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 いやはや、話が幸福論へ進むとは!

 第6章「幸福とウサギを求めて」はこんな出だしで始まる。

 『アイルランドでの数年間は、ブレニンの最盛期だった。』

 著者はブレニンの素性がオオカミであることを隠し、ソリ用の犬である「マラミュート」と近所の人には偽って暮らしていた(^^;
 ちょっと危ない香りがしません?(^^; そう、著者が壊れていく感じが漂いつつある。
 例えば、自宅の敷地に不法侵入した男の首根っこをブレニンが押さえつけ、著者が身体にケリを入れる、とか。普通に銃を持っているアメリカでは過剰防衛にはならないようですが、後から筆者もやりすぎたと振り返ったりしている。

 厭世的になってきてます。

 この頃、著者はブレニンに仲間をつくってやりたいといって、ドイツシェパードの子犬、ニナを飼う。上記のブレニンの過剰反応は、ニナを守りたいといったこともあったよう。
 また、北アイルランドという遠い地方で、オオカミとの混血犬が射殺されたことが地元でも大きく報じられ、オオカミを毛嫌いし賛意を表す人々を見るにつけ著者は自分の居場所を失ったように感じる。
 やがて、ノックダッフ半島というどこにあるか分からない(^^; 場所に、元門番小屋だったという小さな家を買う。人里離れた場所であることは言うまでもなく、ロケーションが気に入ったんですね。

 この場所は、ブレニンとニナにとってはネズミやウサギを追うなど(狩りはめったに成功しなかったようだが)幸せな時期だったようで、それが小見出しや冒頭の書き出しになってます。
 そして彼らとの対比で、著者は自分の内面を掘り下げていきます。

 『本当のところ、自分は生まれついての人間嫌いなのではないかと思う。』
 『わずかな例外を除いては、他人と関わっているときにはいつも、自分がしていることは時間つぶしだという感覚、あいまいで物思いに沈んだ状態がつきまとった。』

 読んでてドキッとした。そう、著者ほどひどくはないが私も思い当たる(^^;
 人と何かを楽しんでても、ふとした瞬間に我に返る瞬間、っていうのがあるんですね。

 この後、著者は自分の幸せ、そして人から聞かれる「ブレニンは幸せだったか?」という思索へ向かう。

 この章の最後の文。
 『わたしたちの行く手には、たくさんの不快な瞬間が訪れることになった』
 そして次章のタイトルは「地獄の季節」(^^;

 彼らに幸多かれと思いつつ、今日はここまで。目が持たない(^^;

【関連エントリ】
『哲学者とオオカミ』(1) マーク・ローランズ
『哲学者とオオカミ』(2) マーク・ローランズ

哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン
マーク ローランズ
白水社


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