FUNAGENノート

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政権の腐敗、日大アメフト、お前もか(読書ノート)

2018-05-24 15:40:50 | コラム
政権の腐敗、そして日大アメフト、お前もか
 今回は、「資本主義リアリズム」(マーク・フィッシャー著・セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉訳・堀之内出版)で、学んだことをもとに、政権の腐敗や日大アメフト問題を述べてみよう。
 《あらゆる文化的オブジェに貨幣価値を付与できる「等価体系」の作用のひとつが・・・利己的打算という氷のように冷たい水のなかに沈めた。》
 日大アメフトは、勝つことに執着しすぎて、あのようなことになった。それは、文化的オブジェ(ここではスポーツ的オブジェ)の貨幣的価値にこだわり、日大アメフト、ひいては日大の価値(あくまで経済的価値)を高めようとしたために、(利己的打算という氷のように冷たい水の中)に沈めてしまうこととなった。
 あまりにも、文化・スポーツの持つ精神よりも、勝つという打算が作用してしまった。これは、明らかに新自由主義の犯した精神の退廃のなれの果てだ。他に例えば、日大ではないが、カヌー競技でライバル選手の飲み物に薬物を入れた事件も起こっている。講道館柔道の創始者嘉納治五郎氏の言葉に「精力善用自他共栄」というのがある。私が、中学校で柔道をやっていた時に、先生から聞いた言葉である。新自由主義は、こういう言葉までかなぐり捨ててしまった。 この様相を見ていると、今政治の世界で繰り広げられている腐敗と同じ根っこがここにあると思えてくる。
 直近の世論調査で、内閣支持率は30%まで下落した。しかし、彼ら政権与党は、そのうち時間がたてば、また上がるだろうと高を括っている。日大も人の噂も四十九日と思っているかもしれない。《もはや怒りを感じず、興味すらもてないほどの、腐敗=汚職の過剰飽和》に世の中がなっていることを、彼ら当事者はうすうす感じているのだろ。
 《あるイデオロギー的な姿勢は、それが自然化されない限り、現実に成功することはできず、そしてそれが事実でなく特定の価値だとみなされない限り自然化されることはできない。そこで新自由主義は、倫理的な意味合いの価値というカテゴリーそのものを排除するよう努めてきた。》
 そして、私たちの対話の世界では、もうすでに《倫理的な意味合いの価値というカテゴリー》に関する話題は欠落しているか、排除されている。
 現政権にしても日大アメフト部にしても、《倫理的な意味合いの価値》を排除しようと努めている。そして腐敗は忘れてもらい、別な分野(景気、外交、諸々の政策、教育など)に目を向けさせようと躍起である。
 新自由主義における権力においては、《社会的フィクションの創造と放棄が商品の生産と破棄とほぼ同速度で繰り広げられる。「これまで信じられてきたものの一切を寄せ集めた雑色の絵」においては、この技術は特別な役割を担うことになる。このような存在論的不安においては、忘却が適応戦略となる。》
 そうして、彼らは「記憶にない」を繰り返し、都合の良いことだけは、しっかり覚えていることとなる。
 そうさせてはいけない。この最悪、前代未聞の醜態を忘れてはならない。今私たちに必要なことは、絶対に忘れることなく、相手が、非を認めて辞任するまで、この思いを持ち続けることであろう。


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