FUNAGENノート

私の考えたことや、読書から学んだことを伝えます。
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魅せられる自然の光景

2018-12-08 17:51:48 | コラム
魅せられる自然の光景
 秋、紅葉の季節は、とても美しい。木々たちの冬支度は、素晴らしい光景を醸し出す。人間どものつくるライトイアップなどとは違う。そこからは生き物の息づかいが聞こえてくる。 私たち人間は、自然にたいして横柄な態度を取り過ぎる。でも、それをじっとこらえているのが自然である。
 この自然を侮るから、予期せぬ災害に見舞われることになる。自然の語る物語には風情がある。そこには、人間が現代科学を駆使して作ったどの造形物にまけない力が存在している。 この現前の存在に、美を感じることこそ求められている。ところが多くの人々は、その存在に目を向けようとせず、消費文化にうつつをぬかしている。客寄せの網に引っかかるように、そこへ集い消費生活にあけくれる。TVなどでは、食物の話でもちきりだ。ちょっと、自然を紹介するが、すぐさま食べ物の話になってしまう。じっくりと、自然の美しさ、偉大さにしたることはない。
 存在というものは、見ようとしないと見えないものだ。どんな風景にも、見える者だけに見える物語がある。もちろん、それは何も自然という存在だけの話ではない。私たちの前で繰り広げられる出来事だって、見ようとしないと見えてこない。その話は、置いておいて、自然の繰り広げる物語にもどそう。
 井の頭公園に行けば、そこに水面の風景が広がっている。決して、二度と見ることのできない光景を目にする。まさに一期一会の世界がそこに広がっている。
 神代植物公園の今年の紅葉は見事である。曇りの日だっが、曇りガラスの下に広がる紅葉の世界に引き込まれてしまう。まるで、画家の描いたような光景に出会う。まさに自然は光と影を造り出す太陽のもと、描く画家である。
 それを、私はカメラの目から捉えて写真にする。しかし、誰が撮っても同じではない。そこには、私という人間の目から見た光景が映し出される。現前の存在をどう見えたかの答えが、私の捉えた写真に表現されることになる。
 詩人は、現前の存在を見つめ、そこで自分を語る。画家は、それを絵にして語る。音楽家は、それを作曲とう形で表現する。
 いずれにしても、この創造の世界を楽しむことは、私たち人間にとって必要な活動である。それは、今オリンピックが近づいて注目されているアスリートたちにも言えることで、かれらこそ「生きがい」を実感している人間なのだ。そういう創造の世界へ飛び込むことが、私たちに求めれているのでないか。なにも、アスリートだけの問題ではないだろいう。
 「あなたやる人、わたし観る人」というだけでなく、「私やる人」の一面もあってよいだろう。私のホームページにある写真をご覧ください。右下のブックマークからどうぞ!


井の頭公園ー水面は語る


神代植物公園・魅せられる光景


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