いや~、いい映画だった。
本木雅弘の抑えた演技といい、笹野高史の渋い脇役っぷりといい・・・もちろん山崎努の存在感はいうまでもない。
東京にあるオーケストラのチェロ奏者、小林大悟(本木雅弘)は所属オーケストラの解散によって妻の美香(広末涼子)と帰郷を余儀なくされる。
オーケストラにチェロ奏者の職を見つけた大悟は、高額な(1800万円!)チェロを美香に内緒で購入していたが、そのチェロを手放して故郷に戻る。
その時の大悟の感慨が「夢だと思ってたものを手放すことで、何かから開放された」というもの。
分かるなあ。
実は「これがやりたい!」というものは、幼少時からの親の影響などもあって本当にやりたいものかどうか。自分では選び取ったつもりでも、実は選ばされていた、なんていうのはよくあると思う。
やってみたら「なんか違う」感にさいなまれたりして、単なる「思い込み」だったと気づくこともあるだろうな。
それで成功したり、飯が食えているうちは気づかないほころびが、経済的な理由などで破綻が生じると、とたんに顔をもたげてくる。
大悟が故郷で食べるために仕方なく就いた仕事が「納棺師」。人は生きるために職を得るのだから不本意な仕事に就いている人も少なくない。しかしここまで日常と切り離された仕事もないよね。
そしてこの仕事が大悟に人の生死を見つめさせ、充実感を与えていくことに。
「チェロ奏者」というのは借り物の夢=親の夢でしかなかったのに対し、「納棺師」というのが地に足をつけて生きていく中で大悟が見い出した新しい現実。経済的基盤も含めた現実を土台にすることで、その先の夢の接ぎ穂も生まれてくる。
やがて大悟は再びチェロを手にして弾き始める。すでに手放した高価なそれではなく、幼少時代に使っていたチェロを引っ張り出してきて。
実はチェロは、大悟と、彼が6歳の時に家を出ていった父を結びつける重要なアイテムだ。
そして、チェロとともに大切なもう一つの趣向、「イシブミ(石文?)」
本作によれば「イシブミ」とは、相手に伝えたい大きさ、重さ、形状、表面を持つ石を河原などで見つけ、それを交換することではかる意思疎通方法。言葉では伝えきれない感情の機微を石の触感を通して相手に伝えるという。
実際、自分をうまく言葉で表現できる人を見ると私もうらやましく思ってしまうが、適切な言葉で自分の気持ちを語れるというのは一種の才能だと思う。
でも「イシブミ」なら口下手な人でも、上手に言語化できない気持ちを、もしかしたら言葉よりうまく伝えられるかもしれない。
ちょっと素敵な風習。私はこのエピソードがとても気に入っている。
やがて美香の理解も得て、新しい生活になじんできたある日。
行方不明だった父が亡くなったとの知らせを受け、大悟は気持ちの整理がつかないままに父の亡骸の前に美香と駆けつける。
納棺に呼ばれた業者の行き届かない仕事に、大悟は自分が納棺することに決めた。
今はすっかり手慣れた所作で父のこわばった手を開いた時、握りしめた父の手からこぼれ落ちる石。すべすべした小さな卵のようなそれは大悟が6歳の時に一度だけ父と交換した「イシブミ」だった・・・
ここに来て大悟はそれまで抱いていた父への怒りからも開放される。涙に濡れた顔で見つめあう二人。しかし彼らの顔には優しい笑みが浮かんでいた。
「納棺師」がモチーフである以上、ストーリーやエピソードには縛りも出て、予想の内に物語は終幕を迎えるだろう。だが、鑑賞後、あの小さくすべすべしたイシブミのように、穏やかな優しい気持ちに満たされる。派手さはないが不足もない。
ぜひ見てもらいたい邦画の一本。オススメです。
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