きづき窺見帖

窺見≒物見≒斥候≒間諜≒密偵≒SPY

『BJ』 6

2007-07-29 | 卑小説
『BJ』 6   直家エル

事務所がある古ぼけたビルも、高層ビルと同じように夕日に照らされる。
Aジェントが去ってから数日経っていた。
いつものように手持ち無沙汰の私は、気になっていた小箱をゴミ箱から取り出した。
またいつAジェントが前々回の意識を連続させて現れるかわからないからだ。
仕事がないと、ゴミ箱のゴミも溜まらない。それが幸いし、小箱もまだゴミ箱に入っていた。

中身はなんだろう。8センチ四方ぐらいの何の変哲も無い白い紙の箱だ。白といってもだいぶ薄汚れていて、グレーに近い。セロファンテープで蓋が開かないように止めてある。テープは比較的新しい。これを剥がすと、箱の表面が一緒に剥がれてしまいそうだ。一回開けると開けたのがわかってしまう。どうしようか迷っていると、事務所のドアを遠慮がちに叩く音がした。小箱をデスクの引き出しにしまった。
「どうぞお入りください、鍵はかかっていません」

ゆっくりとドアが開く。
お年を召したご婦人が、部屋に一歩だけ入ると、立ち止まってお辞儀をした。
「失礼いたします」
着こなしが難しそうな薄い鶯茶のスーツに身を包んでいる。髪は見事な銀髪で、極一部分薄い紫に染まっている。
「どうぞ、こちらのかつてソファであったものでよろしければ座ってください」
といいながら、私はドアのところまで歩み寄った。
ご婦人は、もう一度頭を下げると、「ありがとうございます」と言って、思った以上にしっかりとした足取りでソファに向かった。
一応機能しているソファに浅く座ると、小さな声だが、意外によく通る声で話し始めた。
「これは仕事の依頼になるかどうかもわかりませんけれども、話を聞いてくださるかしら。ただお尋ねしたいことがあるだけなのでございます」
私は、その丁寧な言葉遣いに合わせようとして支離滅裂な答えを返した。
「まず、お話をお聞き尋ねないことには、貴女様の御質問にも答えられかねるようなきがいたしますですがいかがでありましょうか」
「ほほほ、お尋ねする前に、正しい日本語をお教えしたほうがよろしいかしら」
表情には出さないが、内心驚いた。つい最近、同じようにハッキリとものを言う女性に逢ったことがある。まさか。
「ごめんなさい、口が悪くて。まして初対面の方に・・・わたくしの悪い癖です。謝ります」
「いえいえ、気になさらないで、どうぞお尋ねになってください」
「そうですか。心の広いお方でよかったわ。それでは遠慮なくお聞きします。
最近、若い女性がここを尋ねて来なかったでしょうか。それも二人続けてだと思います。一人は、わたくしとおなじように口の減らない三十路前の女です。もう一人は、それこそ、まだ正しい日本語ができないような女学生ですの」
「最近女性がここに来たことはあります。その方が貴女のお尋ねの方かどうかはわかりません。しかしそれが何か?」
「わたくしの娘たちだと思われます」
やはり。雰囲気が似ている気がしたのだ。
それにしても、このご婦人にはどこかで会ったことがあるような気がする。それも近所だ。
もしかすると、あの『風工房』のオーナーではないか。ニ人の女性は名字が風花だった。『風工房』は、駅の近くにある瀟洒な5階建てのビルで、1階は画材店だ。2階は画廊になっていて、常設展示では、様々な『花と風と女の子』の絵が飾られている。ずいぶん前だが、1回だけ覗いたことがある。3階から5階は、おそらく住居になっているのだろう。
「ご事情はわかりました。そのお二方を、いや、娘さんたちをお探しになりたいと」
「いいえ、そうではありません。もともと風来坊というのでしょうか、ああ、風来坊は坊という字が付いていますので、男の子のことでしたか」
「いいえ、赤ん坊も坊の字が付いていますが、男の赤ちゃんのことだけを指すのではありません。それから、風来嬢とはいいません」
「ほほほほほ、わたくしのほうが、日本語を教えていただきましたね。恐れ入ります」
「いやいや恐れ入るほどのことではありません。それで、探し物はなんですか? 見つけにくいものですか? 一体何を探しているのか・・・♪」
「あのぉ、変な節を付けないでいただけますか」
「し、失礼しました」
「探しているのは、指輪です。鞄の中も、机の中も探したけれど、見つからないので・・・♪」
「あのぉ、変な節を・・・」
「ほほほほほほ、ごめんなさい。一緒にいるとうつることがあるのですのよ」
やはり親子だ。娘も同じようなことを言っていた。
「それは、箱に入っていましたか」
「そうです、よくお分かりになりますのね」
ご婦人の顔が急に険しくなり、眼光が鋭くなる。人差し指を真っ直ぐ私に向ける。
「あなたが犯人ですね!」
え、一瞬うろたえる。が、表情には出さないようにした。
ご婦人の顔がもとの穏やかな表情に戻った。
「冗談ですよ、『探偵が犯人だった』なんて、小説の中でもめったにない話ですわ。ごめんなさい、一瞬でも驚かせてしまって」
職業柄、無表情にはなれているが、私の一瞬の表情を見逃していない。
「ははは、そうですよね、今これが小説の中ならありえますけどね」
普通、指輪は小箱に入っているんだろうから、何も動揺することはなかったのだ。
「申し訳ありません、人を驚かすのが好きなんですのよ。本当に悪趣味ですね。話を戻しますとね、娘たちは、それぞれ『私が指輪を探し出す!』と言って、また出て行ってしまったんですよ。指輪がなくなったとき、たまたま娘たちが家に帰っていたのです」
だいぶ話す調子が砕けてきて、私としては話しやすくなった。
「それで、娘さんたちが、ここに来なかったかとお尋ねになったのですね」
「そうです。もし娘たちが同じ依頼をしていたなら、二重三重に同じことを依頼することになってしまうと思いましたのよ。それとも、もう手付金を二人からせしめてらっしゃるのかしら? あらやだ、せしめるなんて下品な言葉を使ってしまって、お里が知れますね」
「どちらからも依頼は受けていません。どちらもすぐお帰りになりました」
「ああ、やっぱり娘たちはここに来ていたのね。なぜ隠していらっしゃったの」
「いえいえ、隠したわけではなくて、娘さんと確信するに足る証拠が何も無かったもので・・・」
「では、どうして今になって、ここに来たことを認めたのです」
また、顔が厳しくなってきた。
「いや、あのぉ、言いにくいのですが、貴女と話しているうちに、そのぉ、共通点が多々見つかりまして、間違いないかと・・・」
「わかりました。あつかましくて、おしゃべりで、口が減らない女ということですね」
「いやいや、そうではありません、怒らないでください」
「怒っていません!」 怒っている。
「では、お詫びに、ひとつアドバイスをいたします。一旦探すのをお止めなるというのは、いかがでしょう」
「そうおっしゃると思いましたよ。申し訳ありませんが、あなたに踊りに誘われる前に、そろそろ失礼させていただきます。お店もありますし。でも、まだまだ探す気ですよ、ほほほほ」
アドバイスが気に入ったのか、元の穏やかな表情に戻ると、上品な笑い声とともに、ご婦人はドアの向こうに消えた。

よっぽど引き出しから小箱を出して『これですか』と言おうと思ったが、何か曰くありげなので、思いとどまった。本当にあの小箱が、彼女が探している物なのだろうか。もしそうなら、なぜAジェントが持っていたのだろう。そもそも誰が盗んだんだ・・・

普段使わない頭を使ったので、次第に眠くなってくる。
謎と眠気は深まるばかりだ。
そして、夢の中へ。

<寒>


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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (はなこ)
2007-07-29 08:25:25
とうとう、Aジェントを指輪泥棒にしてしまった。
Aジェントに限って、どっかの若い女の人とかかわるような人ではない(イエ、もてないという意味ではなく)と思うが。

それにしても一度みたら忘れられない下手な字。公園のあちこちの石に刻んである。いったい誰も字や?
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麻雀 (××くらげ)
2007-07-29 16:24:47
「リーチ!」と彼は高らかに宣言した。
「さあこれでオーラス逆転だ!」
しかし何順しても当り牌はツモらず出ず。
「おかしいなぁ」と呟く彼に私は尋ねた。
「探し物は南ですか?それなら誰かアンコで持ってて
 山の中に 山の中に 全然無いと思いませんか?」
「ううっう~」と彼は悲しそうに唸った。
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悲しいのはどっち? (agent)
2007-07-29 17:15:09
辺り牌がアンコなのか、それとも「Aジェントに限って、どっかの若い女の人とかかわるような人ではない」ことか。
それが問題だ。
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実在ではない (きづき)
2007-07-29 21:29:03
はなこさん、
話の中の人物は実在の人物とは一切関係ありません。
それから、盗んだのはAジェントではありません。取り戻したのがAジェントかも。

この字、確かにへたくそだよなぁ。


××くらげさん、
南で待っていた彼は、いきなり怒り出した。
短気待ちだったのだ。


agentさん、
今度、若い女の人とかかわる話を考えようかと・・・
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次回、例のセリフをAジェントが発するのか (いちみ)
2007-07-29 22:19:19
 わくわくして待ってます。

 
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はなこさんだ! (ねむ)
2007-07-29 23:54:43
はなこさんの風貌が見えてきました

話の中の人物は実在の人物とは一切関係・・・みなまで言うな
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ちゃう (はなこ)
2007-07-30 00:19:08
紫の髪なんかないよ!
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実在じゃないって! (きづき)
2007-07-30 22:29:39
いちみさん、
いつかなんとか使わないと・・・
次回があるかどうかもわからないけど

ねむさん、
だぁかぁらぁ、話の中の人物は実在の人物とは一切関係ありません!って。

はなこさん、
「実在の人物ではありません、怒らないでください」
「怒っています!」 怒っている
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怒ってないよ~ (ねむ)
2007-07-31 00:12:54
はなこさんはこんな事位じゃ怒らない。真剣に怒るのは、政治のこと
それに「怒らないで」なんていったら、認めてることになるよ
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Unknown (はなこ)
2007-07-31 10:47:19
今度、若い女の人とかかわる話を考えようかと・・・>>
ジャンボさんひそかに期待。
でも、「かかわり」にも色々あるから・・。
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