同窓会だより

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一宮巡拝⑤―B摂津国一の宮坐摩神社  〜 奈須野昭夫 〜

2020-03-28 12:10:27 | 巡礼
鎮 座 地:大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3号
 
アクセス:Osaka Metro 本町駅 - 15番出口より南側へすぐ(伊藤忠商事と南御堂の裏手)
 
主 祭 神:生井神・福井神・綱長井神・波比岐神・阿須波神

 生井神・福井神・綱長井神の3柱は「井泉の神」で波比岐神と阿須波神は、大年神と天知迦流美比売の間に生まれた御子で、それぞれ「宅地の境界と基礎」を守る神とされています。
 5柱を総称して「座摩の神」と言い、宮中で宮地を守護する神として祀られています。

神社由緒略記

 当神社の創祀は、神功皇后が、新羅より帰還の折に淀川南岸の大江、田簑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町(こくまち)付近)に奉祀されたのが始まりとされています。
天正10年(1582年)豊臣秀吉の大阪城築城に当たり替地を命ぜられて、現在の鎮座地に宝永年間遷座しました。現在の地名を渡辺と称するのも元の地名移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。
昭和11年(1936年)官幣中社に列せられた際に造営された社殿は、戦災で焼失し、現在の社殿は、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート造りで戦前の姿そのままに復興されたものです。

神社ゆかりの人々

 神功皇后(応神天皇の母)
 旧御旅所に神功皇后が休息した「鎮座石」がある。
 明治天皇
 当社安産祈願がされた秋祭りの日に誕生された。
 のちに参拝され相撲を天覧された。

参考:

*近くの緑地帯に、芭蕉終焉地の碑が立ち難波別院(南御堂)本堂の南側に「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句碑があります。

*神社の隣の建物は「大阪神社庁」です。

*坐摩(いかすり)の語源は土地又は居住地を守るという意味の「居所知(いかしり)が転じたものと言われています。

*万葉集4350に防人が旅立ちに坐摩神に行路の安全を祈った歌があります。
 にはなかの阿須波のかみにこしばさし
          あれはいははむかへりくまでに

 (庭中の 阿須波(あすは)の神に 小柴さし
   我(あ)れは斎はむ 帰り来(く)までに)

一の宮巡拝⑥ 安芸の国一宮 厳島神社 〜 奈須野昭夫 〜

2020-03-13 19:57:28 | 巡礼
 鎮座地:   〒739-0500
      広島県佐伯郡宮島町1-1
 アクセス:JR山陽本線宮島口駅
 主祭神: 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
      田心姫命(たごりひめのみこと)
        たぎ津姫命(たぎつひめのみこと)

*「宗像三女伸」とも呼ばれ、天照大神と須佐之男神(すさのおのかみ)が、天の安河原誓約をしたときに、天照大神の息から生まれたとされる神々です。
古くから、航海安全の神として信仰されています。

*推古天皇1年(593年)の創建の時祀られたとされています。


厳島神社:広島湾の宮島口の対岸にある島「宮島」に鎮座する神社で、海中にそそり立つ四脚の大鳥居は、松丸太の千本杭の上に置かれているだけです。平安時代の創建から8代目で、干潮時には鳥居迄歩いて行けます。
海岸にそって歩くと、海面とほぼ同じ高さに宮殿のような国宝社殿が、神体山「弥山」を背景に存在します。
朱色の回廊に沿って行くと海上を歩く様な気持ちで厳島神社の巨大な神殿を巡れます。
台風等の冠水覚悟で海上にこの高さで社殿を造ったのは、平家一門の平安文化最後の輝きを表現しようとした美意識と思われます。

神社ゆかりの人びと

平清盛:平安末期の武将
平家の守護神として厳島神社を深く信仰し、社殿の造営に尽力し、度々一門の公卿を引き連れて参詣しています。
清盛が奉納した「平家納経全33巻」が国宝として保存されています。


毛利元就:戦国時代の安芸国郡山城城主
「反橋」は毛利元就が再建したものです。
又「桃花祭神能」は、元就が京都から能楽師をよんだのが始まりとされています。


豊臣秀吉:織豊期に天下を統一した武将
境内内北東の豊国神社本殿(千畳閣)は豊臣秀吉が毎月一度「千部経」を転読供養する経堂として着工しましたが、秀吉の死で未完のまま今日に伝わっています。