旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

美しいラダックの民族衣装ティクマ・ゴンツェ

2024年10月29日 | チベットもの



たまには物の紹介です。

ラダックまたはザンスカールの民族衣装です。

日本や欧米では通称ラダッキー・ドレスとも呼ばれますが、
現地での名称はゴンツェ(ゴンチェ)です。

その圧倒的な迫力から、
美術館などでも展示されている事でも知られております。

僕も今まで数多く扱ってきましたが、
すぐに旅立つ人気商品でござる。

今回は極めて良い、古手のゴンツェ(ゴンチェ)です。

ちなみに、
現地では、ティクマが絞られていない民族衣装もゴンツェと呼ばれます。

だから、正確には、ティクマ・ゴンツェとなるのかな。

なお、
無地のゴンツェは、ラダック・スタイルとザンスカール・スタイルは異なり、
生地の厚みや起毛具合、色味が異なります。

---

サクサク行きます。





無数に散りばめられたチベット仏教圏の十字絞り「ティクマ」

美しい












擦り切れた青地

羊毛を染められております。

荒い見た目ですが、
着込まれ柔らかさもあり、
温もりも感じます。

今や数が激減した古手です。

美しい雰囲気がございます。












袖やスカート部分に無数に現れるティクマ






大きさもあり、迫力あります。

裏地は撮ってませんが、
擦り切れた、良き雰囲気です。

実物はイカつい迫力があります。


なお、ティクマ・ゴンツェは通常、女性用です。
老齢な方々が冬場や、
祭事時に着込みます。

夏場はあまり着ません。

若い人も、ほぼもう日常着ません。




ある有名美術館の元学芸員の方が、
このゴンツェを見て、
「某民藝館の物より素晴らしい」と仰っておりました。

そーかもしれません。

今や、この手との出会いは運次第です。

そして、
ワシやで。

人知れず、
長年、
「チベット民藝」をやっている、
キハチやで。

日本では、今、ワシくらいじゃないかな。
この手の古さのティクマ・ゴンツェを定期的に扱えるのは。

ゴンツェと一言にいえど、
雰囲気や質、
ティクマ絞りの数や古さは、
多種多様です。

ティクマのゴンツェは現存すれど、
古く良い物は少ないのです。

三年前も
二年前も
ラダックへ渡航して、
欲しいと思えるゴンツェには出会えなかったが、
今年は出会えました。

しかも意外にも、あっさりと。

縁ってのは不思議です。


今では、ラダックもザンスカールも
着ているのは現代の服が多いです。

民族衣装を着ていても、
無地のゴンツェとなります。
僕のラダックでの定宿はラダック人経営ですが、
その宿のおばあちゃんも、今や無地のゴンツェしか持っておりません。


近いうちに消えゆく、
美しい服飾文化


ティクマ・ゴンツェでした。





コメント

諸行無慈悲 備忘録

2024年09月25日 | 日記



日々の備忘録です。

——

「〇〇ちゃん、亡くなったのよ」

先日、親しい友人に会った時だった。
共通の知人が亡くなったとの事だ。

「え?まだ若かったよね」

長い事会っていなかったが、
思えば、同い年だった。

いつの間にか、人は旅立つ。

それを聞いた時は、
関係性が薄い事もあり、
僕は動揺しなかった。

だが、
日にちが経つにつれ、
じわじわと、僕の心に何か重い気持ちを感じさせた。

最近、度々、知っている人が旅立つ。
旅立つ理由の違いはあれど。

そして、
最近、自分や周りで、
色々な事が重なっている。


この感情。

悲しいのかと言うと、
悲しくはない。

不安かと言うと、
全然、不安じゃない。

虚無かと言うと、
情熱はある。

絶望かと言うと、
希望を感じている。

焦りがあるのかと言われれば、
焦りという感情ではない。


この気持ちを、
うまく書けない。

ただ、思う。

人生の時間ってやつは、
不平等だ。

時間は、
無慈悲かつ、
予告の有り無し、
長い短い問わず、
人に、生の終わりを設ける。

僕に、
残された時間はどのくらいあるのだろう。

当たり前だが、
人間の個々の生に対して、
時間は無限ではない。

それを自覚するか否かの違い、
に過ぎないかもしれない。

その限られた時間の中で
何ができるのか、
何を知る事ができるのか、
何を感じられるのか。


月夜の光の下、
星空に向かって考えたところで、
答えなんか出ないのさ。


---

前回の海外渡航で、偶然、
同じカフェで会った日本人男性は、
介護施設で働いていたという。

「地獄ですよ」

彼は言う。

その「地獄」を指すのは、
過酷と言われる介護職での、
自分の給料とかの職場環境ではなく、
介護施設へ入所している高齢者たちの状況らしい。

つまりは、
人手が足らなすぎ、
おむつも変えられず、
下は流しっぱなし、
自宅にも帰る事は叶わず、
死を待つのみの老人たち。

彼は続ける。

「完全にボケちゃった方が楽なんですよ」と。

深い言葉だ。

実情を知る人の、現実の意見だ。

高齢者で、
自分の置かれている環境が分かったり、
自宅に戻りたいと思える判断力や強い想いが残っていると、
今の自分の状況に耐えられなくなるとの事だ。

優しい彼は、
「高齢者のトイレなどの世話をするのは心情的に大丈夫です」
「人手が足りず、手が回らず、世話をできないのが可哀想なんです」
と続ける。

聞けば、彼の職場は、
都内でも結構、良いとされる地域だ。
貧困層が多い地域ではない。

そんな場所でも医療崩壊になってしまっている。


「お金が沢山あれば、話は別なんでしょうけどね」

現実的な言葉だ。
もろ、リアルだ。

日本での大衆の老後環境の現実を知る彼は、

「日本には居たくないですよ」と続ける。

それには、
老後の孤独、も含まれると、
60代の彼との会話の中で
僕は感じた。

身近に迫った自分の状況と、
日本の現実。


彼が言った言葉の断片に、
僕は何かを考えさせられる。


-----


昔、インドのバラナシでは、
身寄りのない老人や、
超貧困層の病人など、
「死を待つ人の館(通称、死の館)」が存在した。

今でもあるかは分からない。

当時、そのすぐそばのガンジス川では、
毎日、屍体が当たり前のように流れていた。

茶色に濁ったガンジス川では、
空気を含み、パンパンに膨れ上がった屍体が流れ、
「あー、あれは子供だな」と
ガンジス川のほとりでチャイを一緒に飲んでいたインド人は、
日常の景色の一部となった、
その光景を見て言っていたのを覚えている。

その頃のバラナシは、
生と死が混在していた。


当時、長旅をしていた僕は、
聖地プリーでも同じ光景を毎日の様に眺めていた。

動物の屍体と、
忙しく行き交う人々

激しく鳴らされるクラクション

巻き上げられた土埃

灰色の空に混じって消える、
火葬場から立ち上がる煙と
何かの肉が焼ける異臭

動物、
人間、
糞尿、
車の排気ガス、
食べ物、
腐ったゴミ、
様々な匂いが混じった空気


それらは今も忘れない。


『可視化される、「生と死」、がインドにはあった』


日本では、生と死は、一般的には、可視化されずらい。
むしろ、死から人は目を背ける。

それは、
文明が発展した場所になればなるほど顕著であり、
日本や世界の発展した都市では、
一部の職場環境や、
親族や自身の事を除き、、
死は、伝聞などで、感じ知るぐらい、
一般的には、
距離のある事象と思えるのです。

それゆえ、
死を、深く想う時、
心が自分の内部に潜り、

僕は、
深みの先に何かを想うのです。


---

少し前に、
一緒に飲んだ古い友人との話。

彼とは、たまに飲む。
今回は連絡があり、
会うのは久々だったかな。

彼の見た目は、
堅気には見えない風貌で、
後ろ姿だけでも、
関わりたくない系、丸出しである。

日焼けした肌に、
体躯は良く、分厚い胸板、
金のネックレスにタトゥー

流行のニューヨーク・スタイルの、
頭上近くまで刈り上げた髪型に、
身長は185cmを越える。

でも、話すと良さしく、
もちろん、ちゃんとした仕事もしている。

彼が人並み以上に優しいのも、
長年の付き合いがある僕は知っている。

昔、アメリカに長く住んでいた彼は、
ニューヨークの夜のバーで働いたり、
現地でスニーカーを仕入れて日本に売ったりしていた。

彼は言う。

「日本て終わったんじゃない?」

不動産業もしている彼は、
今、日本の土地を外国人が買い占めていると言う。
日本人が買えない金額を、外国人は軽く買っていくらしい。

それはニュースなどでも広く知られた事実だろうけど、
日本の外も知り、
日本の中も知る、
業界に居る人間に聞くと、
改めて、現実味を増す。

さて

どうなるのだろう?
日本は。


では、日本だけがダメだと言うと、
全然、そーではないと思う。

日本は素晴らしい点も多い。

僕が体験した、
実際に会った範囲ですら、
日本に憧れる外国人は本当に多い。

日本の「食」や「伝統文化」など、
極めて素晴らしいと思える事は多い。


世界では、
イスラエル周辺から広がり、
ロシアとウクライナの問題、
アメリカの大統領選挙、
自然災害や、
移民問題(これは日本も同じだが次元が違う)、
挙げればキリがないほど、
むちゃくちゃ多くの大変がある。

オランダ人の友人ハンクは、
アムステルダムで、
難民や移民をサポートする仕事をしているが、
その状況を聞くと愕然とする実態がある。

難民たちは、
カーテンの締め切った部屋でタバコを吸い、
黄色くなった壁の、
暗い部屋の空気は悪く、
何人もの大人数で住むので環境は劣悪だが、
彼らは働こうとしないらしい。

就職活動すらもしない。
それでも、政府が支援するので、
生活できているとの事だ。

「価値観が違う」とハンクは言う。

この意見は、
昨今の移民問題が議論に上がる日本に居る僕にも、
考えさせられる。

もちろん、優秀でやる気のある外国人はウェルカムなのは、
どの国でも同じだろうが、
そうとも限らないのが現実だろう。

——


先日のラダックで一緒に夕食を共にした、
20代のイスラエル人の女性は言う。

「将来はイスラエルには住みたくないわ」と。

特に今、イスラエルは大きな問題を抱えている。

そう

チベット人であっても、
ラダック人であっても、
日本人であっても、
イスラエル人であっても、
何人であっても、
それぞれの自国での、
自分の人生の送り方に想う事はあるようだ。

----








先日、
博学で知的な方に教えてもらったお寺に早朝、向かう。
一人でね。

人が居ない境内で考え事をずっとする。

もう、これ、ヤベー奴である。

我ながら、
わし、悩んでいるのか?と疑うくらいの行為だが、
そーではなく、
単にお寺が好きなのです。

チベット圏でも、
今まで、
数えきれんほどのチベット仏教寺院に行っているが、
日本のお寺も良きです。

チベット仏教の古いお寺って、
何か説明できない雰囲気というか、
凄すぎる仏画や、
祈りの名残や想い、
荒々しい歴史の断片もそこらじゅうにあり、
「強さ」や
「深さ」を感じるのだけど、

日本のお寺って、
「静かさ」ってゆーか、
「静寂」を感じる違いはあるかなー

日本のお寺に深みを感じないって訳じゃないけどね。


-----


僕にとって、
アンティークの売買とは、
様々な想いが背景にあります。


どういう方法で
どう言う言葉で
誰に
何処で
いつ
伝えるか


物ってのは、
物質的には、
物に過ぎず、
僕は、
その物を通した「物語」や「人」に興味があります。

物質とした物の価値は、
情報で作られた場合、
情報によって価値を失います。

では、
物の本来の価値とは、
何なんでしょう。


上記で書かせてもらった様に、
人には
様々な人生や
考え方があると思います。

それぞれが持つ時間や状況も違います。

その中で、
一瞬でも
物を手に出来て、
「嬉しい」と思える瞬間を、
共有できたら、
僕も嬉しいのです。


そんなことも考えてたりして。



終わり。


コメント

美味しいよ、インドでの食事

2024年09月14日 | グルメ



インドでの食事です。

インドの食事と言えば、カレー。

なので、当然、カレー中心の食事情になります。
カレー以外にも少し。

サクッと行きます。

-----

無数にあるインドのカレーの種類。

もう知られた事ですが、
通常、インド現地の飲食店で、
メニューには「カレー」というカテゴリーは基本ございません。

全部、カレーです。
その中で色々な種類があります。

大まかに別けて、
ベジ(菜食)かノン・ベジ(肉食)になるかな。

今まで片っ端から、
インドでカレーは食べましたが、
今では定番ものしか食べません。




まずは、
僕のお気に入りの、サグ・パニール。

ほうれん草とチーズのカレーです。
定番です。

今まで僕の人生で何度、食べたか分かりません。
サグ・パニールの味だけは、僕はうるさいです。

日本で食べると、
薄い味付け(ほうれん草の分量が少ない)の時が多いですが、
本場インドでは、ドロドロです。
使用するほうれん草の分量が多いからだと思います。
そこに様々なスパイスが合わさり、味に深みがあります。

また、サグ・パニールは辛くはありません。

日本では何年も前に、
青山と自由が丘に、本格的なサグ・パニールを食べられる店がありました。
東京駅の近くの店(名前忘れた)も本格的です。

インドによく行く人にありがちですが、
僕も、日本でインド料理はほぼ食べません。




連日のサグ・パニールです。
嘘みたいな真緑ですが、着色料は使ってません。

ほうれん草が旬の時期にサグ・パニールをお勧めします。

ちなみに、乾燥地帯として有名なラダックでも、ほうれん草は多く採れます。
各家庭の庭で育てている、新鮮なほうれん草です。
デリーなどとは旬の時期が異なり、ラダックのほうれん草は夏場が旬です。

なお、真夏のデリーの気温は45度以上になります。灼熱です。






オールド・デリーのバター・チキンの有名店です。

油ギトギト、胃もたれバキバキです。

溶かした大量のバターにヨーグルトが混ぜられた液体に、
炭火焼きのチキンがブッ込まれています。

バター・チキンの概念を覆します。

この店は他にもメニューはあるけど、
ほぼ、バター・チキン、一択の店です。

---

因みに、僕の人生で、一番のカレーは、
昔、グジャラート州のアーメダバードの巨大市場の中にあった、
地元民や市場で働く人で大繁盛していた無名店の、
バター・チキンです。

店の目の前で、
トラックで運ばれてきていた生きた鶏をシめ、
そのままタンドール(釜)に直行してました。

数分前には生きていた、その鶏肉。
しかも、自然放牧に近い育て方でしょう。

「これが本当の肉の味なのか!」と感動したのを忘れません。

環境的に、日本で再現するのは無理でしょう。

スパイスも近くのスパイス市場の新鮮なスパイスでした。

これが、僕の中で、今なお、ブッチギリの一位のベスト・カレーでした。

・・・さて、話を戻します。




南インドのドーサです。

クレープ状の薄焼き生地をちぎって食べます。
生地にチーズなどを包んだりします。
付け合わせも数種類あるのが定番です。



これも、ドーサ。
パニール・ドーサです。
バナナの葉の上に料理が置かれます。
南インド料理の有名店サラヴァナ・バワンにて。




名店Zaffranのカレー。

デリーにあり、高級店の部類でサービスは優れてます。
味は、ぶっちゃけ、普通です。
突出した美味には感じませんでした。

もちろん、美味しいです。

完成度も極めて高く、味にも奥行きがあり、
流石に、そこら辺の飲食店のカレーとは異なりました。

ただ、本場インドの置いて、
そこまで絶賛するほどの味では無い気がします。
もし日本にあれば、超人気店になるかもしれませんが。

インドでは通常、ナンではなく、チャパティ(またはロティ)を食べます。
この店ではナンを食べました。

なぜかラッシーがすごく美味しかったです。




デリーで、地元民に大繁盛店のチョーレー・バトゥーレーです。
ざっくり言って、豆のカレーです。

この店は、チャナマサラの主菜はとにかく美味しく、
チーズ入りの揚げパンや、
マンゴーの漬物も美味しいです。

友達に聞いたら、
最初は、路上販売から商売を始め、
今では、わざわざ車で来る人も多く、
宅配まで幅広く行う、超人気店まで成長したとの事です。




僕が好きなスィーツ。
甘いヨーグルト状に、
柘榴の実がアクセントです。

基本は、プラスチック容器ですが、
時には、素焼きの壺に入ってる店もあります。






もう説明不要の老舗店カリーム・ホテルの本店です。
マトン(羊)のカレーが有名です。
正確にはカレーではなく、「マトン・シチュー」と言う名称です。

油が多め、濃い目の味付けです。




インド人の知人に勧められた店での、
マッシュルームのカレー。

まぁ、確かに美味しかったが、
個人的には特筆すべき点はなし。






繁盛店。
観光客は全くいないが、
いつも地元民で賑わっている。
バター・チキンが有名らしい。
流石に美味しく、手頃な値段です。






インドではお約束のイスラエル料理です。
菜食主義者には定番のフムスとかです。

毎日カレーだと胃もたれするので、
いつも、イスラエル料理はたまに食べます。




歴史ある、老舗コーヒー店 ユナイテッド・コーヒー・ハウス
レベルが高いコーヒーを飲めて、コーヒーの種類も豊富。
値段は日本の東京のちょっとしたカフェより高いです。
店内のインテリアは良き雰囲気です。

客層は、ちょい富裕層や小綺麗なインド人だけです。
入り口にドアマンが居るので、変な人はおりません。




チベット系中華です。
ソーセージですな。
あと、空芯菜?の炒め物。

写真右上に切れてるのは、チベット式饅頭のティンモ。
ザンスカール人の友人は、このティンモの味にこだわっていた。

彼曰く、店ごとに味が違うらしいが、
そもそもが、中身の無い肉まんなので、
日本人の僕にとっては、コシや、生地のふっくり具合しか分からん。

チベット系の料理では、血のソーセージとかもあります。
マナリのニュー・マナリの地元民の飲食店街でも食べられます。

空芯菜の炒め物は、ラダックのチベタン料理屋や、チベット本土にもあります。
チベット語での料理名もありますが、あれは中華系料理な気がする。




路上のチャイ屋。

路上と言えど、人気の店は、
カップに空気をたっぷりと入れて注ぐので、美味しいです。

この親父は味にこだわりがあるようです。
茶葉とミルクの沸騰加減も職人技で、
自分で、味見をして濃さを確かめたりしてました。




カフェです。
一般的な観光地から離れた、僕の隠れ家です。
静かに過ごせます。




デリーのバーです。

インド都市部で、
お酒(アルコール類が飲める)普通のバーは、
音楽がガンガン鳴り響いて、うるさい店が多いです。
マジで腹が立つほど、ロックなどが爆音でかかっています。

中にはクオリティの高いバーもあり、
静かに過ごせます。

値段はそれなりにしますが、
仕事でひと段落した時や、
旅での考え事をする時に役立ちます。

---

以上
サクッとインドでの食事でした。

全て美味しゅうございました。

いつも他にも、
チベット料理とか
モスリム料理とか色々食べますが、
あまり写真に残しておりません。


終わり。


コメント

海外アンティーク・バイヤーの続け方 プロ編

2024年08月29日 | 日記



海外バイヤーという職業をプロで続ける方法です。

プロフェッショナルの定義は置いておいて、
生活を成り立たせる生業と仮定します。

ここでの話は、
副業や趣味ではございません。

母体(雇用される会社等)を持たない、
単独のプロとしての仕事の話です。

そして、
「実際に」現地、
自国以外の地へ、足を運ぶ旅をしている事を指します。

重要な事を言っておくと、
プロがすごいとか
プロが偉いとか
現地へ実際に行く事が良いとか、
全然ないと思います。

僕が一応プロ(底辺)で、
現地へ実際に行っている、経験談を書いているだけです。

---

まず始めに、

10年続けられる人は、
本当に一握りです。

ほぼ居ません。

基本的には続きません。

僕の知る範囲ですが、
20年、30年続けている人は、
何がしかの理由や裏付けがあります。


以前、海外アンティーク・バイヤーの始め方ってのを書いたけど、
始めるのは簡単ですが、
生き残るのは簡単ではないです。

甘い世界ではございません。

海外への渡航っていう要素もあります。

実際、
アンティークのプロ(専業)のバイヤーとして生き残っているのは、

気合の入った変態、
旅や古い物の「重度の中毒者」、
元々、どっかがおかしい人、
演出や経営(金銭勘定)に才能がある人、
下地(経験)が強固な人、
お金に余裕がある人、
容姿や環境が恵まれている人か、
嘘つき、
くらいかな。


そのいずれかか、
複数の要因でしょう。

正直に言うと、
嘘つきが一番、この仕事に適正があるかもしれません。


そして、
仕事でやる場合、
色々な職業と同様に、
好きなだけじゃ続きません。

運ってのも無限じゃないです。

そもそもアンティーク業界、
骨董業界ってのは、
修羅の世界です。

かつて日本では、
窃盗、
強盗、
骨董

と揶揄された職種であります。

海外アンティーク・バイヤーとは、
それに加え、
海外への渡航、旅がプラスされます。

気力・体力・金・時間などなど

それらの消費は本当に激しいです。

始めて、1年や2年は楽しいでしょう。
夢中になり、5年は続けられるかもしれません。

その先は自分や、何かとの戦いになります。

それは日本人だけに限りません。

中途半端なバイヤーは、
例えば、
中国人バイヤーでも、
すぐに大部分が居なくなります。

---

よく言われる、
「物を視る眼」ですら、
ぶっちゃけ、
最重要事項ではないです。

できる人は、最初からできます。

できない人は、何年経ってもできません。

それが現実です。

それが、どんな職業にも共通する、
向き、不向き、ってやつです。

個人的な意見ですが、
物を視れなくても、続ける事は可能です。

実際、世界中に古物業者は多く居ますが、
長年やっている業者全員が、
物を視れるのかというと、それは分かりません。

知識と才能は別物であります。

そもそも、
物の良し悪しってのは、
環境(国を跨ぐなど)や、
人それぞれの価値観、
見る角度で
異なってきます。

センスという言葉自体も、
場所や時代や人などの要因によって
変動します。

その不安定で不確実なものに
対応していかなければいけません。

仕事である以上、
金銭的に売らなければなりません。

だからこそ、
「お金や環境に恵まれていない場合」(これが重要)、
途中でやめる場合が多いです。

もしくは、
「方法・手法・思想が、変更・変化」する場合もあります。


また、
実体験から、大切な事を言います。


『本気で深みを追求すると、マジで大変です』


深く求めようとすると、
求めれば、
求めるほど
大変さ(金や精神的、労力などなど)は半端ないです。

だからこそ、
どの深度を求めるか、
は重要になります。


そして、
長く続けている過程で、
人生ってのは様々な事が起きます。
もちろん、僕も同じです。

金銭事情、
結婚や子供ができたり、
安定を求めたり、
新たに興味ある職業が出たり、
病気をしたり、
飽きたり、
良くも悪くも、
色々な理由が、予告のアリ・ナシで起きます。

その際に、
それぞれが、
それぞれの判断を迫られます。

仕事の選択肢という事に、
なる事もあるかもしれません。


僕?

現状、上記の、重度の中毒者に当てはまるでしょう。

もう完治不能です。

苦悩に
苦悩に
苦悩を重ね、
毎回、旅をする毎に
「マジで俺は、どーしてこんなツラい事をやっているんだろう?」と
自分で強く思っております。

しかし、
やめられない、のです。

旅と古い物の、中毒者だから仕方がありません。

気がつくと、
何処かの空の下に居ます。

気がつくと、
物語のある物を探しています。

それに加えて、
「価値観の共有」をしたいと思ってしまっているので、
完全に、こじらせています。


自分的には、
こんな自分に興味を持ってくれたり、
まして、
品物を買ってくださる方には、
本当に感謝しかないのです。

偽善だとか言われよーとも、
もう、これ、本音なんスよ。


----

海外バイヤーをする上で、
オンライン等での仕入れをしない場合、
基本的には、
旅は切り離せません。

時として、
旅は中毒になります。

その深度・症状は人それぞれですが、
仕事としてやる以上、
ある程度は、
中毒にならないと続けれられません。

しかし、
旅の中毒ってのは、
本当に厄介です。

僕はコロナ全盛期にも、
調べまくり、
渡航を我慢できず、
あの手この手で、
イスタンブールに飛び、長く居ました。

アパートとか借りちゃってました。

狂気の沙汰です。

その時期のイスタンブールの、
ある地区の旅行者は、
マジで変態しか居ませんでした。

経営してた会社を売って、
7年間エジプトのカイロに住んでたアメリカ人、
8ヶ国語を流暢に話すドイツ人、
ドバイへ巨大冷蔵庫を売っているインド人、
自国から脱出したイラン人、
夏場の国々を渡り歩いているので、
冬服すら持っていない長年ノマド・ワーカーしているフランス人、
疑わしいワクチン接種証明書を持つ、自称・医療関係者のイギリス人、
職業不詳のロシア人などななど

例を挙げればキリがありません。

友人である、
30年以上、旅人でアンティーク・コレクターの、
クリスとアフィヨンに至っては、
日本の一般常識では、
何処から説明したら良いのか分からないほど、
無軌道・無茶苦茶な人生です。

ただし、
全員に共通するのは、
「知性がある」ことです。

よく勘違いされますが、
完全にアホだと、
旅という金のかかる行為はできません。

短期の観光旅行とは訳が違います。

知性とゆーか、
地頭が良くないと、長年続けるのは無理です。

----

さて

海外アンティーク・バイヤーの続け方の
僕の結論を言います。

『旅と古い物の、中毒者になる事』

それが、
僕の実体験から言える結論です。

生命に関わる、例外的な事情を除き、
中毒になればなるほど、
言語の壁とか、
金銭事情とか、
経験云々とか、
大なり小なりの問題は、
結果、
どうにかなります。

どうにかしてしまいます。

そう

安心して下さい。

もし中毒者になれば、
その頃のあなたは、
もう、
どうにかなっている(頭もお金とかも)と思うのです。

日本社会での、
後ろめたい気持ちになる必要もないです。

日本だけを見る必要もございません。

世界ではド変態たちが
日夜、
喜劇と悲劇を繰り広げているのです。

アンティーク売買を介して、
その舞台で踊るだけです。

本当に、
ただそれだけなのです。



また参考になりませんでした。
すみません。


終わり


コメント

美しいラダックの頭飾り「ペラク」

2024年08月10日 | チベットもの



「ペラク」に関してです。

ペラクとは、
インド最北の地、ラダックまたはザンスカールで、
チベット仏教を信仰するラダック人またはザンスカール人が、
結婚式等で女性が盛装する時に頭に被る「頭飾り」です。

英語だと、ラダッキー(またはザンスカーリー)・ヘッド・ドレスとか言われております。

ラダックとは詳しくは説明しないけど、
インドのジャンムー・カシミール州の地域の名称です。

インド最北部ですな。

すぐ東にはチベット(中国領)、
西にはパキスタンと国境を接しております。

地理的な事から軍隊が常駐していて、
アーミー・キャンプ(基地)も沢山あります。

国際的にはインド領ですが、
チベット仏教圏であり、
地元民達は、
自分達の事をラダック人と自認していて、
他のインド人の事を「インディアン(インド人)」と分けて呼び、
かつてはラダック王国でもあったので、
独自のアイデンティティを持っております。

そして、ラダック人はチベット仏教を信仰してます。
結構、真面目に。

----

その頭飾り「ペラク」

欧米の民族装飾品の愛好家の一部では、
知られた存在です。

単なる民族衣装の装飾品ではなく、
その圧倒的な存在感と、
親から子へと伝世する、
特別な位置付けとなる装飾品です。

無数のターコイズが付くのが特徴です。

盛装時には、
顔の両サイドに「耳」(正式な名前を聞いたが忘れてしもた)と呼ばれる、
羊毛の平坦状の飾りを着用します。
そして、その耳部分に銀製のジュエリーなどを垂らします。








実際に着用しているのは、
こんな感じですな。

頭に乗せているのがペラク。

中央の写真奥の女性たちが付けている、
顔の両サイドの黒い羊毛部分が耳。

ペラクと言っても、
デザインが異なる地域もある。

上の写真はラダックでのお祭り用の簡易的なペラク、
真ん中と下の写真はザンスカールの結婚式の様子。

新婦は布でペラクと顔を隠す。

頭上から反り出した見た目から、
欧米では「コブラ・ヘッド・ドレス」とも例えられるスタイル。

これらが通常のペラク。

ただし、
中央の写真の女性たちが彼女達が着用しているのは、
それほど古くはないペラク。

ターコイズも新しい物が付いてたりする。

そう

例え、
正式な結婚式でのペラクであっても、
今では新しいペラクが着用されております。

伝世されるべき、オリジナルのアンティーク・ペラクは、
既に、
換金価値の対象として手放している場合もあります。

古いオリジナルのペラクでも、
一見、見た目は良いが、
よくよく実物を見ると、
チベタン・ターコイズの質が良くなかったり、
古くないターコイズが付いていたり、
ターコイズではない物も混じっていたりするペラクもあるのです。

ぱっと見の迫力自体があるペラク

でも、よくよく見ると色々と違いがあるのです。

---

今回、僕が手に入れたペラク。



迫力がある。

写真で見ると小さいが、実物は、
頭を覆いかぶさり肩まで垂れる大きさ。

チベタン・ターコイズ、一個一個も大きさのあるターコイズ。

上部がフラットなのは、チャンタン地方のスタイル。

チャンタン地方と言えば、
遊牧民や古い伝統的なスタイルが残る地域です。

因みに、チャンタンのカシミアは世界的に有名。
超品質が良い。
世界的な某トップ・ブランドも、
チャンタンのカシミア(パシュミナ)を用いていると聞く。


さて、そのチャンタンのペラク。
今では、オリジナルは数が少ない。

これは地布も古いオリジナル。

通常、赤系の布を用いる事の多いペラク。
チャンタンのオリジナルはベージュ色の布を使っている。








圧巻

びっしりと、良いアンティーク・チベタン・ターコイズが付く。
その数、120個。
小粒ではなく、全てそれなりの大きさがある。

全部が古い、アンティーク・チベタン・ターコイズ。

ディープ・グリーンからエメラルド・グリーン、
青緑、青みを感じる色、
雰囲気の良いターコイズから、
艶々パティナのターコイズまで様々。

何より、全部がナチュラルでアンティーク。

因みに、上述の着用写真を見ても分かるように、
新しいペラクには、
明るい青色のターコイズを好んでつけられます。
今では、明るい青色ターコイズの新しい物が手に入るからですな。

でも、元々のオリジナルのペラクは、
青緑またはグリーン系のターコイズが多いのです。

また、
これらはペラクを作った時に、
アンティークの石を一つ一つ選んで縫い付けたので、
ターコイズ自体は、ペラク本体より遥かに古い、
数百年レベルのチベタン・ターコイズが付いております。

ペラク自体の年代は1914年製のシルバーコインが付いているので、
その辺の時代だろう。




この上部の装飾にも僕は惚れた。

大型の銀製のフラットな装飾部品と並行して、
繊細な貝や、
真珠などのビーズが連なって飾られている。

こういった細かい、こだわり的な部分が、
伝世する事を目的として生まれたオリジナルの証。

そして、
並べられたチベタン・ターコイズも、
一個一個が個性的で美しいクオリティ。






ガツーンと付く、メイン・ピース。
大きさも、かなり大型。

名前があるのだが、忘れてしまった。
もちろん、これもシルバーのオリジナル。

彫りと打ち出しが施されて美しい。
これだけでも価値がある。

通常版のペラクは、
ラダック・スタイルのガウを中心に持ってくる。
チャンタンのこのペラクは、
ヘッド・ピースが大型のシルバー装飾品。




写真中央に並べられた物は、
ロックショ(ク)という名前の装飾品。

円形が基本で、
周囲をチベタン・ターコイズで飾られ、
中央にはカーネリアン。
新しい物ではなく、時代を経た、アンティーク・ロックショ。

ヴィンテージのロックショ単体で売られているのも目にするが、
一個だけでも意外に高かったりする。
それが複数付く。

周囲のチベタン・ターコイズの質を見ても惚れる。
良いレベルの物が嵌められている。

商売的な事を言うと、
バラして売った方が効率的だろうが、
このペラクに関しては、僕はしない。

最下部に二段ほどに、
もっとターコイズがあった痕跡があるが、
元々の持ち主が換金のために売ってしまったのだろうか。
不明である。

なお、
新しいペラクは、形の整った台形ターコイズを綺麗に並べるが、
古いペラクは、わざわざ一個一個選ぶので、不揃い。



耳を添えてみました。

耳を付けたこのスタイルが盛装スタイル。

耳というより羽根だろうか。

別で手に入れた耳部分は、
チャンタン地方から行商に来ていたオバチャンが持っていた、
新しい耳部分のみを譲り受ける。

ペラクの耳だけが売られているのは、
今まで見たことがなかった。

ペラク本体のみ手にしていたので、
まさに偶然。




ペラクの耳

意外と大きいです。




前回の投稿にも登場した、野菜売りのオバハン。

ハンド・スピニングの羊毛糸で、
補修してもらいました。



「あら、ペラクの耳ね」
とでも言っているのだろうか。
地元のオバハン連中で話題のネタとなっていました。

オバハン達、
スター・ウォーズとかに出てきそうな容姿だ。

---

このペラク

表に出ていなかった物で、
昨年11月頃に誰かが手放し、
ラダックで商いをする僕の知人が買い取ったらしい。
確かに、去年の9月時点では彼は持っていなかった。
今年、それを僕は手に入れた流れです。

手に入れるのも物語があり、
最初の彼の言い値は、僕が買える値段ではなかった。

しかも、
別の地元の業者が狙っているのも耳にしていた。

まぁ、
詳細は省きますが、
店主も流石に粘り、
僕も圧力をかけ、
最終的に店主は現金化を望みましたな。

結果、交渉は成立した。


・・・と言うことで、
個人的に10年以上前から欲しかった、
オリジナルのペラク。

しかもチャンタン・スタイル。

ついに、手にできました。

日本で売れるか売れないかは、
もはや気にしてませんでした。

個別のチベタン・ターコイズを見ると、
お得感は凄くあるだろうが、
金額的な事より
僕にとっては、
見送ることのできない品でした。

アンティーク・チベタン・ターコイズが高騰している現在、
このペラクはコレクションにしておいても、全く構わないんです。

オリジナルの古く良いペラクは、
本家ロンドンのクリスティーズでも出品されていた逸品。
価値がなくなる物ではないし、
そもそもが、もう数に限りがある美しい物である。

良い物を手に入れられました。


終わり


---

おまけ



渡航中、同時期に出会ったペラク

通常のコブラ・スタイルのペラク

地布は新しく、
オリジナルではないが、良いターコイズが多く付いてる。
新しくペラクとして作られた物だろう。

最上部に、一際大きな、
チベタン・ターコイズが付いているが、
これらが、トップ・ピースまたはヘッド・ピースと呼ばれる特別なターコイズ。

シェイから来た人が持っていた。

お金に余裕があれば、
これも手にしたとこだけど、
僕は古いオリジナルの、
特別な物が欲しかったので見送った。


以上

美しく圧倒的な存在感のあるペラクの話でした。




コメント