鎮 座 地:大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3号
アクセス:Osaka Metro 本町駅 - 15番出口より南側へすぐ(伊藤忠商事と南御堂の裏手)
主 祭 神:生井神・福井神・綱長井神・波比岐神・阿須波神
生井神・福井神・綱長井神の3柱は「井泉の神」で波比岐神と阿須波神は、大年神と天知迦流美比売の間に生まれた御子で、それぞれ「宅地の境界と基礎」を守る神とされています。
5柱を総称して「座摩の神」と言い、宮中で宮地を守護する神として祀られています。
神社由緒略記
当神社の創祀は、神功皇后が、新羅より帰還の折に淀川南岸の大江、田簑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町(こくまち)付近)に奉祀されたのが始まりとされています。
天正10年(1582年)豊臣秀吉の大阪城築城に当たり替地を命ぜられて、現在の鎮座地に宝永年間遷座しました。現在の地名を渡辺と称するのも元の地名移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。
昭和11年(1936年)官幣中社に列せられた際に造営された社殿は、戦災で焼失し、現在の社殿は、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート造りで戦前の姿そのままに復興されたものです。
神社ゆかりの人々
神功皇后(応神天皇の母)
旧御旅所に神功皇后が休息した「鎮座石」がある。
明治天皇
当社安産祈願がされた秋祭りの日に誕生された。
のちに参拝され相撲を天覧された。
参考:
*近くの緑地帯に、芭蕉終焉地の碑が立ち難波別院(南御堂)本堂の南側に「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句碑があります。
*神社の隣の建物は「大阪神社庁」です。
*坐摩(いかすり)の語源は土地又は居住地を守るという意味の「居所知(いかしり)が転じたものと言われています。
*万葉集4350に防人が旅立ちに坐摩神に行路の安全を祈った歌があります。
にはなかの阿須波のかみにこしばさし
あれはいははむかへりくまでに
(庭中の 阿須波(あすは)の神に 小柴さし
我(あ)れは斎はむ 帰り来(く)までに)