前にご紹介した後藤松蔭ですが、彼は文化文政時代の日本においてその文章が最も優れていると称されていました。名筆家なのですが、その彼の文章が、今はどこなるのかは定かではないのですが、このみやうちにあることは確かです。その中に「林紅泉」についての文があります。
“天保戊戌三月、士之好韻事者、謀献挿花若干瓶焉・・・而其挿花流、則皆宗京師華流亭 林紅泉先生・・・”
とあります。天保9年春、この地に同好の士が集まって、吉備津神社に献花し、その中、特に優れた作品を選んで、その図を扁額に描き、奉納した。その総てが、京で挿花の師匠をしていた林紅泉先生の教えを受けた人たちのものであったと記しているのです。
ただし、この後藤松蔭が書いている吉備津神社への奉納扁額ですが、今、どこにいたのか、吉備津神社には見当たりません。
“天保戊戌三月、士之好韻事者、謀献挿花若干瓶焉・・・而其挿花流、則皆宗京師華流亭 林紅泉先生・・・”
とあります。天保9年春、この地に同好の士が集まって、吉備津神社に献花し、その中、特に優れた作品を選んで、その図を扁額に描き、奉納した。その総てが、京で挿花の師匠をしていた林紅泉先生の教えを受けた人たちのものであったと記しているのです。
ただし、この後藤松蔭が書いている吉備津神社への奉納扁額ですが、今、どこにいたのか、吉備津神社には見当たりません。
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