同窓会だより

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伽耶院の紅葉を訪ねて   〜 奈須野昭夫 〜

2020-06-21 14:36:44 | 巡礼
兵庫県三木市の高速道路三木インターの近くにある「新西国26番 伽耶院」の紅葉を見に行きました。

伽耶院の歴史を申しますと、大化元年(645年)に法道仙人を開基として、孝徳天皇の勅願によって建立されたお寺です。古くは「大谷山大谿寺東一坊」といい、天和元年(1681年)に後西上皇の勅により「伽耶院」と改称しました。

平安中期には堂宇数十、坊塔百三十余と記され、花山上皇の行幸を得るなど隆盛を極めましたが、豊臣秀吉の三木城攻めの兵火及び慶長14年(1609年)の火災によって全山焼失し、現在の諸堂は、それ以後の建立されたものです。


(本堂)

このうち「本堂」、「多宝塔」、「鎮守社」の三棟が国の重要文化財に指定されています。
中世以降、聖護院系の修験寺院として記録に出てきます。江戸時代には天台宗山伏を統率する五院家の一つとして修験界に威を振っていました。現在も体育の日には近畿各地から山伏姿の修験者二百余名が参集し、近畿地区最大の規模を誇る「採燈大護摩」が守り続けられています。

(多宝塔)

最近は本堂に祀られている愛染明王に縁結びを求める人、又本尊毘沙門天に学業や福徳を願う参詣者が多くなっています。


(鎮守社)

新緑、紅葉の美しさも格別と言われています。総門脇の紅葉、庫裏を覆うような紅葉、本堂周辺の紅葉、銀杏の黄色と紅のコントラストが印象的でした。

(総門)

 






五社神社と鉢塚古墳について  〜 奈須野昭夫 〜

2020-06-18 11:45:48 | 巡礼
阪急池田駅と石橋駅(最近駅名が阪大前石橋と変更になりました)の中間時点に「鉢塚」という地名が、私の小学校時代からありました。この辺は戦前・戦中は植木畑と農業の稲作地帯が広がっていました。終戦後、にわかに様相が変わり、住宅地帯に変貌してゆきました。小学校6年生のころ遊び友達等と鉢塚古墳を見に行きましたが外観のみ見て古墳内部は入れませんでした。
池田に住居を定めてから「尊鉢厄神」の寺院を戦友と訪れた折りに、古墳に足を運びましたが、その後3度ばかり参詣致しました。鉢塚古墳の石室は、当初の役割と変わって、玄室内に石造十三重塔が安置されて五社神社の奥殿の役割を果たしています。




五社神社について



鎮座地:大阪府池田市鉢塚2丁目106番地
由緒 :五社神社の社伝によりますと奈良朝時代聖武天皇の神亀元年(724年)に僧行基がこの地に「多羅山 若王寺」を創建しました。その鎮守社として五社神社を奉祀しました。以来1,200余年の間、当地の氏神として地区住民の尊信を受けています。
祭神: 主神を国常立尊とし、相殿に速素戔嗚命、五十猛命、住吉大神、穴織大神と合わせて五柱の神々を奉斎しています。

祭日: 歳旦祭 1月1日  夏季大祭 7月13日
     招魂祭 8月15日 秋季大祭 10月第2日曜日

宝物: 石造十三重塔 一基

鎌倉時代中期の造立とされています。
金剛界曼荼羅の五仏を表す密教関係の供養塔で、五社神社の本地仏と伝えられています。
昭和9年(1934年)重要美術品に認定されました。
更に、昭和34年(1959年)国の重要文化財に指定されました。
尚、塔の左右にある不動明王の種子板碑と地蔵菩薩の半陽刻石像も鎌倉中期の制作品と認められました。

経塚発掘物

昭和39年(1964年)五社神社境内より平安時代末期乃至鎌倉時代初期埋納と認められる経塚を発掘し、経筒の他、白銅方鏡、香盒、刀子、瓔珞、宗銭等が出土しました。

史蹟  鉢塚古墳について

五社神社の境内にある鉢塚古墳は周濠を有する上円下方墳で古墳期後期(西暦6~7世紀)今から1400~1500年前の築造と認められ、その両袖形横穴式石室は、奥行全長15m(内玄室長さ7m、羨道8m)玄室高さ5m、幅4m、羨道高さ2m、幅2mです。
総べて花崗岩の巨石を用い、その構造規模は、壮大雄偉で、大阪府下三大石室の随一と称され、又全国的にも最大級のものと言われ、築造当時そのままによく旧態を存していると言われています。この塚の被葬者は誰であったかは不明ですが、おそらく当時この地方を統括して
いた或る豪族の墳墓であろうと推定されます。
又、この古墳の石室は、五社神社の奥殿として、前述の十三重の石造塔が其の玄室内に安置されています。当古墳は、現在大阪府指定の史跡となっています。
(註)以前は十三重の石塔のある玄室最深部迄拝観させていただけたのですが、最近の高槻地震で玄室部に微細なひび割れを生じたので安全面から入室禁止になりました。

池田に住居を定めてから「尊鉢厄神」の寺院を戦友と訪れた折りに、古墳に足を運びましたが、その後3度ばかり参詣致しました。鉢塚古墳の石室は、当初の役割と変わって、玄室内に石造十三重塔が安置されて五社神社の奥殿の役割を果たしています。

五社神社の境内にある御神木「楠木」の巨木について



五社神社の境内にある御神木「楠木」の巨木についての樹齢、樹高、幹回り太さ等の諸元は不明です。


門戸厄神「厄神竜王 龍壁縁起」  〜 奈須野昭夫 〜

2020-06-17 18:29:32 | 巡礼
私は、門戸厄神さんには、関西学院中学部・高等部に通っているころは1度も参詣に立ち寄ったことはありませんでした。会社現役を退いてから、戦友と、「厄除けと病魔退散」を願って、毎年1月上旬に必ず参詣に行くようになりました。

自宅から阪急宝塚線に乗って、宝塚駅で、中学部・高等部時代利用した懐かしい今津線に乗換え、門戸厄神駅に下車して徒歩で厄神さんを目指します。今は住宅街となった道を約10分くらい登り勾配の道を進むと「門戸厄神 東光寺」の大きな柱のある正門に到着します。



お参りにはこの門をくぐり、左手に「護摩木とお札」を売っている社務所があり、ここで、必要本数の護摩木を求め、名前と数え年とお願い事「例えば病気平癒」等を記入し、再び社務所に奉納します。後は厄神さんの方で、護摩焚きの行事を行って「奉納護摩木」を一括して火に投入し、人々の願いを厄神明王さまに願い焚き上げて下さいます。



女坂、男坂の石段を登り本殿の厄神明王に線香をあげて今年一年の無厄を祈ります。
令和2年〈2020年〉1月6日の初詣を兼ねて「龍壁拝観」を期待して、お参り行事を済ませた後、今回は正門の脇の右壁面に沿って、令和元年(2019年)の創建1190年を記念にして第65代松田住職が発案した「厄神竜王 竜壁」の設営工事が行われているのを拝観しに足を運びました。
ガードマンが多く警備し安全確保をしていました。警備員に了承を得て工事中の龍壁の写真を撮影させてもらいました。未完成龍壁なので、未だバラバラの龍の絵が壁面に取り付けられており、撮影は上手くできませんでしたが掲載いたします。今年中には完成して、厄神さんの新しい名物の一つになると思います。




同窓会等でお近くまで来られましたら、又お近くにお住まいの方は、拝観見物されたら如何か?と思います。