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 「地獄の季節」というおどろおどろしい小見出しに、少々腰がひけた状態で読み始めた。が、著者、ブレニン、ニナ、そしてテスは快調に生活してる。よかった!
 が、アイルランドからロンドンに引っ越してトーンが変わる。ブレニンが病気になった。
 すい臓ガン。
 幸いこちらは手術も成功したが、やっかいなことに臭いを出す「肛門腺」が化膿し、筆者は2時間ごとに洗浄・抗生物質の注入をしなければならなくなった。そしてブレニンが傷をなめないように、プラスチック製のカラー(エリマキ)が首に付けられた。

 著者にとっては辛い出来事だしブレニンはもっと堪え難かったと思う。さらに悪いニュース、この感染菌は抗生物質に耐性のあるタイプだった。

 本当に恐ろしかったのはブレニンを失うことではなく、二時間ごとに彼に与える苦痛だ、と著者は言う。
 『ブレニンが回復してさえくれたら、彼が残りの人生で私を憎んでも、満足できるつもりだった。』
 でも回復の見込みはない・・・寝不足との格闘の中で、著者の辛さを想像すると切なくなります。

 しかし、1ヶ月後、ブレニンは回復します\(^^)/
 そして著者はブレニンへの愛はフィリア(家族愛、兄弟愛)だと考察して、この物騒な題名の章は終わります。

 次章「時間の矢」を読み始めて、いきなり頭を殴られてたような衝撃が・・・

 『ブレニンに私が最後に言った言葉は、「夢で会おうね」だった。』

 そう、1年後に癌が、あちこちに転移しているのが発見された。
 延命させないことを決心した著者は、生まれて初めて自分のベッドでいっしょに眠るのを許したといいます。
 やがて痛み止めが効かなくなり、安楽死させる際に言った言葉が「夢で会おうね」

 その後の生活、回想も含めて淡々とした記述にはよけいに胸を突かれます。
 そして、2つのことについての思索を深めます。

 ひとつめは「死はどのような意味で悪いものなのか」ということ。ブレニンの死によって、著者はかけがえのない存在を失いました。では、死んだブレニンが失ったものは何かあるのか? 無いなら死は悪いものではないと言えないか、こうしてヴィトゲンシュタイン、エピクロス、ハイデガー、そしてアーサー・エディントンの「時間の矢」という補助線を利用して論を掘り下げていきます。
 このあたりスリリングで面白い。

 ふたつめは、上記の内容に続き「直線的時間」と「円環的時間」について思索します。前者が人間のもの、後者がオオカミのもの。こちらにはニーチェの「永劫回帰」も顔を出します。
 エッセンスだけ拾い上げてみると、オオカミは瞬間を生きている。それに対し『わたしたちが今として見なすものは、以前起こったことの記憶とこれから起こることへの予想からできている。そしてこれは、わたしたちに今はない、と言うのに等しい。現在の瞬間は非現実的なのだ。』として人間は瞬間の向こうを見通して生きることで、「その瞬間」を真に生きてはいないとしています。
 たしかに、個人差もあるでしょうが、妙に冷静になって、その瞬間をむさぼるように楽しめないということの一因をうまく言い当てているように見えます。
 このくだりは感動的なエピソードに続いて語られているのですが、それは本書を読む楽しみにとっておくことにしましょう。

 久々にじっくり向き合うことができた良書。読んだ人の中に、オオカミファンが増えるだろうなあ(^^)

 最後に私がこの本を購入することになった帯の惹句を引用してお終いにします。

『最も大切なあなたとは、幸運が尽きてしまったときに残されたあなただ』

【関連エントリ】
『哲学者とオオカミ』(1) マーク・ローランズ
『哲学者とオオカミ』(2) マーク・ローランズ
『哲学者とオオカミ』(3) マーク・ローランズ

哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン
マーク ローランズ
白水社


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