素材、クオリティ問わず、
幾らでも見つける事や選ぶ事はできます。

上記の知人も、
僕の希望を言ったら、
「大きなサイズは簡単だよ。でも小さいのは難しいよね、
需要が少ないから元々少ないよ」と言う。

僕は、
大きな仏像か、量産型の小さな仏像に挟まれ、
数が少ないヴィンティージの小さな仏像を探したのである。

まぁ、これが大変であった。

多くの店を周るのは当たり前で、
シャキャ族の知人達に頼んだり、
あの手この手で、1ヶ月かかった。

アンティークというジャンルにこだわると、
金額は天井しらずになるので、
珍しいデザインのヴィンテージを探しまくった。

チベット仏教の仏像の数、デザインたるや、
膨大な種類になり、
例えが正しいか分からないが、
「レアなフィギュア集め」に似た感覚になったよね。

鍍金云々やデザイン、技術に加え、
素材も、
真鍮、銅、ブロンズなど様々。

これはこれで癖になる。

素材の希少性は、
下から、
真鍮、銅、ブロンズ、となる。

これは制作上の手間や技術によるものらしい。
ブロンズが一番難しいとの事。

因みに、カトマンズは、その歴史的伝説上、
マンジュシュリー(文殊菩薩)が多い。

僕はレアなデザインを探した。

中国人バイヤーとか、
普通の観光客ではないだろう欧米人バイヤーに混じって、
探しまくったよね。

余談だが、
寺院に寄贈される仏像も多くありますが、
例外を除き、
チベット人達は比較的安価な仏像を寄贈する。

僧侶達も信仰対象の大型の仏像を仏像屋で買っているが、
彼らは、かなり良い出来の物を選ぶ事が多く、
一般人が寄贈する仏像とは出来が異なる場合が多いのです。



ヴァジュラ・ヨギーニ(ヨーギニ)の坐像。
通常は立像である。

フィギュア感が満載である。
コレクター心をくすぐる。
古い仏像を求める需要とは真逆をいくかもしれない。

最初、仏師の知人が私物で棚に仕舞っている意味が分からなかった。
でも良く考えると、その理由が分かった。

「これはもうマニアックすぎるな」と思いつつ、譲り受ける。

因みに、60cmを越える大きな仏像は、
幾らでも技量の高い物は見つかる。

小さな仏像は、概して彫りがダイナミックだが、
それはそれで現地のままの味だと思っている。





よく見ると、古い。
ヴィンテージである。



ミラレパですな。
カギュ派の宗祖。
数々の面白い伝説を残している。
小さく古い仏像は珍しい。





古いっすね。
オリジナルっすね。
20世紀の物だろうが、古い範囲に入るだろう。



ヴァジュラ・サットヴァの小さな仏像。

知人のチベット人が持っていた。
僕が知る限り、老齢な彼の眼は肥えている。
彼の物には、何かしらの理由があるのは知っていた。

デザインは特段珍しいとは思わないが、
よく見ると雰囲気が違う。



顔は金箔・絵付けですな。





古いのよね。
遠目や写真では分からないレベル。
この少しの違いが個人的には重要なのよね。







古いロケシュワール。
頭部にティカ(紅い粉)が残るので、ネワールの手にあった物だろう。
好き嫌いが分かれるであろうが、真面目な物ですな。





ブロンズのヤマーンタカ。

上記の知人に
「ヤマーンタカのブロンズの古い小像?良く見つけたね」と言われた。

オリジナルは、まず見ないと思う。
ブロンズの配合も違うのであろう。
色味が通常と異なる。



ヴァス・ダーラ。
ヴァスン・ダーラとも呼ばれるが、
ヴァス・ダーラが正確らしい。

3面6本腕でチャクラ・サンヴァラっぽいが、異なります。

新しい物であれば数は少ないが有るには有るが、
ヴィンテージは珍しい。

知人のコレクションで、彼は非売品にしていた。
一応聞いてみると、最初、値段は高く言われたのだが、
帰国直前に「俺、もう帰るけど、どうする?」と最終交渉してみたら、譲ってくれた。





チェングレシィの台座座像。
台座の彫りのダブル・ドルジェが痺れる。
全身鍍金。

知人に頼んで、閉店した店の主人のコレクションから、
親族を通して持って来てもらった。

もし、一つのみ選ぶなら別の物を選ぶだろうが、
手に入れるべきリストには必ず入る一体だと思ったので、
譲り受ける。


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今回、大袈裟に言わないでも、
仏像だけで、100個は見た。

ギリギリ買える金額の物でも、
商売を考えると無理な場合も多い。

そもそも数十万円以上もする仏像を
今の日本人は買うのだろうか。

現地で会った北京在住の中国人バイヤーは、
中国人は今はもう高額な物はあまり買わないよ、と言う。
北京は経済的に難しく、南部の方が良いね、とは言っていた。
因みに彼は僕の共通の友人で、かつてはラサに店を構えていたらしい。
彼も、小さく雰囲気のある手頃な仏像のみを求めていた。

また、現地の工房へ注文制作も考えたが、
日本人的希望要素が入る気がして、今回はやめた。

仏像は奥が深い。

本当に千差万別、
値段もピンキリである。

今後も続けていくだろうな。

中途半端な素人だか何だか分からない中国人バイヤー達には、
マジで勘弁(オンラインで写真と動画を撮りまくり、場を荒らしまくる)だが、
仏像の魅力は人を惹きつけるのでした。


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最後のオマケに、カトマンズの博物館の石仏。
その仏像の収蔵の数たるや圧倒的な迫力でした。

古いチベット仏も圧倒的な量が有ります。
流石でした。



許可を得て撮影してます。

僕は、ロンドンのオークション・ハウスで働いている、
イギリス人の友人と行ったのだが、
僕ら以外、一般来客はガラガラで、
プロモーションが下手かと思ったよ。


以上、
チベットの仏像に関してでした。


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チベットの古いバター茶碗

2023年11月01日 | チベットもの



チベットのバター茶碗でござる。

以前、チベット民藝の回でも登場した銀装飾のバター茶碗です。







写真の物はラダック来歴。

ただ、ラダックには木材が乏しいので、
僕が知る限り、
良い品質の木製茶碗は作るのは難しい。

レー近郊のチベット寺院で使われていたお椀だと言う事であったが、
元々はチベット本土から渡って来た物か、
何処かの来歴だと個人的には思っている。






木の部分。

木目や色から、
ザップ系(正確にはザップの同系種族)の木を使っていると思っているが、
改めてよく見ると、
部分的にザップの特徴が見られる。
もしかしたら、ザップの可能性がある。
それであれば、より価値が高い。

バター茶碗の良い物は、
希少なザップという木の種類(木の瘤(コブ)の部分)を用いる事があり、
ザップでないお椀もある。

その木材は何処の木を使って居るかと言うと、
チベット本土やネパールで、
詳しい人に聞いたところによると、
チベット本土では、
東南地方のニンティ近辺からの木が用いられる事が多いらしい。

どうやら木材が豊富という理由らしいが、
僕はこの目で伐採現場を見たことがないので真偽は分からない。

ただ、ニンティといえば、
南に下るとアルナーチャル・プラーデシュ州がある。
アルナーチャルはジャングルだったので、近隣にも木はあるとは思うが。

余談だが、
昔、菩提樹の木の産地である、ネパールの地方の村の森には行った事があるが、
ド田舎であった。
連なる山ごと菩提樹の木が生い茂っていて、
村々の民家では菩提樹の実を摂って、手作業で殻を剥き、ブラシで綺麗にしていた。
貴重な現金収入でもあるのだろう。

もう説明不要だろうが、
菩提樹の実は、チベット仏教で欠かす事の出来ない数珠の珠になる。








吉祥紋様が、
良い技で雰囲気良く打ち出されている。

日本人や外国人に同じ同じ紋様を造らせても、
同じ様にはいかないだろう。

食事でも工芸品でも日本人の技術は凄いが、
現地とは何処か違ってくる。

この雰囲気こそが大事なのだと個人的には思う。

何十個もすげー見て、この一品を選んだのだが、
比べる物があった方が良さが伝わり易いのかもしれない。




美しい。

木部分にはパティナ(古色艶)もバシバシである。

このパティナは、
チベタン・ターコイズにオイルを塗り、
見栄えを良くテカらせて売るのとは異なり、
時間を経た自然のパティナなのです。

チベットの古いお碗は、
ビーズなどの小物に比べ、
日本ではイマイチ注目されないが、
チベット人達の間では価値が評価されている。

ラサやカトマンズの高級店とかだと、
とんでもない高値が付いている場合もある。

因みに、チベット語でお碗は、
「ポバァ」と呼ばれている。
(音聞き、地方によって呼び名は異なります)

なお、
チベットの銀工芸で最もレベルが高いのは、
東チベットのデルゲだと聞く。

一時期、
もう日本人が行く事は難しいと噂を耳にしたが、
僕は何度かデルゲに行って、色々見たが、
個人的には技術が高いとは特段思わなかった。

ただ、ネパールに渡ってきたデルゲ来歴のガウ(帯同小型祭壇)とかを見ると、
確かに、透かし彫りとかの技術が高い物がある。

ブータンも技術的に上手い物が多い印象だ。

金物工細は、ネパールだと、
パタンとか盛ん。

ネパール様式に限らず、
チベット仏教の物も
作っているのはネパール人だが、
彼らは手先が本当に器用だ。

新しいチベット仏教様式の工芸品を見ると、
中には本当に良く出来ている物も多い。

前回のラダック渡航で、
良いキュン(ガルーダの類)の形をした、
ターコイズが埋め込まれた新しいペンダントを目にしたが、
ラダックの物とは異質だったので、
店主に聞いたら、「ネパールで作らせた」との事であった。


余談ついでに裏話を言うと、
秘境とされる旧ムスタン王国での物だが、
実は、
新しい物は、ポカラで業者が仕入れて、
ムスタンで観光客に売っている事もある。

「せっかく、ムスタンまで来たのだから記念に購入しよう」と思う
観光客に商売するトリックなのである。

もちろん、ムスタン来歴、
またはその先のチベット本土来歴の物もあるのは事実だが。

プーン・ヒルの途中に点在する村々の物も
ポカラからの物も多い。

以前、日本人のお金持ちトレッカーが
「ヤクの毛のショール」なる物を購入していたが、
どう見ても化繊の化学染料バシバシの量産品であった。

物の見極めは大切かもしれないが、
旅の思い出としては良いだろう。


さて、
色々見て、個人的に思うが、
チベット人よりネパール人や中国人の方が、
工芸品に関しては、概ね、技術が高い。
と言うか、
「丁寧」である。

チベット人の技術は、
ダイナミックな良さがあるので、
それを良しとするか否かは人それぞれだと思う。


歴史的に見ても、
ネパール人の多くがチベットに工芸関係の職業で行っていた事を考えると、
やはり、
ネパール人は工芸技術が優れているのであろう。
まぁ、ネパールの寺の古い木彫刻とか見ると、
その優秀さは分かるけど。

ただ、これが謎なのだが、
チベット仏教の絵画、となると、
チベット人はとんでもない才能を発揮する。

寺院内の僧侶で幼少の時から専門職につく坊主が居ると聞いた事があるが、
凄い絵を描く坊主が居るのであろう。

タンカ(仏画)とかも、
現代のネパール人タンカ絵師も凄い上手い人が居るが、
古いチベタン・タンカを見ると、圧倒的な違いを感じてしまう。
その違いは何なのであろうか。

因みに、古いチベタン家具の絵の修復は、
ネパール人も多く携わっていて、
以前、今は無き修復工房に見学しに行ったが、
中には物凄い技量のネパール人絵師も居ました。

それらの職人は無名で、
光も当たらない。

複雑な想いを抱いたのを覚えている。


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話は逸れたけど、
バター茶碗。

チベット人またはチベット仏教圏の人々にとって、
数珠と共に一番身近な日常品だと思う。

突然、値段が高額に跳ね上がるとは思わないが、
美しいチベットの民藝だと思うのです。

技量の良い物を生み出す、または生み出した名も無き職人の作品である。

無名こそが美しいとも思う一方、
個人的には、作者名を彫っても良いのでは、と思うのは、
現代的な思考だろうか。
でも、そうすれば職人の職業価値や生活向上にも繋がるとは思うのです。


これからも良い物と出会ったら、
人知れず仕入れていこうと思う。

売れなくて、
不良在庫になるのが怖いけど、良いのだ。



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