心の御柱(こころのみはしら)

毎日、八方拝を行い、光の柱を建てましょう。

敬神崇祖(けいしんすうそ)

2012年12月13日 | 個人の霊的自立

 

 

 先日、全国でも有名な京都の山中にある神社に詣で、本社の外にある境外摂社にお参りした時の話です。そこには神官さん達は常駐されてないのですが、私が神前に向かうと一人の女性が先にお参りされていました。たぶん私が後ろから来ているのに気づくのが遅かったのでしょう。 ペットボトルの水を御垣内へ犬の小便よろしく、ばら撒いていました。普段そんなことでは腹を立てないのですが、この時はふつふつと怒りが湧いてきました。まるで神様の怒りが自分に移ったかのようでした。

 

 これは最近時たま目にする光景で、どうもスピ系の人達の間で、各地の御神水を汲んでは他の神社や聖地に持っていって撒くのが流行っているようです。まあ御本人達は良い事をされているつもりでしょうが、はっきり言って不謹慎です。目に見えない世界はやはり慎重にすべきで、やれメッセージが来ただの神様を繋ぐだのと軽率にすべきではないです。だいたい想像してみてください。ある日、自宅に見知らぬ人が来て、聖なる水ですからと言って庭にばら撒かれることを。喜びよりも怒りが湧くはずです。

 

 また神社の御祭神によっては、ある聖地の水とは相性が非常に悪い場合もあります。本当にそこの神様が水をお望みと思うのなら神官さんなり世話役さんなりに趣旨を話してOKをもらってからにすべきでしょう。神意ならうまくいくはずです。

 

 神行(しんぎょう)をまともにされている方なら先輩達から一種の神様に対する作法というべきものを習っているものです。お水をお供えしたいならペットボトルのまま半紙に載せてお祈りし、終わったら持って帰ればいいのです。けっして犬の小便縄張り張りのようなことをしてはいけません。

 

 神社に行く場合はそこの御祭神に対して敬意をはらうことが最重要なのです。敬意をはらえばはらうほど神様の御威光は輝いてきますし、なによりもそういう謙虚さを神様はお喜びなのです。敬意をもって接すれば水撒きなど出来るわけはありません。

 

 スピ系全てとは言いませんが、全般的にこの方達は先祖や先輩達が連綿と綴ってきた伝統を知らずにいます。そのため自分達は良かれと思った行動がかえって神様の怒りを呼んび御自分の運気を弱めているのです。

 

 もうスピリチュアルごっこをしている時代ではありません。敬神崇祖という今では死語になりつつある言葉ですが、神を敬(うやま)い先祖を崇(あが)める、これこそが日本人として神様に接する際の心構えなのです。

 

                                                                        貴舟 一之(きふね かずゆき)

 

毎日、八方拝十一方拝を行いましょう。

 

 


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