廣島義夫の「大東亜戦争(太平洋戦争)の思い出」です。
阪急沿線・箕面線の桜井に住んでいましたが、一つ目は、五十嵐さんも言われていましたが、小学校の帰り道で、戦闘機の機銃掃射を浴びたことです。蛍池飛行場(現・伊丹空港)に近かったので、国民学校の帰り道で低空飛行の敵機に、たぶん冗談半分で撃たれたのでしょう。見上げると、若い子どものような顔が覗き込んでいました。怖くなって通りすがりの家に逃げ込むと、 そこの小母さんが、可哀相にと言ってジュースを飲ませて下さったのが忘れられません。
二つ目は大阪の大空襲です。夜、桜井の自宅の二階から、大阪の空が真っ赤になっていて驚きました。そして翌日の朝には、阪急電車の桜井駅に、見たことも無いほど多くの数の、疲れ果てた顔をした人たちが続々と降りて来ていました。 三つ目は、国道171号線=当時の産業道路沿いにたくさん掘られた横穴です。そこには敵の攻撃を避けるために、蛍池飛行場から戦闘機が何十機も持ち込まれていました。一つの穴に1機ずつ戦闘機が入れてあり、そこにはまだ若い空軍兵が一人ずつ配 置されていました。子供心に、冷やかし半分に遊びに行きましたが、旧制中学校の4~5年生ぐらいのお兄さんが虚ろな顔をして座っていて、口をきくことも出来ませんでした。
やはり、大東亜戦争には暗い記憶しかありませんね。